雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

そもそも夜泣きを泣き止ませなければいけないというのが狂ってる件

たとえば、泣きたいときに問答無用で泣き止ませようとする恋人ってどうでしょう。ちょっとウザくないですか。悲しかったら思いっきり泣いてすっきりしてから今後について考えるほうがよっぽど健全じゃないですか。

 

子供にだって泣く権利はあると思うのですよ。

 

現代日本の、子供を泣かせてはいけないというキチガイじみた圧力は一体どこからきてるんでしょう。

わけわかんない自分の感情をもてあまして大声あげて暴れまわるというのはわりと爽快感があるじゃないですか。むしろ常に泣かないよい子でいることを強要されるほうがよっぽど虐待じゃん。

 

なんだけど、今夜もまた夜泣きする子供を抱えて幽鬼のように徘徊する母親が出没する。

 

子供の夜泣きなんか放置しときゃいーんだよ。どーせ何したって泣き止まないんだし。

 

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もうほんと、頼むから寝て。夜中に子供放置してふらっとコンビニ行って。子供なんかどうでもいいからまず自分を立て直して。

 

子供に付き合って寝不足になるなら、子供は子供部屋に放置してぐっすり寝て、その努力を自分が幸せになれる方向に使ってほしい。親が楽しそうじゃなきゃ子供だって楽しくないから。

 

泣き止ませる努力をする親も、泣き止まなくてはいけない子供も、子供は泣いてはいけないと要求する他人も、みんな得してないと思う。

 

 

 

以下、思い出したので愚痴。

 

私の子供が夜泣き年齢だったころ、私は3つほど仕事を掛け持ちしてしかもそれぞれ落としたら各方面にヤバいことになるガチなやつでその上保育所は迎えが3分遅れただけでガン詰めされて、あげく新婚子無し上司に『子育ては仕事の言い訳にならない』とか言われて、いや私仕事の言い訳に子育てを使ったこと一度も無いしむしろ無遅刻無欠勤で残業してましたけどっていう。なんかもう怒る気力も無かった。

保育園の迎えがあるからあまり残業できないって言うと、だったら仕事家に持ち帰ればいーじゃんって言われるわけなんだけど、分けわかんないガキの面倒みてガキの生活リズムに合わせて寝て起きていつ仕事するんだと。夜中の3時まで仕事してても文句言われない独身と同じ扱いをするなと。

 

とまぁわりと詰んだ状況での子供の夜泣き事案だったもんで正直普通に放置して寝てた。あやすとか授乳とかなにそれおいしいの。死ぬような危険なことだけ排除しておけば好きなだけ泣かせときゃいいじゃん。

 

ていうか、母親に要求される努力というのは大概は無駄なものだと思う。

その子が大人になって不良になったとして「母さんが夜泣きしてるオレを放置したからオレはグレたんだ」とか言ったら大笑いでしょ。「母さんが紙オムツを使ったからオレはヤクザになったんだ」とか「離乳食のもぐもぐ期にせんべいを食べさせたから引きこもりになったんだ」とか、ないわー。

ちびっこなんか怪我させたり萎縮したりさせなきゃあとは別になんでもいいのに、不安を煽ってくる輩が多すぎる。

泣いている子供を放置するのをネグレクトだとか虐待だとか言うのは暴言であるということ。

 

ぶっちゃけ、私の世代というのは10代20代をドブに捨てた人が多いと思う。かく言う私もそう。いい高校に行っていい大学に行って大学院に行っていいいい就職をしろ、それ以外の余計なことに目を向けるな、一度でもドロップアウトしたら人生終わりだ、みたいなことを言われてレールの上を歩いてきて、社会に出てから盛大に梯子を外されて自分自身のサバイバルスキルの無さに愕然とした。

レールに乗って言われた通りのことをすれば安泰な人生が約束されている時代は去った現代で私が子供に教えていけることはなんなのだろうと考えました。

 

で、子供って「花屋になりたい」「消防士になりたい」とかふわふわしたことを言うじゃないですか。それに対して我々が提供できることというのはせいぜいキッザニアしかないというのは非常に嘆かわしいことだと思うのです。

花屋になりたい子に必要なのはフラワーアレンジメントじゃないし消防士になりたい子に必要なのは消火器体験じゃない。もっとこう、店舗の家賃とか税金とか減価償却とか集客とかそういうものじゃん。もうちょっと噛み砕けば、きちんと書類を書けるとか、礼儀正しく他人に資金援助を頼めるとか、そういうスキルじゃん。

 

