雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

いやベルマークはいらんでしょw

PTA批判についてはてなでプチ炎上してて、なんかもう世界の見え方が違うんだなって思った。

PTAは100%悪なわけではないし、100%善なわけでもない。ただ最近のPTAは悪の部分が大きくなってきているから、ここらでもう一度存在意義を確認しといたほうがいいんじゃないの、ってのが大枠なんだろうけど、PTA不用派もPTA必要派もなんかオールオアナッシングな思想になってて相変わらずはてなさんははてなさんだなと思いました。

 

たぶんこれ、PTAの意義云々の前に「意味の無い集団作業が好きかどうか」っていうとても感情的な前提が入るからみんな過激になるんだと思う。

 

なんか、子育てと福祉に関する分野って、無駄な作業で時間を浪費することに苦痛を感じないメンタリティがはびこってて、無駄な作業が嫌いな人にとっては地獄のように苦痛な場になってる。

 

 

 

予算が少ない地域の学校にとって、ベルマークは貴重な財源です。

こういう発想ができちゃう人にとってPTAはそんなに居心地の悪いものではないのかもしれない。いや私には分からんけども。

出典

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

年間数万のベルマークに頼らなきゃいけないほど学校の予算が少ないとかwそれ大問題でしょベルマーク集めてる場合じゃないでしょ政治活動して予算ぶんどってこいよ。それか働け。ベルマーク集計する時間分バイトすればベルマークの10倍は稼げる。

 

 

運動会にもPTAの協力が必要、とか。

まず先生が少なすぎんだよ。子供3,40人に対して教師一人っていう日本の教育制度がおかしいからね。圧倒的に教員が足りないという行政の怠慢をごまかすためにPTAが片棒担いでるとかおかしくない?

そもそも学校に運動会は必要か?学校なんて勉強するところでしかないはずなのに無駄な仲間意識だとか連帯感だとか押し付けられるのがイジメの温床じゃないの?

 

 

 

みたいな議論をしてほしい。

一つ一つの活動に対して「そもそもこれ必要?」「これ何のためにやってんの?」ひいては「我々は子供に対してどのような環境を用意できるのだろうか」ということをちゃんと検討するべきだ。

代々やってる伝統だからやれ、なんていってるからいつまでたっても役員が決まんないんだろうに。

 

 

ベルマークを集めたり、運動会の手伝いをしたり、それでかろうじて学校が運営できているというなら、PTA活動は親の善意に頼らなければ運営できないいびつな学校システムの問題を糊塗し悪化させる明確な悪でしかない。

PTAにはそういう、無駄なだけに留まらず有害な活動がいーっぱい残存してて、それらはいらないんじゃねぇの、って話。

 

ただPTAは完全消滅するべきなのか、っていうとたぶんそうではなくて、学校という単一の組織だけに責任を負わせるのは危険だいうのはある。防犯だとか地域関係だとかそういうのの維持にPTAが必要だというなら、ちんたらベルマーク集めたり校内清掃したりしないでそっちに全力投球すればいいじゃん。

 

そもそも現代日本では子供は社会全体で育てるものっていう感覚が完全に欠落していて、そんな中で学校とPTAだけがどれだけがんばってもどうしようもないと思う。

親と教員に限定せず、独身も子持ちも子無しも若者も年寄りもみんながそれぞれの役割を果たせる新しいシステムを構築していければいいんじゃないかな。

 

でもそういうこと言うと独身や子無しが文句言い出すんだよね。子供産んでない俺達には関係ないって。

もぉ馬鹿かと。

子育ては趣味じゃなくて社会の責務よ?人的資源を確保する仕事よ?

独身だから、子供がいないから、他人の子供の養育費も学費も負担したくないとか文句垂れてる人は年取っても年金貰えなくていいんだね。

 

 

最後のほう話それたけど結局何が言いたいかというと

 

ベルマーク集めはまじ賽の河原。

PTAの会合めっちゃ眠い

PTAは早くクラウド化するといいと思う。

 

てことでした。

でも改革しようとするとベルマークの意義ガーとか地域の連携ガーとか問題点を混同した反発がいっぱい出てくるんで、こちらも負けずに問題点を混同して反論したくなる。

 

ほんともうあんたらPTAなんかどうでもよくてただ時間潰せる場所がありゃいいんでしょ?そんな趣味に私を巻き込むなよこの暇主婦が!

