雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

解離と統合失調症の違いについて個人的な考えと感覚

最近他人の悪口ばっか書いててさすがに飽きてきたので違う話題。

 

最近仕事がめんどいなと思ってふと気づいたら温泉旅館にいたhedgehogxですこんばんは。なんでだよ仕事どうしたよ…まじ覚えねぇよどこだよここ。ごはんうめぇ。

 

私は自分のことを解離、あるいは解離性パーソナリティ、と表現するのが一番しっくりくるんだけど、この解離とか解離性同一性障害(いわゆる多重人格)とかは最近わりと流行の病名らしくて悪いイメージがつきつつある統合失調症に代わって乱発される傾向があるっぽい気がしてる。ていうかむしろ解離を理解してるドクター超少ない。統合失調症もめちゃくちゃ難しい概念だけど解離はさらに難しい。なまじビリーミリガン的な一見わかりやすいアイコンがあるからそこで思考停止してしまう人が多い。

また、病名の定義も混乱しているので、解離っぽい行動は原因が何であれ解離という病名になることもあります。発達障害由来の解離なんていう知性のかけらもない病名が横行していたりします。医学の中世感はんぱねぇ。

むしろ解離は「強いショックを受けたら起こる」とか説明されていて、たしかにその通りなんだけど強いショックを受けたら全員が解離になるわけではなくて落ち込む(鬱)怒り狂う(双極性)抑圧する(統合失調症)など様々な反応が可能な中であえて解離を選ぶというのはすでに解離に適応する素地があったからです。精神医学はそのあたりの研究をはよ。

なので今回は病態としての解離ではなく、原因としての解離、本態性解離、解離性パーソナリティというものを「解離」と定義して話を進めます。

 

解離の原因とかについて個人的な考え

なので今回は解離の定義について私の個人的な考えを書きます。

ネットの匿名の意見なんであんま本気にしないでください。

 

統合失調症と解離の区別

さて今回私は気づいたら温泉旅館にいておいしくご飯を食べていたわけです。本人の意識が途切れている間に本人の想定外の行動をする、いわゆる遁走をかましました。夢遊病とか言うと分かりやすいかもしれません。魚うめぇ。解離の状態の人は、気づいたら自傷していたとか気づいたら他人を殴ってたとかそういうヤバいことを無意識のうちにやってしまうケースもあります。私も昔は気づいたら血まみれとか気づいたら知らない人のベットで寝てるとか日常茶飯事でした。地酒うめぇ。

一般的な解釈では、そして多くの医学書では、このような解離は抑圧された欲求が反乱を起こした状態、と説明されます。

私はつまんない仕事に嫌気がさして温泉いきたいと思った、でも温泉に行ってはいけないと考え欲求を抑圧した、だがその欲求は無意識の中で強く育ち、意識が途切れた瞬間に欲求を行動に移した、みたいなルート。

 

でも私はこの、抑圧した欲求の発露としての解離という存在に疑問を持っています。本人にも自覚できない欲求の発露という状態にはすでに統合失調症という病名がつけられているので、それは統合失調症と名付けられるべきではないでしょうか。

 統合失調症の定義も混乱していて、現在ではなんだかわからんが理解不能なヤバいことをやる奴という大変いいかげんな定義で運用されています。たぶんそれが定義だと思っているドクターも多いでしょう。DMSの弊害です。ですが薬至上主義の現代ではぶっちゃけ薬が効きゃ病名なんてなんでもいいのです。ですが本来的に統合失調症は深すぎて理解不能になってしまった抑圧です。

 

たとえば、万引きした子供がいるとします。

万引きは悪という強い規制を振り切って盗んでしまった、多くの人はそこに規制を破るに足る理由があると考えます。

たとえば毒親育ちでコミュニケーションに難を抱えて人間関係に悩み彼女に振られて先生に怒られて万引きを決行した、みたいな。満面の笑顔で特に理由もなく人を殺したなんて怖すぎるから、苦悩の末に殺人をしたのだと思いたい。

 

解離の万引き行為の場合、万引きに理由はない、と私は考えます。解離の問題行動を追及するのは問題を悪化させるだけです。どんなにひどい行為でも、自傷他害自殺でも、動機が解離であればそこに理由はありません。

目の前に欲しいものがあった、それを手に取った。それだけが理由です。

 

