雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

私が自宅出産を選ぼうとした理由と選ばなかった理由

ツイッターで自宅出産や助産院出産の肯定派と否定派の問答をみて、まだこんなことやってるんかいなと思ったのでちょっと書いてみる。

 

まず、前提として

  • 医療設備のない自宅や助産院出産は超危険。結構な確率で死ぬ。
  • 死ぬだけならまだしも、下手に救急搬送するもんだから重度障害が残ることが多い。
  • でもなんだかんだで8割9割は母子ともに健康に出産できる。
  • もちろん病院だろうとNICUだろうと確率が低くなるだけで死ぬときは死ぬ。

てのはどれくらい理解されてんのかな、てのがちょっと疑問だった。マタニティヨガや葉酸出生前診断は出産リスクを下げるけどリスクゼロにはならない。人間死ぬときには死ぬ。とくに出産前後では結構死ぬ。

 

それを踏まえたうえで私は自宅出産しちゃおっかな、妊婦検診も受けないどこっかな、とちょっと思った。

なぜかと言うとそのころ私はけっこう大変な状況で、うっかり障害のある子なんか生まれてきたら生活できない感じだったから。この「生活できない」てのは一般に予想されるような経済的困窮であれば「そんな状況で妊娠してんな」「その程度であきらめんな」とかいう批判もあるかと思うけど、もっとエグくてサイコでちょっと普通じゃない感じに「生活できない」だったので当時すごく追い込まれていた。いやそのあたりの事情は今関係ないんだけど、まぁとにかく足手まといになるような子であれば育てられない状況だった。

なので、障害のある子が生まれてきたら責任持って子を殺そう、そして私も死のう、ということで子と自分の首をくくる丈夫な縄と柱を用意したうえで自宅で出産しよっかな、という選択肢を考えた。普通の精神状態だとなかなか自殺には踏み切れないけど、出産ハイになってるときならいけると踏んだ。逆に相当な高揚感がないと死ねないんでやるなら出産のときしかない、という理由での自宅出産しちゃおっかな、だった。

 

てことで、自宅出産や助産院出産を選ぶなら死と殺人を覚悟しといたほうがいいですよ。どんなに健康に気を使っても死ぬときは死にます。死産や胎児に障害の残る確率は病院出産に比べ自宅や助産院出産のほうが圧倒的に高いです。自分の子とはいえ人が死ぬ場面を見るのはエグいです。自分が死にそうになるのはもっとエグいです。血とか臓物とかの掃除が大変です。素人さんならトラウマものです。あと中途半端に救急搬送されると重い障害が残ることがあります。障害で子を苦しませ子の世話で親の一生が潰れるのが嫌なら救急車は子の死亡を確認してから呼ぶこと。半端に生きてる状態で搬送されると医療スタッフもすごく大変なんで勘弁してください。

 

 

私は、子を殺すことも殺される子も不幸だとは思わない。

いいじゃんどうせ人間なんていつか死ぬんだし。胎児の意見なんか聞けないんだから私が決めるしかないんだし。ていうか胎児と話をした人はいないんだから、胎児が生きたいと思ってるかどうかわかんないじゃん。「生きるとかマジだるい。死産GJ☆」とか思ってるかもしんないよ?

 

その後いろいろあってやっぱ病院出産しよう、子に多少の障害があっても育てていこうと決めたのだけど、それが私と私の子にとって幸いなことだったのかどうかは微妙なところだ。というより、私の感覚としては死と殺人を覚悟する自宅出産より安心安全な病院出産のほうがよほど不幸だった。

 

一般的には命は何よりも優先されるべきものだと言われる。実際死にそうな人は問答無用で気管切開され胃ろうをつけられ生かされる。死は敗北であり裏切りであり全ての人にとって避けるべきものだと多くの人が何の疑問もなく思い込んでいる。『私は死にたくない、だからあなたも死にたくないに違いない。そして胎児も死にたくないに違いない。ソースは私の感覚。』みたいな理論がまかり通っている。そんな理屈が支配する中で私と私の子の命を他者に委ねることは恐怖でしかない。

 