て。言いたい。めっちゃ言いたい。そんな暴言を吐きたくなるくらいPTAめんどい。

ギフテットとアスペルガーを混同するの迷惑だからやめてほしい

「私は他の人とは違う」だとか「他の人の考えていることが理解できない」だとか「他人とうまく関係が築けない」だとか言うとすぐアスペ乙wwって言われんだよね。素人さんならともかく専門家にも高機能自閉乙って言われる。でもって「ちげーよ私は自閉じゃねぇよ」って言うと病識が無いって言われんの。否定すればするほど重篤な障害を持っていると診断される。だからめんどくなってもうなんにも言わないんだけど、でもやっぱ高IQと天才とアスペルガーは全然違うもんだし、私のことをアスペルガーだと診断するのはアスペルガーの人にとっても失礼なことだと思う。

 

あとこれもよく誤解されるけど、私は別にアスペルガーを見下してるとかそういうのも無いから。いやちょっと正直同属嫌悪や同病相憐れむみたいなのはあるけども。お互いたいへんだよね、いろいろと。天才であることにプライド持って固執してるとかそういうのも別にないから。優れているのも劣っているのもどちらも平均から外れている時点で等しく障害にすぎない。

 

なんか、アスペルガーの人の適応障害って、能力が足りないことに起因するじゃん。空気読むとか、過敏すぎる感覚を統合するとか、そういう能力が足りないからうまく社会に適応できてないわけじゃん。

でも天才の適応障害っていうのは、要求水準が高すぎることに起因してんだよ。一般水準の空気読むとか感覚を統合するとかそういうのは普通にクリアしてんの。だけど頭の中がハイスペックすぎて一般人に伝わるように噛み砕くのがむずかしいの。

 

アスペルガーも天才も、自身の適応能力以上の感覚を取り扱うことができていない、という点では同じだけど、アスペルガーの問題は能力の不足に由来し、天才の問題は能力の過剰に由来する。

天才とアスペルガーはⅠ型糖尿病とⅡ型糖尿病の違い、っていうと分かりやすいかな。ぱっとみ似たような感じになるしミクロでみたらおなじことが起こっていたりもするんだけど発生機序が全然違って対処法も全然違うの。Ⅰ型糖尿病の人にⅡ型糖尿病の人と同じ食事指導したら死ぬでしょ。同じように天才にアスペルガーと同じ療育したら狂うから。たぶんアスペルガーに天才と同じ療育しても狂うと思う。ほんとやめて超めいわく。

 

話それるけど、こういう話ってドクターにはわりと通じる。やっぱ偏差値高いと天才も増えるらしい。だから一番通じないのはナースで、あいつら超わけわかんない上に善意をゴリ押ししてきてまじ鬼門。同僚としても最悪だけど患者としてナースと関わるとかほんと勘弁してほしい。

 

 

じゃあ天才にはどういう療育をすべきなんだろね、っていうのは残念ながら現状ではほとんど研究されてないし、むしろ高機能自閉とサバンとギフテットの区別すらつけられていないし、ギフテットとひとくくりにされている中にもいろんなタイプがあるし、正しい指標みたいなのは全然構築されてなくて各自手探りでやってくしかないわけだけども。

なんか、天才にとって一番のハードルは「自分が優れていることを認めること」じゃないかなぁと思う。「私は人より優れている」なんて言うと思い上がりだとかプライド高すぎだとか外野がごちゃごちゃ言ってくるけど、優れている/劣っている というのはただの差異にすぎなくて、そこに他者を見下すとか貶すとかそういう意図は含まれていない。秀才はテストで100点をとって素直に喜べるのかもしれない。だけど天才にとって100点は自他の超えられない差異を見せ付けられる苦悩であり悲しみでしかない。

 

誰にも理解されない世界を踏み越えてゆく孤独を引き受けること、何も見えていない大衆と足並みをそろえて歩く覚悟を持つこと、そのあたりが大事じゃないかなぁ。ていうかそこをクリアしてしまえば人生イージーモードっていうか。

私がアスペルガーと診断されるのを嫌うのは、アスペルガーの人が社会に適応するために多大な苦労をしつづけることが多いのに対して、天才は自他の差異を自覚してしまえば人生を比較的ラクに渡れていけてしまうという点が一番ひっかかってるのだと思う。ほんとのアスペルガーの人はめっちゃ苦労してるのに、私程度の奴をアスペルガーだとか気楽に誤診してんじゃねぇよ!っていう。

