雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

子供のジェンダー観はこんなに変化してるのに大人が対応できていない

ホモ男?とかなんとかそういうくそださいものがテレビで放送されて問題になったそうで、いまだにマイノリティを笑う文化がこの世界に存在しているということに少し驚いている。

ババアが子供だった時代だって、セクシャリティだけでなく全てのカミングアウトを真摯に受け止めるという常識は成立してたんだけど、セクシャリティや容姿や文化を笑うとかなにそれいつの時代?アトランティスムー大陸の話?それとも違う地球の話??

 

最近うちの子が恋愛的なものに興味を持ち始めて、好きな子がどうとか言っているので、好きとは何か、地縁と選択縁の違いとそれぞれのよさ、セーフティネットあるいは共同経営者としてのパートナーシップ、子育てと介護の受け皿としての家庭という近代的なありかたはどのように変化すべきか、という話をよくしている。

ババア的に衝撃だったのは、最近の子供の恋愛事情では相手が異性でなくてはいけないという制約が一切ないらしい。むしろうちの子は異性縛りの存在すら知らなかった。

子供が読む少女マンガでもNL主体とはいえ普通にGLもあるらしい。

 

好きな子ができたといううちの子につい反射的に「その子は男の子?女の子?」と聞いてしまったのだけど、「なんで?一緒にいたい、もっとお話したいという気持ちに男の子とか女の子とか関係ないでしょ?」と逆に聞かれて撃沈した。まじか。リベラルいい仕事してんな!

今の子供は生まれたときからプリキュアが殴り合ってて王子様は黒人でロールモデルはエルサとモアナ、という世代だからなんかきっともう捕らえ方が全然違うのだろう。

いまみんなどこを支持してんの?自民?小池?

どうも、ニュースなんて全然見ない意識低い情弱です。

いま政治ってどうなってんの?

 

小池新党が勝っちゃう流れ?

それとも安部が勝つ出来レース

 

国会解散するらしいんだけど、安部さんが前代未聞の衆議院100秒解散という歴史の教科書に載りそうなキャッチーなことをやらかしたりしてるんだけど、元日本議会上層部でファシズム大好き小池さんが希望の党とかいういかにもクリーンぽくて情弱自称インテリが好みそうな名称でやってるみたいだけど、

 

9条をはじめとする安全保障関連の改憲はちゃんと慎重によーく考えて国民全体で議論する必要があるのは確かだと思うのです。だから安全保障関連の改憲が議題にあがることが確定するのはわりといいことだとは思う。

 

でも彼らの考えてる改憲は、社会保障を削って家族に介護丸投げして結婚も就職も自由にできないようにして国家に逆らう奴は逮捕できるようにするためのものじゃん。自民党改憲草案はナチス下のドイツ憲法並に人権を制限していることとか、小池さんは「国民主権という傲慢な考えは一刻も早く破棄すべき」なこととかご存知?ちゃんと分かった上で議論してる人どれくらいいる?

それとも消費税を上げさえしなければ小林多喜二が撲殺される世の中でOKなわけ?

 

これもしかして以前予測してた流れ?

煽動はうまいが実務能力は低い小池氏が圧勝したとしてもおそらく近いうちに失脚する。民主党の失敗を強く記憶している国民は二度目の失敗により今度こそ自民への妄信を妄想の域まで高め、ファシズムまっしぐら。安部氏が終身大統領に就任。

あるいは小池氏が大成功。改憲して国民の権利を奪いたくてうずうずしている小池勢力を統合し自民磐石。やっぱり安部氏が終身大統領に就任。

 

私もう政治に全然期待してなくて、老害の利権を守るためにこの国は滅亡するという予測の上でライフプランを立ててる。でも莫大な医療費を食いつぶしている老害が死ぬ30年後ぐらいにはまた全然違う景色が見えてくるというところに希望を持っている。まぁその頃には私は死んでるわけだけど少なくとも私の子供世代は私のような苦労はしないですむのではないだろうか。