ただ、これはあくまで私の選択であってそれを他人に押し付ける気はない。人には死ぬ権利もあるけど生きる権利もある。どちらにしても覚悟をもって選べばそれでいいんじゃないかな。

景気さえ回復すれば戦争がおきてもいいってほど日本は困窮してるのか

なんでみんなこんなにヤバい自民党をそれでも支持してるのかな?て思うと、やっぱ景気回復してるから、なんだろなぁと。そして私はアベノミクスやら景気回復やらを全然実感できてないリベラルw層だからこそ安部政権をヤバいとかいえるのだろう、と思うのです。

 

うーん、でもさぁ、いっくら給料上がっても戦争起こっちゃ意味なくね?

てのが多分私を含め安部政権に懐疑的な人の言い分だと思うんだけど、多分そのあたり全然噛み合ってないんだろなぁ。

別に安部氏が大嫌いだから安部氏のやることは全部否定したいとかじゃなくて、それなりに評価してるんだけど、経済政策以外の思想統制みたいな気持ち悪さがヤバくね?目先の豊かさに惑わされて国民主権を放棄してる件についてはどう思うの?ってところを考えてほしいんだけど。

 

 

て、こういうの↓読みながら思った。

このまとめ自体はまぁくだらないんだけど、安部支持者と反安部との温度差みたいなのがすごい印象深い。

togetter.com

 

 

ていうか私は富裕層wなリベラルwwなので貧困とか就職難とかいまいち理解できてないのかもしれない。いやそれなりに苦労したけど。わりと苦労したけど。今も苦労してるけど。でも私の苦労ってのは少なくとも国民主権と天秤にかけるほど重大なものじゃない。

逆に、もし私が憲法変えて共謀罪やらなんやら成立させてしまうような安部政権を支持することがあるとしたら、ものすごく困窮してるときだと思う。それこそ今日のご飯がないから隣の家から盗んでくるしかない、くらいの。

てことは現在安部政権を支持してる人ってのは今日のご飯にも困るような人達なのだろう。たぶん。経済>>>>>>人権 な政権を選択せざるを得ない状況というのは、ちょっとそれ以外思いつかない。

 

いやでも、これ言っちゃうとすごく怒られるかもしんないけど、そこまで困窮してる人って日本にそんなに沢山いるの?

経済>>>>>>>人権 だよ?

そこ等価交換してしまうくらいの困窮ってすごくね?ギブミーチョコレートってことじゃん。ホタルの墓やはだしのゲンレベルじゃね?派遣の人とかってそんなに貧しいの?やば、私もしかしてマリーアントワネット化してる?

 

 

人間というのは自分に見えているもの以外を想像するのが難しいイキモノです。なので、安部支持者のみなさんはぜひ 経済>>>|越えられない壁|>>>人権 という狂った選択をしてしまうほどの困窮を言語化してほしい。どれほど困っていてどれほど苦労していてどれほど不当な扱いを受けているのか。きっと産業革命後のアメリカみたいな惨状になってるのでしょうから、そのあたりきっちり発信してもらって、そこからやっと対話が始まるんじゃないでしょうか。

 

幸せな老衰のためには超絶金と手間がかかるということ

 

現代日本で穏やかな最後を迎えることは無理ゲーです。いや大富豪だったらいけるかもしんないけど。普通の経済力だったら無理。

だって病人の世話するのってすげぇ手間かかるもん。

クリストファー・リーヴっていう脊髄損傷になった映画俳優がいるんだけど、その人の介護者は常時5人くらいいて専任スタッフ何十人だったかがチームを組んでたらしい。理想的な介護ってのはそれくらいの人員がいる。

私も海外の超金持ち病院とかいろいろ見てきたけど、患者一人につき5人くらい専任介護者がいるとちょうどいいかんじだった。日本でこれをやるなら若者は一人残らず全員介護士にならなきゃ足りないね。年寄りの幸せな生活のために国が滅亡するね。

まあ具体的な数字は置いておくにしても少なくとも、患者何十人に対してスタッフ一人とかやってる現状で介護が必要な高齢者が『あたりまえの生活』なんてできないのは一目瞭然だよねっていう。

 