私流、解離の定義

解離性パーソナリティとは、世界と自分との繋がりを感じる能力が弱いこと、と考えてみるといろいろとすっきりします。

視覚や聴覚といった感覚器は正常なのに、それらの外部情報を受容する優先順位が低い。つまり自分の周りで起こっていることは彼らにとって無視できるくらい些細なことです。怒鳴られてうるさいとかタバコの火を押し付けられて痛いといった普通なら無視できないような強い刺激でも、彼らは無視して自分の世界に没頭できてしまいます。火渡りをする高僧レベルに深いトランス状態に簡単に入れてしまうという言い方もできるかもしれません。

 

もともと解離性パーソナリティの人が強いストレスにさらされると、トランス状態に入って世間の常識に外れたことをしてしまう、と考えてみたらいかがでしょう。

幼児のころは意識がうすらぼんやりしているから、いわば全員が解離の状態です。その時期に強い刺激を受けてしまって解離が継続してしまったという後天性解離も多いのではないかと考えれば、幼児期に虐待を受けると解離になるというのも理解できます。ただしその場合は幼児期に受けたストレスを抑圧することで生じる解離っぽい行動なのでこれは私の定義では解離likeな統合失調症、ということができます。

 

つまり何が言いたいかというと

解離=強力な抑圧、と考えてしまうと、どこかに抑圧があるはずだと思って犯人捜しをしてしまいます。マトモな人が異常な行動をするのは必ず原因がある、よって解離の人にも絶対に理由があるはずだ、と。

ドクターもナースもカウンセラーもみな、「どうして死のうとしたの理由があるんでしょうほんとうはつらいんでしょうあなたは死にたくないんでしょうもう大丈夫よつらかったわね泣いていいのよ」みたいなことを言いやがります。

でも、解離の行動に理由はないのです。そこにカッターがあり私の手首があったそしてうっすらぼんやりと行動への訴求があった、自殺未遂の原因はその三つだけ。ほんとに理由はないし、何をひっくりかえされてもそれは理由ではありません。

そこにカッターがあり私の手首がある。むしろ世界にはカッターと手首しかない。その他の、痛みとか生存本能とか感情とか世間体とかそういうもの全てが欠落してしまった、世界が欠落する理由もきっかけもなにもなく、ただ虚無の中にカッターと手首が存在している。

行動への訴求、というのも死にたいとかそんな具体的なものではなくて「なにかやってみたい」くらいのぼんやりとしたものです。何もない、目も耳も手足も感じられない退屈な虚無の中にカッターと手首だけがあったからその二つを使ってなにかやってみたいと思った、あえて理由を求めるとするならそれが理由。

 

それが解離の、というのは主語が大きすぎるので言い換えると、私の世界です。

 

つまり何が言いたいかというと(二回目)

理由とか求めんのやめてうざい。理由ないからほんとないから。おいしいごはんたべたいなーくらいしかないから。

理由を求めるなら、なぜ行動したかではなくてなぜ解離になったかのほうなんで。そっち考えたほうがいい。ほんとまじうざい。あとハモうめぇ。ちょっと早いけどうめぇ。温泉のご飯最高。

で、解離になっちゃった原因は強いストレスとかそういう普通の人の発想やめよう。解離は脳の特性なだけなんで。デスクワーク多いと目がかすむ、みたいな物理的なあれなんで。

 

追記

だいたい書きたいこと書いて満足したんだけど、この駄文を解離で悩んでる人が読む可能性もあるんだなと思ったので一応自分流解離状態の治し方書いておく。

脳が情報をシャットダウンする特性を持つタイプの人は、意識して正常な情報を入力するといい気がする。視覚や聴覚は情報過多になりやすいので、ゲームやテレビはまず消す。そして過少になりやすい触覚刺激を入力。雑に痛みとかではなくて、ふわふわの毛布とかお気に入りのライナスの毛布とか、動物モフるとか、おいしいごはんとか、広いお風呂とか。自然の中で目をつぶって耳を澄ませてみるとか、地面や木を触ってみるとか。脳の外側にも世界が広がっているということを穏やかに入力する。

ということで温泉は正義。

 でも一生温泉で暮らすのは飽きるので、自分で温泉並の安全空間を作れるようにちょっとずつ訓練してくのがいいと思う。ごはんつくるとか、ふとんほすとか。自我を内側に保てないパーソナリティなんだから、外界に自分でコントロールできる自分だけの空間、つまり自我を外付けする。PCのメモリみたいに増設。