だから、もう老害老害を撒き散らすことに関してはあきらめてるわけなのだけど30年後の新しい未来にとって致命的なことだけは阻止したい。ミサイルで焼け野原になるとか乱獲で魚が絶滅するとか。それとか改憲で帝国憲法以下の自由しかなくなるとか。

美しい国を次世代にというのはもうあきらめたけどさ、せめて最低限安全で飢えない国は次世代に渡したい。

 

これがww2時のような追い詰められたどうしようもない状況であれば未来に負債を残してしまうのもしかたないけども、老害に無駄な医療費をつぎ込むために負債を残すとかほんとなんなの。馬鹿は全員死ね。

 

 

追記あり・現国は常に100点だったけど、中学生の読解力テストが悪問であることは間違いないと思う

現国で100点以外とったことのないhedgehogxですこんにちは。あ、でもさすがに京大の現国は100点とれなかった。

という、なんかもうしょっぱなから読解力の皆無感を醸し出す一文からこの記事を始めます。でもほんとに現国は100点以外とったことないし国語に限らず偏差値65以下は見たことすらないです。

 

この記事を一部誤読する人がいたので、追記修正しました。

文脈に依存する文章は読解力のない人には正しく読み取れないため、やはり複数の解釈を許しうる設問は悪文であり駆逐すべき、というよい証明になりましたね。

 

 

でもってなんだかいろいろ言われてる中学生の読解力テストの文章問題、やっぱあれ不適切問題だと思う。あんな問題が平然と出題される国語教育は全体的に迷走しててほんとくだらない。

そもそも日本語教育自体が迷走しまくってて理論的な文章のルールがまるで定まっていないので込み入った話は日本人同士でもアメリカンイングリッシュでやるかいっそプログラム組んでしまうと便利。これ豆な。

 

この記事のもくじ

 

なにやらこちらの方はこの問題は不適切問題だと言っていて

www.nasnem.xyz

 

こちらの方は不適切問題ではないと言っているらしいです。

mubou.seesaa.net

 

さて本題なのですが、まず

2つの文の指す意味は同じかどうか

 という設問自体があいまいすぎる。

 

出現順は意味を変えるかどうか問題

  1. Aや、BやC
  2. CやB、A

これ順番と句点しか違わないけど、意味全然変わるよね。

 

追記1

ここまで懇切丁寧に解説しても「国語に順番なんて関係ない」と主張する人はごんぎつねの最後のシーンを読み返してください。一切の余分な解説を加えず出現順序のみによって物語全体のテーマひっくりかえす非常に有名な例題で、叙述トリックとしても秀逸です。読み返しても兵十のことを「ごんのせいで死ぬ直前の母親の望みをかなえることができなかったかわいそうな青年」だと思ってしまう人は読解力云々を語る資格がないので恥をかかないよう黙っているほうがいいです。

 追記1ここまで。

 

問題文をシンプルにしてみると

  1. 牛肉や、緑茶や日本酒は好調だ。
  2. 日本酒や緑茶、牛肉は好調だ。

ほら違うじゃん。だいたい同じだけどぜんぜん違うじゃん!1番だと牛肉メインで、2番だと日本酒と緑茶がメインになる。

こういうこまやかな違いから作者の意図を読み取っていくのが国語教育。

こういう違いが理解できないと「ごんぎつねのラストで兵十とごんは和解した」とか誤読するんだよバーカ。 

 

例文1と例文2は、「AとBは好調だ」と「BとAは好調だ」といれかえているだけであって、意味としては「同じ」と判断できる

 中高生の読解力テストの問題は特に悪い問題ではありません: 不倒城

 としている人がいて、確かに現在の国語テストではそれがスタンダードとなってしまっているが、これは自然言語をあまりに乱雑に扱いすぎている。

 