そもそも、子供を泣かせるのは親の怠慢という日本や韓国辺りの不思議な風習がすでに狂ってる。

親の仕事は子供を泣かせないことじゃなくて、泣くことによって自分の感情を認識し合理的に他者に働きかける方法を模索する姿勢を支援することじゃないかと。いーっぱい泣いて、泣きつかれて、それでも釈然としない自分の心を抱えて、なぜ自分はこんなに泣いてるんだろうと内省し自分の欲求に気づけるだけの時間と空間を保障することじゃないかと。でも現代社会でそれをできるのは精神科の保護室くらいしか無いっていうね。そりゃ自殺者増えるわ。

日本のお母さんは子供が泣き始めたら大慌てで泣き止ませようと飴玉を口につっこんでくる。子供は自分の欲求に自分自身で対処する術を奪われ、欲求は他者が無条件で満たしてくれるものだと学習し、同時に他者の欲求は無条件で従うべきものだと学習する。

空気を読みすぎて死ぬ立派なエコノミックアニマルのできあがりだ。

 

 

個人的には、この欲求の先読みが統合失調症の妄想とか幻聴といわれるものに繋がるんだろなと思ってる。

ヨシケイの宅配サービスに闇を垣間見る

ヨシケイの食材宅配サービスというものがある。

なんでも、毎日のレシピを勝手に考えてそれに必要な食材を毎日届けてくれるから、消費者はただヨシケイの指示通りに調理するだけでいいらしい。スーパーに買い物に行ったり献立を考えたりする手間なしに毎日立派なご飯が食べられるというサービス。

毎食たったの30分のカンタン調理。

 

いや料理に30分もかけないし、食いもんなんて腐ってなきゃなんでもいーじゃん。

キヌアの照り焼きハンバーグやられんこんの塩きんぴらやらいう調理実習に出てくるみたいなご飯とか毎日作って食べなきゃいけないとかなにそれ怖い。

 

しかもそんなにおいしくない。

ヨシケイの名誉のために言っておくと、ヨシケイの宅配ごはんはそのへんのファミレスなんかよりはよっぽどおいしいとは思う。でも近所のばあちゃんが趣味で作ってる完全無農薬野菜とか、毎日産みたて烏骨鶏卵とか、明治時代の蔵で作ってる醤油とか、手作業で挽いてその場で打った霧下蕎麦とか、そういうのに慣れちゃうと量産品の薬品臭が気になる。

 

なんか、毎食きちんと立派な一汁三菜を食べなきゃいけないという呪縛にかかってる人が多すぎると思うんだ。そのくせ食材の品質とか安全性とかそういうのを見分ける味覚すら磨耗して立派なパッケージだけに振り回されて手間だけが無限に増えていく。

 

 

コンサートもそう。

最近クラシックですらなんのためらいもなくルーチンでマイクを使う。でもマイクを通してスピーカーで流れる音を聞くならCDで十分なわけで。わざわざコンサートに行くってことは生の音を聞きに来てるわけなんだけど。生の音と電子音の聞き分けすらできないのになんで音楽聞きにくるんだか意味わかんない。

 

 

自分の目と耳と鼻と舌と皮膚で確かめる、ということを放棄してキャッチコピーだけに頼って写真映りのいいご立派なものを求めて薬品漬けの不自然なものをありがたがるのほんとに気持ち悪い。

発達障害の天才児はなぜ大成しないのか考察

なんとなく一つ腑に落ちたのでメモ。

例えば円周率を暗記するにしても、ただお経のように暗唱するタイプと頭の中で割り算しながら答えを出していくタイプの二種類がある。

お経のようにひたすら答えを暗唱するタイプは能率がよく、小学生の時点で一万桁くらい暗唱できたりする。そういうタイプは小学校や中学校での勉強は暗記で押し切れるからそこそこ成績がいい場合もあるが大学から伸び悩み、社会的にも学術的にも大成しにくい。

頭の中で割り算しながら答えていくタイプは能率が悪い。世界レベルの天才ならいざしらず普通に会う程度のプチ天才であればせいぜい数百桁程度しか答えられない。だから彼らはとても地味で、成績もそんなに良くなかったりする。でも彼らは社会的にも学術的にもわりと成功しやすい。

 

で、この差ってなんなんだろうとずっと疑問だった。

円周率の答え方であれば分かりやすいけど、なんかもっと生き方というか考え方のフレームが根本的に違う感じ。同じ答えを言っているはずなのに、むしろ私より能率よく答えを言えているはずなのに、彼らのあの違和感や話の通じなさや根本的な所が分かっていない感はなんなんだ、って。

 