子孫に囲まれて畳の上で穏やかに死ぬ、というプリミティブな方々がイメージされている幸せな死に方、というのは現代日本で実現しようとするとめっちゃくっちゃ金がかかるってのほんとに分かってるかなぁ。

 

なんか、介護福祉を充実させよって言ってる人たちの多くが「だれもがあたりまえの生活水準を享受する権利がある、だってそれが『あたりまえ』だから。」というところで思考停止してしまって『あたりまえ』を実現するためにどれほどの人員と予算を必要としているのかを全く考えてないのがげんなりする。

 

『あたりまえ』の生き方をして、『あたりまえ』の死に方をしたいんだったら引き際をきちんと見据える必要がある。さっさと死ぬ踏ん切りがつかなくてずるずる長生きする(あるいは長生きさせる)ならそれなりの冷遇を受け入れざるをえない。

 

 

ていうか、まずこの国では簡単に死ねない。

昔はちょっと転んだとか風邪引いたとか虫歯になったとかその程度で抵抗力が弱った年寄りってのはころっと死んでたわけですよ。ほっときゃ勝手に死んでくれるからこそ「おじいちゃん死なないで」って泣くこともできたし「最後の時間を有意義に過ごそう」みたいな余裕も出てくるわけで。

年寄りが餅を喉に詰まらせたら救急車呼んじゃうでしょ。急に倒れたら病院行っちゃうでしょ。肺炎になったら抗生物質ぶち込むでしょ。せっかく穏やかに死ねるチャンスを全部摘み取ってめちゃくちゃ手間のかかる老人を量産して家族も福祉も極限まで疲弊してやっとこさ死ねるわけ。そりゃぁ孤独で苦しい最後になるわ。

 

もうさ、年寄り長生きさせるのやめよ?てか、やめたげてよもう。

家族のふわっとした希望で無理やり生かしといて、やれ寝たきりになったとか骨折したとか言って文句言うの誰も得してなくね?もういいから静かに見送ってあげようよ。なんで死なんていう太古の昔から繰り返されている超絶ありふれた現象を受け入れることができないのかほんと不思議。いいじゃん死ぬくらい。どうせみんな死ぬんだし。寿命きたらさっさと死のうよ。

 

トランスジェンダーをLGBTに含めることに対する違和感

この間会ったトランスの人が初めて会うタイプの人でいろんな意味で面食らった。

これまで私の知ってるトランスジェンダーの人って、多かれ少なかれ性別やジェンダー規範の存在そのものに疑問を持ってる人たちで、「男はいやだ、だからといって女になったから問題が解決するわけではない」というのが大前提だった。

でにこの間会った人ってのが昔の金八先生のドラマに出てくるみたいな世間一般で流通しているトランスジェンダーで、そりゃもうテレビに出てくるオカマのお笑い芸人くらいコテコテなステレオタイプだったのでほんとにそんな人いるんだ、そして世の中ではそういう人のが一般的と言われてるんだってのがちょっとびっくりした。

 

 

トランスジェンダーっていってもいろんな人がいるから一括りにはできないんだけど、とりあえず「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」てタイプのトランスジェンダーセクシャルマイノリティとして扱うことに対するすごい違和感があった。だってそれって身体同一性障害の一形態で、セクシャル関係ないじゃん。足が欠損した人が義足をつけて歩けるようになりましたとかそういう類じゃん。

 

男は男らしく、女は女らしく、という規範そのものを脅かすホモセクシャル(ていうかパンセクシャルとかアジェンダーとか)はマジョリティにとって都合が悪くて、だからこそ我々は生きずらいしめちゃくちゃいろんなことを考えなければいけなくなってる。「君は男が好きなんだね、じゃあ君が女になればいい!」とか言われると殺意が涌くじゃん。

 

でも、「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」というタイプのトランスジェンダーというのは、ジェンダー規範自体には逆らっていない。むしろ彼らのセクシャリティは男は男らしく女は女らしくという旧来的な社会構造を支持している。

 

 

 