これが計算言語だったら

  1. 牛肉,緑茶,日本酒
  2. 日本酒,緑茶,牛肉

という二つの文の意味は一致する。でもこれ数学じゃなくて国語でしょ。自然言語なんだから完全な並列表記はあえない。先に言うか後に言うかで意味づけが変わると判断するのが正しい。いまどきgooglebotだって単語の出現順を評価してるのだから人間様はもう少しがんばったほうがいい。

だから中学生の読解力テストの出題である

  1. 輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。
  2. 輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。

は、これがもし理系論文であれば「同じである」が正解としても間違いではないかもしれないが、文学作品であれば「違う」が正解。むしろこれを同じであると感じてしまうのは致命的に国語力が低い。

 

もう少し文学っぽい例題にしてみると

  1. 私は父や、母や兄を殺したい
  2. 私は兄や母、父を殺したい

これを同じだと思うのは鈍感すぎくね?1番と2番では父に向ける殺意が違いすぎる。1番の父逃げて超逃げて。

 

 

 

だから単語の出現順の違いを意味の違いとみなすか否かについては、そもそも現在の国語教育が言語を擬似的な計算言語として使用しているのか、それとも自然言語として使用しているのかの二つを混同している点が問題。

でもよく考えたら論文だって「牛肉、緑茶、日本酒の相関関係」というタイトルであれば本文中でも「牛肉、緑茶、日本酒」の順に揃えないとリジェクトされるので、やはりこの問題が自然言語で書かれている以上どのような文脈であれ単語の出現順が変われば意味も変わる。

 

読点で文章は区切られるルールは存在するかどうか問題

一般的には、読点で区切られている部分で言葉の関連は一旦切り離されます。

 中高生の読解力テストの問題は特に悪い問題ではありません: 不倒城

追記2

 えー?そんなルールあったっけ??文法の教科書に載ってたかなぁ?

たしかに『一般的には』そういう傾向もあるけどそんな厳密なもんじゃなくない?もし動詞の活用並みに厳密なルールが存在するならソースください。

↑ここ、誤読する人がいたので修正します。

単語の関連は独点で区切られる傾向は存在するが絶対のものではなくほかの用法もありえる。またどの用法を採用するかは作者の裁量にゆだねられている。というのが文法の教科書に載っている内容です。読点の使い方は作者の気分次第です。ノリと雰囲気で変わるあいまいルールは、試験の正誤を決定しうる根拠になりません。

また、この設問が適切であると判断するためには、読点で文章は区切られるルールが常に厳密に適応されるという前提が必要です。指摘したように文法学者によってその前提は崩されているのですが、かりに前提を適応したとすると今度は『など』の扱いが変わります。

 

  1. 輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。
  2. 輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。

シンプルに書き直すと

  1. 牛肉や、緑茶や日本酒など
  2. 日本酒や緑茶、牛肉など

読点をはさむと「など」の効力が切れるルールを適応すると、1番の「など」は緑茶と日本酒にかかり、2番の「など」は牛肉にかかります。よってこのルールがいついかなるときも厳密に適応されると仮定してもやはりこの二つの文章は同じではありません。 

 

てなわけで、駄文であれば3行で収まった文章が良文にするとこんなボリュームになります。よって文脈を読むという意味での読解力はとても大事。

追記2ここまで。

 

上記の例文だと、「和食ブーム」と「緑茶や日本酒」を直接関連づけているので、後者の文章よりも言葉同士の関連が強くなります。

中高生の読解力テストの問題は特に悪い問題ではありません: 不倒城

ほら自分でも「だいたい同じだけど完全に同じではない」って言ってるじゃん…

「前者より後者のほうが言葉同士の関連が強くなる」ということは前者と後者は意味が違う。よって「二つの文章が示す意味は同じではない」。少なくとも、人間が使用する言語においてはこのルールが適応される。

 

 

 

 