ふとんほす余裕すらないときには私の場合拳を握るとかわりとやってた。拳の内側の小さい空間だけは私のもの、みたいなおまじない。

 

 

 

そう考えると解離と呼ばれる状態の多くが嘘くさい、演技っぽい、なんか見ててイライラする、というのに納得がいきます。解離likeな統合失調症は結局統合失調症なので、抑圧された欲求が透けて見えます。そうすると多くの人は患者の欲求に逆転移してしまいイライラする、という仕組みだと考えてみることができます。

プロであれば統合失調症やアル中への逆転移には注意しているかもしれませんが解離に対しては無防備なのでイライラをモロにくらってしまうのではないでしょうか。

そういうタイプの人はそれはそれで 寛解への道筋があると思うんで気力があるときにまた書くかも。

 

馬鹿は自分が問題から逃げていることを許されたいのだという発見

すごいな馬鹿って奇想天外すぎる。

 

結局彼らはよくなることを望んでいないからこそ現状に甘んじているんだなという忘備録。

 

イベント行きたいけど仕事が忙しくていけませんとか、

痩せたくてジム行ってるけど痩せませんとか、

病院梯子してるけど病気が治りませんとか、

 

仕事が忙しいとかジムに行ってるとか病院通ってるという理由でダメな自分を許されたいんだなと。口先ではよくなりたいみたいなこと言ってるけど現状に甘んじる自分を認めたくないんだなと。

現状がどんなに最悪でもそこに甘んじるのは悪いことじゃないと思うんだけど、だったら「自分はこのダメな現状が好きだからここにいる」って堂々としてればいいじゃない。「自分はこのダメな現状下で文句を言うのが好きだから、改善したら文句を言えなくなるから変えたくない」って別にそれはそれでいいじゃない。

 

そこでやるべきことは「あなたは間違ってない、現状に甘んじることは仕方のないことなのだ」と肯定して差し上げることであって現実を突きつけることではないし「あなたがイベント行けるようにあなたの仕事の休みに合わせてイベント開催してあげます」とか「そんなに痩せたいんだったら監禁して絶食させてあげます」とかじゃないんだなと。

なんだその接待。

そんなことするために私これまで勉強してきたわけか…

やばいアイデンティティクライシスだわまじで。

誕生学に反対する良識派の人たちもそれはそれでちょっと気持ち悪いという感想

せっかく連休なので苦手分野に取り組んでみている。

 

能力なんてないくせに能力がないことすら認められなくてヨイショされなきゃすぐ傷ついて大騒ぎして相手を潰しにかかる迷惑な人たちを金ヅルにするためにいろいろと考えています。

彼らはうまく自尊心をくすぐってやればかなりいいカモになってくれそうな気がするんでここはぜひともがんばりたいところ。

 

彼らに対する情報が少なすぎるため、まずは情報収集ということで化粧品のCMとか医療品のCMとかみてみた。なんかすげー。

ニキビだって糖尿病だって、死にたくなければこれまでの生活習慣を変えましょうの一言につきるわけで、それをせずに「水素水とかコンドロイチンとか青汁とかを飲みさえすれば治る」みたいなのに投資できるってどういう知能してんの。だったら加持祈祷とかしてたほうがなんぼかマシでは。加持祈祷って結構動くからいい運動になりそう。

太ったとかやる気でないとか疲れたとかぜーんぶ更年期や自律神経失調症やらなんやらのせいにして医者を梯子するとか、いやもっとなんかやることあんだろ。

あと年寄りの認知症と難聴。年寄りの言ってることと自分のやりたいことの齟齬を相手に投影してるだけでしょ?年寄りの言葉を聞きたくないから認知症ってことで蓋してるだけでしょ?