最近小さい子にカードゲームを教える機会があっておもしろかったんだけど、小さい子が一番初めに興味を持つゲームは意外なことに神経衰弱だった。もっとストーリー性のあるすごろくとかのほうが小さい子にとって分かりやすいのかと思っていたんだけど、極限まで条件を単純にした暗記にどの子も一番興味を持つ。そういや私も小さい頃神経衰弱にはまった気がする。

そして大概の子は成長するにつれ神経衰弱の単純さに飽きて他のゲームに手を出していくわけなんだけども、一部の子供は成長しても神経衰弱に嵌り続ける、というか、神経衰弱より複雑なゲームを理解できない。そういうのがいわゆる発達障害と言われていて円周率を何万桁も暗記するタイプなんだろなって思った。

記憶力だけは向上してもより複雑なルールや手順に興味を示さない、てことであればそりゃ人間関係も上手くいかないし学問だって極められないわ。

 

平凡な人、というのは興味を様々なところに向けられる子、ということで、一点に突き抜けた暗記力を示す人、というのはブリンカーを着けられた馬みたいにごく狭い範囲にしか興味を向けられない人、ということで、言い方悪いけど、彼らの頭の中は2歳児レベルで止まってる、と思えば納得いく。メモリだけ増設したXPみたいな。

 

一昔前だったら暗記力だけでも評価されたかもしれないけど、コンピュータの普及した現代では暗記なんか機械にやらせといたほうがよっぽど能率いいから使いどころが無い。そのあたりも発達障害が最近注目されはじめた一因なんだろう。

 

うん。二歳児にまともに怒っても仕方ない。すげー納得した。

 

子供の発想をちやほやすることの残酷さ

子供向けの娯楽は大人がお膳立てして子供はお客様になることがほとんどだ。表向きは子供主体という体裁でも結局親がほとんど作成する。それに疑問を持たない人だけが保育や教育に携わることができる。大学を卒業して社会に出るまでずっと子供はお客様でありつづける。

自分の子を育てていてほんと思うんだけど、子供社会の中で「計画して他人に協力を仰いで実行して成し遂げる」という社会人なら必須のスキルを訓練する場が全く無い。

大人がやるべきことは魚を与えることではなくて魚の釣り方を教えることのはずなのに嬉々として子供の奴隷に成り下がっているばかりか他人にも奴隷になることを強要する馬鹿が多すぎる。ほんともうやんなる。頭おかしくなる。気持ち悪い。視ね。

 

ガキってのは「明日お弁当いる」とか普通に言うわけですよ。

でも明日お弁当を作るためにはどれだけの食材と時間が必要で、食材を買うためにはいつどれだけの時間を確保しなくてはいけなくて朝どれだけ早起きしなければいけないか、かつ私が今どれだけの案件を抱えて何徹目なのか、そういうことを全然考えずに親に弁当がいることを言いさえすれば自動的に弁当ができあがると思っているわけですよ。

それって徹夜明けに5時起きで弁当を作らされる親も不幸だけど子供にとっても不幸なことだ。だって自分で弁当を作る方法を知らないガキの弁当は母親の機嫌次第で左右されてしまうものになるから、ガキは母親の顔色を常に伺わなくてはいけない。これから先の人生ずっと食事を作ってくれる他者に依存しなければいけないわけで、生きる術を奪うというのは長期間に渡って多大な傷を残すなかなかエグい虐待だってことはもっと知られるべきだと思う。

 

 

結局、親が子供にやってやれることってのは自分で弁当をつくる方法を教えることだし、自分で弁当が作れないなら責任持って他人に依頼する方法を教えることなはずなのに、その辺ほんっと教わる機会がないのな。自分が何を望んでいて、それはどのようにすれば叶うのか、を自覚するというのはバレエやテニスのお教室よりよっぽど必要なスキルなのに。

ていうかむしろ子供に弁当作ってやるのが親の務め、弁当つくってやんないとか怠慢、みたいな馬鹿みたいな責められ方をする。いや忙しいから弁当つくんねーよなんでもかんでも一言言えば思い通りになると思うなって教えるほうがよっぽど子供のためじゃん。

子育ては親の責任とか言ってる人は恥ずかしくないんだろうか

ほんともう保育園問題をどうにかしないとそろそろ思いつめてテロとか起きるんじゃないだろうか。

nue-all.hatenablog.com

保育園落ちて仕事やめざるをえなくなったら起業しちゃうのがおすすめ。起業してます、てことにすれば保育園の優先順位も多少は上がる。収入も多少はあれば随分違う。

ただし、起業するからっていきなり莫大な投資とかするのは絶対やめといたほうがいい。はじめは1000円2000円単位で試行錯誤しないと詰む。

あと私はやったことないけど最悪離婚するという手もあるらしい。片親だと優先順位がぐんと上がるから。まぁこの先馬鹿みたいな養育費がかかってくることも考えると離婚程度で仕事やめずにすむならそっちのがいいよね。

 

 

 

 

以下おなじみの愚痴。

よそ様のコメント欄で喧嘩売るのはよくないので、自分のブログでぶちぶちと愚痴ることにする。ほんとーーーに子育てって大変で、その上よく知りもしないくせに上から目線の暴言吐いてくる馬鹿がいーーーっぱいいて、みんな死ねって気持ちになる。

 

「産んだ以上親が面倒みろ」とか、言ってて恥ずかしくないの?