ということで、この問題のどこが悪文かというと、「同じ」の意味が定義されていない点であり、つまり自然言語のルールと計算言語のルールを混同している現在の国語教育自体がおかしいということになります。

 

しんざきさんはこの問題文をシンプルな計算言語に近いものであると捉えました。

めしがくいたいさんはこの問題文を国語、つまり自然言語の問題であり文学の問題であると捉えました。(ところでめしがくいたいの著者はめしがくいたいさんでよいのでしょうか。そしてしんざきさんのケーナアンデスで春に吹くあれなのでしょうか。)

 

センター試験でればしんざきさんが正解ですが、もしこの問題文が京大の入試であれば、めしがくいたいさんが正解になりそうです。

 

ですがこの問題文には、そして現在の国語教育では、その二つのうちどちらの解釈を優先すべきかの基準を明確にしていません。ですのでこれはどちらも正解で、悪いのは役立たずの文科省です。

厳密に考えるなら、これがプログラミングではなく言語のテストである以上めしがくいたいさんが正解ですが現状ではしんざきさん並の雑な分析がまかり通っていますし言葉を雑に扱っても問題ない分野の人であればしんざきさんレベルの読解力で十分なので、これが中学生の読解力を測るという目的を鑑みた場合しんざきさんも正解だとしてもさしつかえないのではないでしょうか。

 

でもこれ、中高生の学力評価には別に関係ない

ちらっと統計を見ただけですが、この問題文の正誤の比重は小さく、正解でも間違っててもわりとどうでもいい位置づけっぽいです。どうでもいい重箱の隅を手斧で粉砕する、はてなーの真骨頂です。すばらしい。そういうところ嫌いじゃない。

おむつなし育児をやってたけど別に大変じゃなかった

来月あたりには間違いなく超絶忙しくなることは分かってるんだけどそれまでは超絶ヒマでなにもできないという起業あるあるなエアポケットみたいな期間に陥っています。なのでブログを更新することにします。

 

先日の炎上で、おむつなし育児というものの存在を知ったのですがこれ私普通にやってたわ。

news.livedoor.com

 

普通に新生児のころからやってた。生後3時間くらいからもうトイレに座らせてた。

一応おむつさせてたけど家ではほとんどトイレ。だから布おむつでも別に負担に思わなかった。布おむつにこだわりがあるわけではないので外出時とかは普通に紙おむつもつかってたけど使用頻度はすごく低かった。

 

だって10ヶ月も腹の中に入れて四六時中一緒にいる相手の状態なんて分かるのが普通じゃん。新生児なんて自分の内臓と同じなんだから自分がトイレに行きたいのが分かるのと同じように新生児のトイレのタイミングなんて普通に分かるじゃん。

あと、私の場合は母子ともに健康で、かつ子が3000g満たないかなり小柄な子で、だいたいいつもごきげんで、かつ抱きやすい子だったという非常にラクな子育てだったからできたというのもある。体を密着させるだけで吸い付くように抱っこできてほとんど支えずにすんでたもの。

これが4kg近い子で、トイレに連れて行ったら抵抗して抱き上げたらそっくり返って泣くような子だったらとてもじゃないけど無理。

 

 

出産して一週間の入院期間はトイレに座らせてると看護師にドン引き去れて最悪説教されるのでおむつあり育児だったけど、あれは結構苦痛だった。だって数時間前まで私の一部だった存在、つまりほとんど私自身と言っても過言ではない存在がおむつに垂れ流ししてるなんて自分がおむつしてるみたいで気持ち悪いじゃん。

 

でも逆に、10ヶ月腹の中で育成した生物と感覚を共有できないタイプの人であればおむつなし育児は苦行でしかないので苦行することで悟りを開きたいとかでなければ、やめといたほうがいいいのではないかと思う。

 