今回私が話したトランスの人ってのが、身体的な性別と精神的な性別が一致していないという点を除けばすごーーーーく普通の『女性』で、女性らしい服装や女性らしい言動や女性らしい振る舞い全てに疑問を感じてなくて、ほんともうミスコンで優勝するようなタイプの完璧な女性で、そういう人をセクシャルマイノリティの一員とみなすことは当人にとっても周りにとっても不幸なことな気がした。

そういう人にとって必要なのは、ジェンダー構造に疑問を持ってしまうセクシャルマイノリティとのつながりではなくて、己に課せられたジェンダージェンダー規範に則る社会構造に疑問を持たず確固たる社会構造の歯車として生きていけるシスジェンダーとのつながりではないかと。

 

つまり、彼女はジェンダー社会学も無縁のところでかわいい女の子としてなーんも考えずにのほほんと生きていきたいらしいのですよ。なんかもう発想がすごくノンケ。だったら変にマイノリティとコミットせずにマジョリティとして扱うべきじゃないでしょうかね。

 

 

とか思っててそうなってくると私の頭の中では、セクシャルマイノリティというのは『我々をとりまく構造そのものに疑問を持ち、より多用性のある構造を目指して自身と周囲に働きかける人』という定義になってることを発見した。それもう哲学者とか社会運動家とかそういうやつじゃね、セクシャリティ関係なくね。でもまぁ私の中ではそう定義されてるので少なくとも私の中ではそれが正義になってる。

逆に同性が好きだろうが異性が好きだろうが「男は男らしく、女は女らしく、日本国民は日本国民らしく、自民党に投票して長いものには巻かれろ」という人生観を持ってるなら、少なくとも私の感覚としてはそれをマイノリティとは認めがたい。だってそれめっちゃくちゃマジョリティじゃん。

 

てことで、オラオラ系のBL攻め様とか王子様系のGL攻め様とかはあれ私の中ではBLでもGLでもなくてノンケものに分類されてる。ていうかむしろ攻めとか受けとかって男女の恋愛テンプレに当てはめようとする発想そのものがもうむしろBLじゃねーよ、とか思ってるのでオメガバース物とか大嫌い。

あなたの支持する自民党は『あなたの愛した』自民党なのか

 

 

精神障害者は警察と自治体で監視しろとか、国民主権を奪えとか、最近の政治はすごく気持ち悪い。

 

なにが一番気持ち悪いかって、自民党支持者が自分の支持している党が何をやっているのか知らないことが一番気持ち悪い。民主が駄目だったとか言ってるし私も民主党政権はかなり微妙だったとは思うけど、でも共謀罪や盗聴法強化して教育勅語復活させて緊急事態条項を成立させようとしてる自民党はいいわけ?

自民党改憲草案の中身、ほんとに知ってて支持してる?

九条だけじゃないよ、ていうか九条なんてどうでよくなるくらいヤバいことが一杯書いてあるの知ってる?自民党は結婚も就職も政治活動も自由にできなくしようとしてるんだよ。今の日本って「臣民は国民主権という傲慢な考えをただちに捨てるべき」とか発言してる人が政治家やってんだよ。たのむからちゃんと調べて自分の頭で考えて判断してよ。判断できないんだったらせめて政治に口出すのやめなよ。

 

ていうかむしろアベノミクスって効果あった?あいかわらず相変わらず派遣もニートも溢れかえってるけど、これ別に民主政権のときだって大して変わんなかったよね。

田中角栄だってロッキード事件の責任をとったというのに、森友学園で明らかな不祥事があったのに誰も責任を取らない、それくらい不正がまかり通ってしまっている自民党でほんとうにいいわけ?