 

とかそういうのは私が強者だからこそ言える生存者バイアスなんだろうか。私どんだけ強者なの。ラオウか。

 

いやでもとりあえずの目的は「彼らをカモにして儲けること」なんだから私の認識が歪んでることとかはいまのところどうでもいいんだ。

今現状私は彼らに敵意を向けていて、つまり私は彼らに脅かされていると感じていて、その状態で認識を変えるということは自分の思考を放棄し相手に忖度することと同義になる。なのでまずは心理的安全の確保が最優先。

仮に私の認識が歪んでるとしても歪んでるなりに相手と平和な関係を築くのが第一段階。そして相手との交流が増えるにつれて捉え方が変わってくるならそれもまたよし。変わらなくてもそれもまたよし。という精神科カウンセリングの王道でやっていく作戦。

 

て、つらつら書いてみて、私がこれだけ平然と葛藤を抱えられるのは心理的安全を強力に担保されているからなのかもしれないなという仮説を思いついた。

たいていの人は、あいつらまじぶち殺してぇ、とか、もうだめだ死にたい、とか、爆弾でいろいろ吹き飛ばしたい、とかそういう馬鹿みたいな衝動を自分のものとして受け止めることが困難なのかもしれない。感情というのは他人と共有されることで生じるものであるということを鑑みるに、それはつまり衝動を他者に肯定された経験がないということであろう。

なるほど。

つまり彼らは「もうだめ死にたい」「わかるww」「よっしゃ死のう」みたいな会話をしたことがないのではないか。

 

「誕生学」の創始者大葉ナナコ氏の著書『Life 誕生学の現場から』には、「死ね」が口癖になっている子どもへの対応の提案が、以下のように書かれています。

 

 まずは、その子どもを抱きしめて、ちょっとユーモラスに「そ~んなことを言わないでよ~。もったいないよ~。だって死ぬって生まれることの反対だよ」と言ってあげてはいかがでしょうか。ふざけながら抱きしめているように見えて、ギュッと抱きしめてあげたら、「こんなに抱きしめてくれる先生が嫌だという言葉なら、ちょっと言うのは控えようかな」と思ってくれるかもしれません。

 

「誕生学」でいのちの大切さがわかる? - 精神科医 松本俊彦

 

みたいなーーー!

わー死にたい。それか自分以外の生物すべて殺したい。

 

でも私、誕生学はもちろん大嫌いだけどこの松本先生という人の話もわりとぞわっとする。

心の中が100パーセント、「死にたい」気持ちで埋め尽くされていたならば、わざわざ誰かに伝えたりせずに黙って行動に移します。言い換えれば、誰かに「死にたい」と告げるのは、「死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちがあるからです。

なんだろうこのコレジャナイ感。松本先生という人はたぶんいい人なんだろうけど、友達にはなれそうにないや。ていうか半径1km以内に近寄りたくない。この人の近くにいたらたぶん私死んじゃう。でも敵の敵は味方なんでこういうタイプの人とも積極的に仲良くしていきたい所存なんでこの気持ち悪さもきちんと分析してみたい。

 

心の中が100パーセント、「死にたい」気持ちで埋め尽くされていたならば、わざわざ誰かに伝えたりせずに黙って行動に移します。

まずこの部分に強烈な違和感。この人にとっての死にたいってどういう感情なんだ?死にたい気持ちに埋め尽くされたら相談せずに黙って行動に移す??ちょっと意味が分からないんですけど。

死にたいってのは眠いとかトイレ行きたいとかと同じ生理的欲求ってことだろうか。だから我慢なんてできないと。極限まで空腹だったら隣人を殺して貪り食うだろうというのと同じレベルで極限まで死にたくなったら黙って死ぬだろうみたいな?

まず生理的欲求は我慢できないというのがすでに理解不能。ホモサピエンスにおいては生理的欲求というのは乗り越えられないのではなく、乗り越えないことによるメリットを享受したい場合にあえて乗り越えないだけ。とか言えてしまうのは私が大脳過剰発達系人類だからなんだろうか。普通の人は前頭葉がスカスカだからピッグ病の人みたいに衝動が我慢できないんだろうか。うわ怖い。サピエンス返上したほうがよくね。

 

たぶんこの気持ち悪さは、この人の想定だと結論が「生きたい」に固定されてるからだろうな。たぶんこの人に人生相談したら「それはつらいね、でもあなたは生きたいんでしょ?死にたいなんて本心じゃないんでしょう?本当は生きたいに決まってるよね??ね?そうでしょ???そうだと言いなさいよ!」って迫られそう。こういうのが善意だっていうんだからね、なんかもう、やべぇ死にたい。

 

いろいろ話がとっちらかったけど、多くの人は不都合な衝動に向き合うことに慣れていないのではないかという仮説ができた。

 