まぁどっちがより大変かなんてそんなの誰にも決められないんだから私の憤りは完全に独り相撲なわけだけどもw

「すべらない話」で同性愛をネタにしたりとか、紅白での吉田沙織の結婚願望とかの話題は適切だったかどうか

カンニング竹山さんが「すべらない話」で同性に告白されたことを笑いのネタにしたり、紅白歌合戦吉田沙織さんの結婚願望をネタにしたりするのは果たして適切なことなんだろうか、みたいな議論があって、なんだこれ、と思ってる。

ninicosachico.hatenablog.com

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

セクシャリティを笑いのネタにするのはどうなの」って人もいる反面「あれはセクシャリティを笑っているのではない、セクマイが絡んでるからってなんでもかんでもセクマイを笑ってると思うな」って人もいるらしい。

 

カンニングさんという人のことも、吉田沙織さんのこともぶっちゃけ全く知らない私からすると、「こういう話題で笑いをとるのは不愉快だな」と思う。極端な例えを出すと 、白人が黒人を殴ってるお笑い番組があったとしたらやっぱ不愉快じゃん。その黒人はドMだから殴られると喜ぶ、だからこれは双方合意の上なのだ、なんて説明されてもやっぱりそんな場面見たくねーよ、って思うじゃん。なんか、そういう感覚になる。

 

だけどきっと、カンニング竹山マエケンセクシャリティを笑いものにしたのではない、とか、紅白歌合戦吉田沙織に女というジェンダーを強要したのではない、それくらいのことでいちいちめくじら立てるなヒスフェミが、と仰る方々は「フライデーや週刊現代をつぶさに読みこなすスマートな教養人のみがテレビを楽しめるのであって、一般大衆は大人しく哲学書やジャーナルでも読んでろこの愚民共が!」ということを教えてくださってるのだ。

 

結局これって、テレビを見ている視聴者がどれくらい前知識を持っているかによって答えが変わってくるんじゃないかな。

カンニング竹山さんとマエケンさんの関係だとか、マエケンさんが自分のセクシャリティをどうカミングアウトしていたのかとか、周りにいたお笑い芸人の人達とマエケンさんの関係だとか、そういうものを踏まえて「すべらない話」を見れば、カンニング竹山さんがオカマを嘲笑う意図で話したのではないと分かるのかもしれない。

吉田沙織さんが常々結婚したいと公言していることを知っていれば、紅白歌合戦で「どうすれば結婚できますかね?」と言われるのも彼女の意思を尊重しているからこその発言だと分かるのかもしれない。

 

でも、キムタクの性別すらよくわかってないくらい芸能界に興味の無い私がすべらない話や紅白歌合戦を視聴したら、オカマを嘲笑ってるし女を見下してると感じる。

 

他人のセクシャリティをみだりにアウティングすることや、女に結婚願望を強要することは、現代社会においてはできるだけ避けるべき話題である、ということは共通認識として成立している。今回のカンニング竹山さんの「すべらない話」を適切だと考える人もべつに「アウティングは善であり積極的に行うべきである」なんて言いたいわけではなくて「あれはアウティングではないし、同性愛だから笑いが起こったのではない」ということを主張しているのだろう。

 

芸能界という特殊ルールにおいて、カンニング竹山マエケンという二人の文脈において、「すべらない話」は笑いに成り得る。逆にいうとカンニング竹山マエケンという文脈を知らなければ「すべらない話」は笑いに成り得ない。

もはやテレビは歌舞伎やオペラと同じ、その業界のお約束を事前にみっちり勉強していないと理解不能なものになっているのだと思う。テレビは一部の教養ある文化人にのみ許されたハイソサエティな娯楽なのだ。

 

 

 

勧進帳」が忠義物になりえるのは弁慶と義経の逸話を知っているからで、前知識無しに「勧進帳」を見ればただの児童虐待でしかない。

源氏物語」が豪華絢爛な王朝絵巻になりえるのは和歌や香を知っているからで、知らなければ光源氏はただのマザコンでしかない。

それと同じように、「すべらない話」を楽しむためにはカンニング竹山マエケンの逸話を把握していなければいけない。

芸能人のプロフィールを覚える努力を怠るような一般市民にはテレビという娯楽は分不相応なのだ。あれらの発言に対して不快になるというのは己の無知を曝け出す愚かな大衆の憐れな行為であって、あれらを許容することこそが教養ある上流市民の嗜みなのだ。

 