だいたい、子供が大人になってヤクザになったとして、「母さんが紙おむつを使ったから俺はヤクザになったんだ」とか、ないわー。

なんかもういろいろ気にしすぎだと思う。トイレトレーニングなんてどんなに遅くても20歳までにはできるし、逆に20歳になってもできないのであればそれは別の問題を考えたほうがいい。

 

 

明石家さんま氏が躁病だとかいう無神経さは撲滅してほしい

 

この間そこそこ有名な精神科医が「明石屋さんま氏は躁病」といってるのを聞いてドン引きした。そういうことを言うヤブ医者がいるという伝説は知っていたけど、生でみたのは初めて。伝説は伝説のままであってほしかった。

 

一般人が一般用語として言うのならともかく、専門家が専門用語として明石屋さんま氏を躁病だというのは精神科医療が中世レベルだと露呈していて恥ずかしいので即刻やめてほしい。医療の恥。

 

---注意---

あたりまえですが、精神科に限らず処方された薬はきちんと飲みましょう。

薬や治療について不信感があるなら主治医を問い詰めるかセカンドオピニオンを求めましょう。自己判断は危険です。

---注意ここまで。---

 

 

だって明石屋氏は本人も周りも別に困ってないじゃん。

だからどんなに突拍子のない性格でもそれは『病気』ではない。

 

そもそも精神科に限らず病気の定義というのは「困っていることが存在すること」であって、どんなにおかしなことでも困っていなければそれは病気ではない。傍からみてどんなに病気っぽくても本人と関係者が納得していれば病気ではなくて単なる個性に過ぎない。

まがりなりにも難関試験突破する程度の知能はあるんだから病気の定義くらいおさえとくのあたりまえだろと思うのだけど、医療の根底すら把握せずに医者をやってる奴は案外多くて気が遠くなる。

 

ていうか目に見える症状を基準とするDSM自体が精神科医療のレベルを中世にして精神科病院を監獄化してる。

たとえば躁病の診断基準の抜粋なんだけど

A. 気分が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的ないつもと異なった期間が、少なくとも1週間持続する。
B. 気分の障害の期間中、以下の症状のうち3つ (またはそれ以上) が持続しており (気分が単に易怒的な場合は4つ)、はっきりと認められる程度に存在している。
(1) 自尊心の肥大、または誇大
(2) 睡眠欲求の減少 (例えば、3時間眠っただけでよく休めたと感じる)
(3) 普段よりも多弁であるか、しゃべり続けようとする心迫
(4) 観念奔逸、またはいくつもの考えが競い合っているという主観的な体験
(5) 注意散漫 (すなわち、注意があまりにも容易に、重要でないかまたは関係のない外的刺激によって他に転じる)
(6) 目標志向性の活動 (社会的、職場または学校内、性的のいずれか) の増加、または精神運動性の焦燥
(7) まずい結果になる可能性が高い快楽的活動に熱中すること (例えば制御のきかない買いあさり、性的無分別、またはばかけた商売への投資などに専念すること)
C. 症状は混合性エピソードの基準を満たさない。
D. 気分の障害は、職業的機能や日常の社会活動または他者との人間関係に著しい障害を起こすほど、または自己または他者を傷つけるのを防ぐため入院が必要であるほど重篤であるか、または精神病性の特徴が存在する。
E. 症状は物質の直接的な生理学的作用、または一般身体疾患  によるものではない。 

 なわけだけど、これほんと馬鹿が馬鹿のために考えた馬鹿基準だよね!