 

いやそれでいいってんなら別にいいけどさ。別に私はほんとにヤバくなったら海外に高飛びすればいいだけだし。

 

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夫に自主的に家事をさせるとても簡単()な方法

追記。

なんなんなんでこんな伸びてんのこのブログ…みんな珍獣狂人好きだね……

ちな、娘はもう小学校低学年だったので自分の居住スペースのみ掃除して勝手に料理して自分の分だけ洗濯して普通に自活していました。ご安心ください。

追記ここまで。

 

 

 

これまで何をどうやっても絶対に自主的に家事をやらなかった夫が進んで家事を片付けるようになる方法を編み出した。

朝起きたらきれいになっている食器、帰宅したらできあがっているご飯、ゴミの日にはなくなっているゴミ。最高。人生セラヴィ。ほんと人生イージーモードなんだけどなにこれ。

 

 

夫、っていうか厳密には夫じゃないけどまぁ夫的なポジションの人が家事をしない。やってもお手伝いレベル。どんなに理性的に手順を示しても簡略化しても、感情的に怒ったり離婚をちらつかせても泣いて土下座はするけど家事はしない。疲れきって深夜に帰宅して汚れたシンクの前で「おかえりー、晩御飯作って?」って言われたときの絶望感半端無い。

夫は別に悪い人ではないのだけど、年嵩の姉と専業主婦の母親という最凶タッグな家庭に育った彼にとってゴミは勝手に消えて食事は空気から練成されるものなので、家事という概念がすっぽり抜け落ちている。まぁ、変に男子厨房に立つべからずとか思ってシャドウワークを見下してるよりはまっさらなほうがまだマシだけどね。ちょっと脳みそがゆるふわなだけで基本素直な人だから。

長年かけてじわじわと家事を仕込んできて、家事スキル自体はだいぶあがってきて一人でご飯作って洗い物まで済ませるくらいできるようになったんだけど、やっぱ根本的なところが『お手伝い』なんだよね、っていう。言わなきゃやんない。エヴァのシンジ君並みに指示待ち人間。ゴミ出ししてくれんのは助かるけど、「火曜日はプラゴミの日だから朝夫にゴミ出してって言わなきゃ」「牛乳なくなってたから買ってきてって言わなきゃ」「今夜はチャーハンだからご飯炊いといてって言わなきゃ」「そういや庭木をそろそろ切ってって言わなきゃ」とかそういうタスクは私が抱えたままだから、タイミングよく指示出すくらいなら私がさっさと自分のペースで片付けたほうがよくね?ていう。

 

てことで、夫に家事を任せる方法。

 

なにもしない。

 

ひたすらなにもしない。

絶対に何もしない。強い意志を持って何もしない。

食器もゴミも一つたりとも動かさない。ご飯がなければカップめんで済ます。

 

どんどんたまっていく汚れた食器。すえた臭い。

それでも夫は家事をしません(カブは抜けません的な)

 

べとべとの台所。汚いトイレ。そこかしこにカビとクモの巣。風呂場はアカとカビで真っ黒。布団の下には人型のカビ。

それでも夫は家事をしません(カブは抜けません的な)

 

1週間連続カップめん。玄関を開けるとすでに腐臭。放置された食べ残しにハエ。排水溝からゴキブリ軍団がこんにちは。

夫はやっと食器を洗いました。

 

なんていうか、人間ってここまで汚い場所でも生きていけるんだなって思った。人体すげぇ。あと身体的にはラクなんだけど寝てるとき耳元でカサカサ言ってるゴキブリのせいで精神力めっちゃ削れる。でも身体的にはすごいラク。人生始まって以来一番ラク

美術館やミスドで遭遇する不可解な人達

 

最近美術館に行ったんだけど、なんかチケット買う列に並んでたらオッサンがチケットくれた。なんでや。意味わかんない。でも一人で美術館に行くと10回に1回くらいの割合でだれかがチケットくれるんだよね。若い頃からそうだからなんかもうそういうもんなんかと思ってた。美術館のチケット売り場には他人にチケットを配る優しい妖精さんがいるんだな、みたいな。あと花火大会の予約席とか演劇のS席とかもわりともらう。ミスドのスクラッチのあたり券とか、ミスド店内で渡すと店員さんに怒られるからお店出たところを待ち構えてるとかわりとあった。

今回改めて友人知人に聞いてみたけど私みたいにやたらいろんなものを貰うことなんて人生で一度もないって言われた。

 

あたりまえすぎて特に疑問に思わなかったけど、何万もするS席を他人にあげて去ってく人ってどういう人なの。ほんとなんなの。よく考えたら意味わかんなくないこれ。なにそれお布施?そりゃブッタの一番太ってた頃に似てるけども!