それにしてもさ、前知識なしにフラットな目線でみたら不謹慎で他人を傷つける話題を、「これは前後の文脈を知っていればイジメじゃないってわかりますぅー(ドヤァ)」なんていって見せ付けるなんていう娯楽はやっぱりあんまり洗練されてるとはいえないんじゃないかなぁ。

と、思ったんだけどそういえば京都のイケズとかイギリスのユーモアとか、悪口だけど悪口じゃないと言い張るのはわりと教養の基本だった。テレビすげぇ。超洗練されてるじゃん。

 

 

最近仕事で物理演算をしなくちゃいけなくて、いろいろと調べたけど条件に合致するソフトがなかなかみつからなくてしょうがねぇなってことで自作したんだけど、なんていうのプログラミング?的なジャンルって説明がめちゃくちゃ分かりにくくてちょっと引いた。プログラマの人って説明下手な人多すぎ。

演算自体はマイナーだけどそんな難しいもんじゃないから、テキトーにググってなんかよくわからんコード?ていうのあれ?をコピペして一週間くらいいじってたらそれっぽいものができたんだけど、正直自分がなにをどうしたのかさっぱりわかんない。自社ソフトだからそれで別にいいけど他社に提供するクオリティのものを作れる気がしない。

 

だけど世のエンジニアとかプログラマとかいわれてる人はあのわけわかんない説明を読み解いて立派な製品を作っているわけで、すげぇ読解力だなって思った。それに比べて私の業界の人達の読解力のゴミっぷりは一体何なんだろうと考えてみた。

ほんともう医学界の人頭固すぎ。ていうか頭悪すぎ。一度刷り込まれた知識を更新できないとかおまえらトリかと。いっぺん死んで霊長類からやり直して来い。

 

おそらくIT業界の人にとってプログラミング言語というのは更新されるのがあたりまえのものなんだろな。だから今学んでいた知識と全く違う知識を提示されても拒否反応を示したりしない。「初めて学んだプログラミング言語がBASICなんで、javaとかC言語とか分かりません」なんていう寝ぼけたプログラマはいないじゃん。それはBASICを勉強した時点で「BASICは通過点にすぎない」ということをちゃんと前提として知ってるからじゃないかなって。

だからあんなわかりにくい説明にもちゃんと食らいついて勉強できるんだろな。いいなぁ。

 

でもって、医学業界の人達のトリ並みの頭の悪さってのはたぶん、「医学は唯一絶対の正解を示さなければいけない」という思い上がりに由来してるんじゃないかな。

馬鹿すぎてやんなる。

そうやって重過ぎる重圧を背負って、解決不可能な問題を華麗に解決することを期待されて、だから自分に都合の悪いことはどんなに理路整然と示されても絶対に認識しない。うん。そういう症状、精神医学の教科書に載ってたね。

統合失調症の研究が進まないのは医学自体が統合失調症だからなんだろな。

 

金のことしか考えない人を量産する市場主義はそろそろ時代遅れだと思う。

最近仕事の幅が広がっていろんな人と話す機会が増えたんだけど、みんなほんっとーに金のことしか考えてないなと思う。

「この人の求めているニーズにぴったり合致するサービスが、自社には無いが他者にはある」って分かっていても高額で使いにくい自社サービスをすすめるし、「このサービスは絶対世のため人のためになる」と思っても自分の利益にならなければ手を貸さない。そうして世の中には使いにくくて高額ですぐ壊れるゴミが溢れかえる。

 

セールスマンの言いなりの情報弱者なんか高額商品を掴まされてしまえ、と思うかもしんないけどね、プロが隠した情報を素人が見つけだすのは不可能よ?ネットで検索して出てくるのはみんな誰かからの又聞き情報で、それの一次資料はプロがコントロールしてるからね。『情報強者』なんてのは所詮プロの創り出したゲームをやりこんでるだけでゲームそのものを知っているわけじゃない。

 

私も含め、社長という人種はカネのことしか考えない。だって死活問題だもの。カネがなくなったら闇金のウシジマ君みたいなことになるもの。

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ちょうわかる。まじ死ぬ。

 

まぁ返せないほどの借金を抱えるようはヘマはしないけど、それでも地震が起こったり戦争が起こったりは想定できないから可能性はゼロではない。

 

そんな中で企業はカネのことを考えざるをえなくて、不便で高額で効果はイマイチなゴミを売りつけざるを得ない。そうやって企業が社員を養って、その社員たちはゴミを売ったカネで今度は他社の作ったゴミを買う。