まず、

  • 「睡眠欲求の現象」や「多弁」などの、常識から大きく外れているが別に困らないこと=個性
  • 「まずい結果になる可能性が高い快楽的活動に熱中すること」などの本人と周りの人にとって被害があること=適応障害

の二つの要素を混同している時点で学問として成り立ってない。これがどれくらい馬鹿なことかというと、

  • りんご3つ + カラス4匹 =7

くらい。まったくの徒労。学問ナメるな。学問をナメてるくせに学問を標榜するな。貴様らのやっていることは中世の錬金術以下だと自覚しろ。

 

睡眠欲求の現象それ自体は別に治療なんてしなくていい。短時間睡眠体質の人を睡眠薬で無理やり眠らせるなんて人格荒廃を招きかねない。睡眠欲求の現象が問題となるのは、起きている間に迷惑行為をする場合のみでありその場合治療すべきは睡眠異常ではなく迷惑行為のほう。

という考え方が現場で全然浸透していなくて、平均から外れたものはすべて矯正せねばというどこかのチョビ髭鉤十時団みたいなことになってる。

 

 

まず、精神疾患というのは

という考え方をしようよ。ほんと頼むから。最低限それくらいはやって。そんで個性部分を矯正することで適応障害を無視しようとすんのほんとやめて。戦後かよと。ICF、いやICIDFすら理解してないとか大学1年からやり直せ。

そりゃぁ、個性部分を薬物で矯正するためには薬漬けにするしかないからさぞ儲かるでしょうよ。それに適応障害を自覚し改善していくというのは本人にとっても周りにとってもとてもきついことだから、薬漬けになることで問題から逃げるというのも必要なことかもしれない。

だけどせめて、薬漬けになる以外のオプションも示そうよ。

と、思ったんだけど、地道な認知療法なんて全然儲からないし逆恨みされるし人件費半端ないしでたぶんこれから先も誰もやらないんだろな。私だってそんなリスク高いビジネスに手出さないもの。せいぜい薬漬け&薬漬けられライフを満喫してください。

 

でもほんと、自己判断で薬をやめるのは責任持てないのでやめてください。納得いかないなら主治医を納得いくまでガン詰めしてください。彼らは患者に問い詰められるのが仕事です。そういうめんどくさい患者が医療に人生丸投げして医療者のSAN値をゴリゴリ削ってくるから医療のレベルが落ちていくわけだけどそれはこの国の方針だから私は知りません。

 

 

病気を治すというのはもしかして残酷なことなのかもしれない

長年苦痛に耐えて、痛かったり苦しかったりする治療にも耐えて、それでも治らず障害をひきずって必死で生きている人の障害を、魔法の杖の一振りで治してあげてしまうのは良いことで喜ばれることのような気がする。

なのに、全然喜んでくんないんだよねー…

むしろ憎まれる。

 

たぶん彼らは痛みをアイデンティティの中枢にすえてしまったのだろう。痛みや苦痛に耐え障害を抱えてそれでも懸命に生きる私、という自己像が崩れてしまうとこれまで障害を理由に目を逸らしてきた人生の問題と直面しなくてはいけなくて、それはきっと身体の痛みやなんかよりよほど苦痛なのだろう。

あと、これまでの苦労何だったん?という虚無感も大きいと思う。激痛の治療なんて実は全然意味なくてむしろ悪化させる要因でしななくて、無駄な痛みで長い時間を無駄にしたという事実に向き合うのはつらかろう。

 

アガサクリスティーの春にして君を離れ、みたいな精神状態。

これまで自分を縛ってきたものというのは苦痛であるけれどその制限を理由にあきらめることを許されたことというのもたくさんあって、一気に負荷が取り除かれてしまうと痛みを理由にした人生の空白期間の虚しさに直面してしまう。

 

それかアル中みたいな。

アルコールに依存してるなら急にアルコールを取り上げたら発狂しそう。

 

そう思うと私はとても残酷なことをしているのかもしれない。

彼らは痛みの依存症を発症しているのだと考えれば、痛みに代わる新たな依存先を提供するプログラムが必要なのかも。

高い壷を買わせて毎日拝めとか、真冬に水浴びしろとか、早朝マラソンを日課にしろとか、痛みよりも低侵襲で安全な依存先の提示をして、徐々に依存先を増やしていく、みたいなSST的なものが必要なのかも。

 