たとえば「死にたい」と思ったとして、「死にたいなんて思ってはいけない、死んでしまったら家族が悲しむ、会社に迷惑がかかる、死にたいと思うのは疲れているからなんだ本当は死にたくないんだだってまだ自殺を決行していないんだから」とか思うのではないだろうか。それは「死にたい」について考えているようでその実、徹頭徹尾「死にたい」を完全否定しかしていない。ガンを放置して青汁飲んで健康維持しようとしてるみたいな感じ。

 

彼らは「死にたい」と思った時に「あー今私結構マジで死にたいって思ってるわーていうかすでに決行してすげぇ血まみれだわーーでもこの程度の流血じゃ放置しても死なねぇよw人間の生命力やべぇな掃除大変そうていうか下水が生臭くなって警察呼ばれそうそしてすごいぞわぞわする!これが痛いって感覚かな??」とか思わないのではないだろうか。

そして誰かに「死にたい」と言った時に「あんたがそう言うんならそうなんだろね」という反応をされたことが無いのではないだろうか。

結局みんな死なないでって言うんだよ。「あなたに死なれたら後味悪いから私が気分よくすごすために死ぬのを禁止する」ってそれ「女性がmetooしたらセクハラしたい俺にとって不都合だから黙ってろ」と同じじゃん。暴力性を自覚してない分タチが悪い。

 

「あんたが死にたいなら死にたいんだろう」という対応はときに「その通りだ俺は死にたいよって死ぬ。あなたに話を聞いてもらうことで自分の死にたいという気持ちをより理解できたもう未練はないありがとう」という結論を導き出してしまうこともある。ていうかあった。

でもそれはそれで別にいいと思うし、私ごときが他人の人生を変えられるわけじゃないし、その人が選んだことに対してあれこれ言えるのは神様だけだ。

 

仮にこの仮説が正しくて、彼らは自身の衝動を生まれてこの方一度も肯定されたことがないのだとすると、いったいどんだけもつれた自意識を抱えてんの彼らは。

なんか既視感あると思ったらこれ『うしおととら』に出てくる「はじめは無害な霊だったけど周りの悪意を取り込んで巨大化した地縛霊」だ。たしか海で沈没した船の乗組員に取り付いてるやつ。うしおが生皮剥いで「おまえはそこで乾いていろ」っていうやつ。

 

 

 

 汚部屋なんてめじゃないくらいに膨れ上がっちゃった自意識を解体するとか相当めんどくさそう。しかも自省能力が欠如している方々だったらそりゃ無理に決まってるだろな。
自省能力が欠如してるんだったら自省すべき内面も欠如していれば平和だっただろうに、制御不能の内面だけは搭載してるってそんなんアクセルはあるけどブレーキはない車みたいなもんじゃないですか。そんな人生なんて何の罰ゲームですか。

 

そうか餓鬼道か。(突然の飛躍)

彼らは解体できない飢えを抱え続ける餓鬼道に堕ちているんだなるほど! 

 まじで罰ゲームじゃないですか気の毒に。

 

でもそう考えるとちょっと課題がはっきりするかも。

餓鬼は欲望を解体できないからこそ餓鬼なのであり、こちらがいくら啓蒙しようとしても餓鬼が餓鬼である以上絶対に理解しない。ヒトは飛べないしイルカは走れない。餓鬼に欲望の解体を迫るのは生物としての理に背けと強いているのと同義だ。

そりゃぁ潰されるわけだ私。

 

てことは餓鬼に際限のない欲望の幻影を提供するのが悪徳業者としての正しい道なのだなきっと。

それはそれで恨まれそう…

世の中の悪徳業者さんはいったいどうやってうまくかわしてるんですかね……

 

 

 

能力の確認を差別だと傷つく人の気持ちがよく分からない

5月に入ってとうとう始まりました仕事集中月間。たぶん私しばらくこのブログでは馬鹿は死ね以外のこと言わないと思う。こないだやらした米山さんのことを学習速度が致命的に遅いオヤジとか偉そうに書いてごめん。私なんて米山さんなんか及びもつかないほど遅いから。何十年もかけてまだ3mmくらいしか進んでない。

 

前回の記事では「須らく馬鹿は病識の欠けた重度の依存症患者である」という発見を書いた。今回は「須らく馬鹿は能力の確認を差別ととらえる」という発見について書きます。

 