嗜好品なら別にいいよ。生活必需品でもまだ許せる。だけど命の現場でゴミを量産してて、ゴミをゴミと気づかずありがたくおしいただいている人達を見るとほんと死にたくなる。

 

だけど、企業活動が当たり前で、企業がつくったゴミで埋め尽くされている社会で、人を助けるのはデメリットしかない。せっかく助けた人は企業の歯車になってゴミを売りつけにかかる。社会のゴミを減らそうと活動すればするほどゴミを量産するシステムが強化される。

 

私が誰かを助け続けても、私が困ったときには誰も助けてくれない。私に救われた人達は、私が失脚すればマスコミの尻馬にのって人生破滅するまで追い詰め断罪する。

でもカネとコネさえあればどんなに批判されても破滅しない。NAVERまとめとか電通とかねww

そりゃ人助けなんかだれもしないよね。よりよい商品なんか作らないよね。現代社会では詐欺商品売りつけて大もうけするのが一番安全で安定する選択だ。

 

 

なんかもう、やんなる。

 

もうさ、『営利企業』っていう形をやめたほうがいいと思うんだ。

社会がゴミで埋め尽くされてしまう現状は、「企業の営利を追求する」という形の組織が社会のほとんどを占めているから起こっている。まぁね、身分制度が決まってて百姓は奴隷のように働かされてた時代から比べると相当いいとは思うんだけどね、経済成長がこれ以上期待できない現状に『営利企業』というシステムはもう時代遅れなんだと思う。

 

誰かを助けたら、自分が困ったときに誰かが助けてくれる。

今後必要とされるのはそんなゆるやかな相互扶助のシステムなのだろう。

 

 

まぁ、そんなの作ったってどうせ叩かれて潰されるんだから、私はがっつり稼ぐけどな!

庇護してくれる人から離れるのは大切なことだと思う。

なんかこう、なんていうか、すでにばっきばっきに壊れてる私が偉そうなこと言えないのかもしれないけどさ、ていうかほんと超おせっかいなんだけどさ、おばちゃんこれだけは言いたい。ウザいと思うけど自分のブログでこっそりつぶやくだけに留めておくんでこの記事を見ちゃった人はイタいババアだなと思いながらなまぬるくスルーしてください。

 

 

 

親を愛してしまうのは、つらい。何の落ち度もない親であれば、嫌うきっかけがみつけられないぶんなおさらつらいだろう。そしてそのつらさは何の疑問もなく親孝行とかできちゃうタイプの人達には理解されなくて、まるで私達が親を愛していないかのように責められてしまうこともある。

だけど愛しているのと相手の価値観に取り込まれるのは全然別のことで、そこを区別するのは責められるような行為じゃないと思う。

 

smr0617.hatenablog.com

 

 

それから、私が親になって初めて分かったことなんだけど、親は子供の気持ちが分からない。

そんなのあたりまえじゃん親子といえど他人なんだから、と思うけど、でも子の立場しか知らなかったころにはやっぱどこかで親は何でもお見通しのような気がしてしまっていた。でも親は神でも千里眼でもなくただ少し年をとっただけの人間でしかない。人生に正解なんてないし、自分の人生に責任を取れるのは自分だけなんだから、自分でいいなと思ったことをやってみるしかない。それで思った結果が出なかったとしてもそれは次につながる貴重なデータだ。一度の失敗をあげつらう人もいるけど、成功確率が1%だったら速やかに300回くらい試せば1回くらいは成功するわけで、失敗なんてその程度のものだから。

 

 

ていうかね、私も大学生のころに精神疾患わずらって実家に強制送還されたことあんのよ。そんでまじ両親ウザくてあやうく暴力振るいそうになってこりゃヤバいだろってことで全力で逃走した。私の友達でも両親と盛大にもめた人いっぱいいる。20前後ならいざしらず、30すぎたら両親と揉めてない人のほうが珍しいよ。

だから決定的な亀裂が入ってしまう前に距離を置くのはとても大切なことだと思う。我慢に我慢を重ねてある日耐え切れずに包丁とか持ち出して刑事事件になっちゃったらもう関係の修復不可能になるから。

口げんか程度なら数年後には笑い話になるし、殴りあい程度なら十年後には仲直りできてるだろうけど、出刃包丁を向けられると一生許せないよ。理性では許そうとしても頭がついてこなくて膝がくがく震えるよ。だから変にこじれるまえに距離を置くのはお互いのためだ。

 

 

 