彼らは痛みを伴う身体症状を持った患者さんではなくて、自傷に依存してしまった精神病の患者さんだと思ったほうがいい。

自傷に依存しちゃう人だったら、治すのがめちゃくちゃ難しいというのも分かる。

 

痛みという薬物並みに依存性の高い刺激に慣れてしまった彼らに提示するのだから生半可な依存先では駄目で、ものすごく高くてものすごく苦痛なものでなければいけない。でも面倒なものは駄目。痛み以外の手立てがないか模索する面倒を嫌って依存する人たちだから、暴力的に分かりやすくて暴力的に明快なものでなければいけない。天下一品のラーメンくらいケミカルに脳を揺さぶるもの。

 

じゃあもう天下一品のラーメンでいいじゃん。

毎日三食天下一品のラーメンとコーラですごしてください。水すら飲んではいけません。そうしないと治りません。これはきっつい。あと体への悪影響が半端ない。でも痛みというはそれくらい依存性が高い。

 

どうすればいいんかなこれ。

 

 

 

高IQでも環境が悪ければ頭が悪くなるタイプというのはあると思う。

知り合いの家庭で、母親はいわゆるいいとこのお嬢さんでいい大学でていい仕事してるのだけど、父親はいわゆる道路工事とかする系の家の出身という組み合わせのところがある。でも話してみるとたぶん父親のほうがIQ高いっぽい。神経衰弱とかべらぼうに強い。アスペルガーのような発達の偏りがあるわけでもないっぽい。母親はIQ110とか120とかそんな雰囲気で、平均的に安定して80点とれるタイプ。

父親は天才レベルの頭のよさで、母親はちょっと優秀かな、くらいなのに学歴も職業も母親が圧勝。

これってやっぱ優秀さには地頭のよさよりも育ちが大きく関与てこと?でも育ちが最悪でも突然変異的に優秀な人というのもいて、その差はなんなのだろうと考えてみて、これは知識に対する渇望感の有無なのかなと思った。

殴られないとか飢えないといった、勉強が可能な最低限の環境は整っているという前提であればあとはほうっておいても勉強するかどうか、が優秀さの境目なんじゃないかな、と。

 

私の娘もIQは高いのだけど、ものすごくおっとりしていてにこにこふわふわ毎日を過ごしている。幸せな子供というのはこれほどまでにぼんやりと毎日を過ごせるのかと呆れを通り越して尊さを感じてしまうくらい。

頭の中には砂糖菓子とお花が詰まってる彼女は自分から勉強することはない。その上高IQゆえの特殊さがあるので想定外の躓き方をする。平行=地面=曲面 とか。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

彼女は放っておいたら平然と60点とか取ってくる。小学校のテストで6割とか大丈夫か。九九も割り算も文学も学校の宿題以外に自主的に追求しようなんて思いもしない。ただ目の前に出されたものをこなすだけで「これはなんで?どうして?分からないから調べてみよう」みたいな発想が全然ない。

でも別に勉強が嫌いなわけではないので、素数とか微積とかmolとか速度とか次元とか、なにかしらテーマを与えてあげれば楽しそうに課題に取り組む。でも自分から動こうとはしない。

 

きっと彼女みたいなタイプが、育成環境が悪いと優秀さを発揮できない系の高IQなのではないかと思った。

彼女の身近には私がいて、発達段階に応じて九九と面積の関係だとか、原子と分子と質量だとか、重力と速度と時間だとか、さまざまな課題を提示してあげているから彼女は優秀だけど、たぶん私がいなかったら彼女はテスト60点で満足してしまう。大学は女子短大とか行っちゃいそう。

 

優秀になるためにはたくさんの思考のフレームを持っていることと、自身の優秀さでもって成功体験を積むことが必要なのだと思う。

ほうっておいてもがつがつとそれらを獲得しに行く肉食系頭脳の人は勝手に優秀になるけど草食系頭脳だと環境要因がとても大きくなるのではないか、という仮説でした。