 

子育ては人的資源の育成で、医者も弁護士もタクシーの運転手もコンビニのバイト君も全てかつての子供で、誰かが苦労して育てたから一人前の大人になっているわけで、子育てしないってことは社会が潰れるってこと。

子育てのリスクとコストは親に全てなすりつけて、子育てのメリットだけは湯水のように消費する。労働を強いて対価は支払わずメリットは当然のように受け取る、それって奴隷だよね。同じ人間扱いしてないよね。

現代日本では子を持つ親は社会の奴隷と化している。

 

なにがむかつくって、育児放棄するとかありえない、ってドヤ顔で言ってる人がまるで自分は正義みたいに思ってることだよ!お前らのうすっぺらい正義感を満足させるためにどんだけの理不尽を強いているのか少し考えてから発言しろと。

 

 

これだけ複雑化した社会では、不公平や搾取を完全に無くすことは難しい。だけど良識ある市民として最低限、自分が今やっていることは搾取ではないかという疑念は持つべきだ。

精神疾患は二種類に大別できる気がしたという与太話

なんかふっと思ったのでメモ。

病名問わず精神を病んでるといわれる状態の人ってなんか2種類に分けることができる気がするなと長年うっすらぼんやり思ってたのを改めて考えてみた。

 

なんか、大概の病んでる人って結局ストレス耐性が低い人だなって感じがする。

自分のストレス源が何かすら気づいていない感じ。

人は何のきっかけもなく欝になったり過食に走ったりしない。病気になるってことはなにかしらの原因があるんだけども、病気をまるで天災か通り魔かなにかのように思ってるタイプの人がいる。

気づいたらご飯食べられなくなってた!なんで?

なんか知らないけど学校行けない!なんで??

みたいなことになって精神科に行ってそれらしい病名をつけてもらって「ビョーキだから仕方ない」みたいな。そんで薬飲んで入院すれば治るんでしょと思って何十年も放置しちゃうみたいな。

そういう思考パターンが有利な場面もあるんだろうけど、何のサポートも無く精神科の結構強い薬を漫然と処方されてしまう現状を考えるとあんまり上手くいかないことのが多いんじゃないだろうか。こういう人達に必要なのは自分を客観視するフレームワークじゃないかと思うんだけど残念ながら投薬と手術で儲けるシステムができあがってる医療の中でそんなことは誰もやってくれない。

 

 

で、大抵の人は上記のようなストレスへの対処が下手な人なんだけどそれとは別の原因もある気がしてて、なんていうか発達障害とかに近いようなパーソナリティと社会との間の齟齬っていうか。

 

たとえばうつ病と診断されたとして、ストレス耐性が低すぎるタイプのうつ病ってのは激務だとか機能不全家庭だとかそういう過剰なストレスに気づけなくてどうにもならないくらいまで放置した結果として体がダウンしちゃった状態なんだと思う。

でも社会と個人の齟齬のタイプの人の場合は、もともとうつ状態が普通の人、みたいな。体質的に体力が無くて一日中ゴロゴロしてたくてできればベットから出たくない、みたいなタイプ。だったらずっと怠けてれば問題ないんだけどそれが許されないからストレスになってしまうタイプ。

この二つって全く区別されてないけど実際には真逆なわけで、そのあたりよーく見極めるの大事だと思う。

 

図にするとこんな感じ。

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同じ診断名なのに性質は全然違う。なんていうか、水虫と火傷を皮膚の病変ということで一括りにして同じ処置してる、みたいな違和感。

 

そんでもってこの二つを同時に発生させる構造がダブルバインド、と思ってみるとすごく分かりやすかった。

 

 

これうつ病だとわりと分かりやすいけど、統合失調症とか解離性障害とか双極性障害とかになるともっと分かりにくくなる。ていうか、そんなキチガイじみたパーソナリティの人が存在するということが健常者様には理解しがたいのかもしれない。

だからもともとの個性の発露を無理やり強制しようみたいな発想がすごくあって、なんだよおまえらノーマライゼーションとか習わなかったのかよって思う。ICFとか口先ばっかで本質を全然理解してなくてほんとめんどい。