てことで、大学生とはいえいい年した子供が親の庇護下に入るっていうのはそんくらいウザいのが普通だから別に気にすることないんじゃね。いつまでもママにべったりとかそっちのほうが気持ち悪い。

ただほんともう自分と相性の合わない人っているわけで、そういう人には「この親不孝者が」みたいな明後日な方向から非難されるかもしんないけど、そういうの我慢して一緒にいる必要なんかなくて、嫌な言葉はスルーして自分にとって居心地のいい場所を探したほうがお互いにとって幸せじゃん。変な遠慮で才能潰すより、好きな場所でのびのびしてたほうが天下国家に貢献できるから。

ていうかほんともう才能ある若者が潰れてくの見てらんない。その才能こっちの分野で開花させろよマジ人手不足なんだよ物理演算エンジン超つかえねー!流体とか爆発エフェクトとかどうでもいいから剛体を普通に動かしてくれ。てことでこっちの分野に来て開発とかしろください(やつあたり)

 

とまぁ何が言いたかったのか自分でもよくわかんないけど、みんな幸せになれるといいなぁと世界平和的なものを祈ってキレイな感じで終わっておきます。

 

 

年末年始の親戚関連のウザさを断捨離して爽快。

最近親戚から「似てる芸能人はロックオン・ストラトス」という超微妙な評価をいただいたhedgehogxですこんばんは。ロックオンて。芸能人じゃないどころか二次元ですやん。まぁその以前は「ウサビッチのスニーカーのほう」とか「渥美清」とか「近所に住んでる前科二犯のおっさん」とか言われてたんで大出世だけど。

 

てことで年を重ねるごとにウザさが増してきた親戚づきあいをばっさばっさと絶捨離して今年はついに年賀状を一枚も出さずにすんでヒャッハーしてる。

結婚まだか子供はまだか攻撃もうざいけどね、子供がいるからって親戚攻撃を免れるわけじゃないからね。ていうかむしろ子供を人質にとられてるわけだから逃げられない。私が子供だったころ私の親も同じように葛藤してたんだろなっていうこともわかって二重三重にトラウマ踏み抜くんだよどんな拷問かと。

 

 

子供のことってほんと距離感が難しくて発狂しそうになる。

私としては子供なんて他人でしかないし他人の人生にあれこれ口出すのは最も罪深いことだと思うのですよ。親にできることなんて衣食住を保障してあとはせいぜい教育を提供する程度じゃん。あとは本人が希望したときに助言する程度しかできないじゃん。

 

なのに子供って親がちょっと演出しただけでサンタさんとかめっちゃ普通に信じちゃうんだよ。ニンジャも妖怪もオバケも普通に存在してるんだよあいつら。実写とアニメの区別もついてないからアンパンマンが世界の平和を守ってるって本気で信じてるんだよ。

 

彼女の世界は私が話したことと私が見せたものだけで構成されていて、私が彼女に見せなかったものは彼女の世界には存在しえない。彼女にとっての私は万物の祖みたいなことになっちゃってて、私の信じる世界がそのまま彼女の信じる世界になってしまう。

私が「障害者はかわいそう」といったら彼女の世界での障害者はかわいそうな存在になるし、「外国人は下等」っていったらそうなるし、「異質な子はいじめていい」って言ったらそうなるし、「女は女らしく」って言ったらそうなる。

そういう親からの呪縛は大人になってもなかなか修正できなくて、いろんな人がいろんな所ですっごい苦労してるの知ってるし私もすっごい苦労して「なんで親って子供を洗脳するんだろう」と思ってたんだけど親が子供を洗脳するんじゃなくて子供が進んで洗脳されるんだって分かった。

 

てなわけで親vs子の二者間だけでもヤバいのに、親戚はそこに容赦なく追い討ちをかけてくるわけですよー。これはもう鬼の所業ですよ。

なんなのもっと行儀良くさせろとか逆に行儀良すぎるとか服装が女の子らしくないとか世間知らずすぎるとか、言いたいことばっか言ってさぁ。あの子大人の言うこと真に受けちゃうからね、めっちゃ気にするんだからね。あとでフォローするの大変なんだから。

 

以前は「何かあったときに頼るかもしれない」という謎の使命感で親戚づきあいに耐えてたんだけど、いろんな現場見てて現代における親戚なんて口だけ出して金も手も出さない邪魔者でしかないなって分かっていろいろ放棄した。

 

なので今年の正月休みはがっつり仕事して来年に備えようと思います。