私が学問の話をするときにはまずお互いの能力の確認から始める。

「私は六法全書を完全暗記してるけどあなたはどの程度暗記してる?」とか「私は3ケタかける3ケタの掛け算は暗算で回答できるけどあなたは?」とか。いや実際はもっと専門的な能力の確認だけど、まぁだいたいそんな感じで一つ一つ確認する。あとは色覚異常とか聴覚過敏とかの確認とか。

そうするとたとえば私は2ケタの掛け算までしか暗算で回答できないけど相手は6ケタまでいける、みたいな圧倒的な能力の差に直面するわけだけど、べつに「ふーん」って感じ。私より知能が高いからって偉いとかすごいとかではないし、知能が低いからってすごくないとかもない。ただ世界の捉え方が違うだけでみんなそれぞれの役割がある。

ただ見えている世界が違うから説明の方法や伝える情報量の調整が必要だなと思うだけ。ウサギとカメでケンカするほど不毛なことはない。

 

だからこそ我々は気楽に「私は天才だけどあなたは?」と聞いてしまうんだけど、それはどうやら馬鹿な人たちの逆鱗に触れるらしい。

 

わーーデリケートwww

 

そんな繊細wwwwでよく生きてられるね。でも繊細wな人のほうが意地汚く延命とかして長生きするよねさすがナイーヴwな人は生命力wが違いますな。

 

でもほんとに、憎いとか馬鹿にされてるとか意味が分からない。正確には憎いとか馬鹿にされているとかいう自分の気持ちを未整理のまま相手に投影して相手を叩く心理が分からない。使えよサピエンス。サルか。

自省機能欠損障害については前回の記事で書いたけど、やっぱまだよくわからない。

 

嫉妬とか憎しみとかって「自分が欲しくてたまらないものを相手が持っているときにおこる感情」らしい。

てことはもしかして、馬鹿な人は天才になりたかったりするのかな?

掛け算暗算でできるようになりたいのかな?コードチラ見しただけでバグの箇所見つけたりしたいのかな?会議開始3分で結論見切って昼寝したりしたいのかな?まぁね、そういうのは便利っちゃ便利な能力だけどね。でもそんなの所詮奴隷の能力自慢じゃん。人間社会がコネとカネと忖度で回っている以上、どんな能力があろうと奴隷は所詮奴隷。所属部署が違うだけの奴隷。

とかそんなメタ認知すらできないんだろなー!

ていうかむしろ自分が社会の歯車であるということすら認められないんだろなー!

 

先ほどの、嫉妬とか憎しみは「自分が欲しくてたまらないものを相手が持っているときにおこる感情」という仮説をがんがんあてはめていくと、彼らが嫉妬や憎しみを向けるものを分析することは彼らが欲しくてたまらないものを分析しているということになる。

 

そうするとおそらく彼らの理想の自己は「強くて賢くてなんでも瞬時に理解できて権力があってみんなから羨ましがられてなんでも思い通りになる王様」みたいな感じなのかな?やべーな2歳児から成長してない。そんな歪んだ自己認識から目をそらしてひたすら逃げ回っているうちに生涯を終えるのか。彼らは何が楽しくて生きているんだろうとわりと真顔で考え込んでしまうレベル。

 

いや逆に考えてみればいいのか。

私はなぜ自己愛の解体なんていう多くの人が忌避することを進んで行っているのか。自己愛の解体が心を傷つけ消耗させるからこそ多くの人はそこから目をそらし発狂しながら死んでいくわけで、なぜそれほど苦痛なはずの行為を私は平然と行えるのか。

つまり私は嬉々として自分自身を殴って血まみれになり、返す拳で手当たり次第他人を殴りまくってるわけで、うわぁそんなん完全に頭おかしい人じゃないですか。

しかも私の自省は外部からは見えていなくて、私の言動はすべて他人を見下すためのものだと捉えられているわけで、つまり私は「私は優れている、お前は馬鹿だ、よってお前に生きる価値は無い、はいつくばって私の靴でも舐めてろ」と言っているわけで、そんなん人格破綻者じゃないですかうわーー;

むしろ私よくこれまで火炎瓶とか投げ込まれずのほほんと生きてこれたな。

 

 

とりあえずここまでのまとめ

  • 馬鹿は病識の欠けた依存症患者であると思って接するべき。
  • 依存症患者に依存を突きつけるのは愚策

 

じゃあどうしろっていうんだ…

でもたぶんここでデータそろえて正論で正面突破しようとするからリベラルは叩かれるんだと思うの。なんかもっと全然違う軸で考えないとこの対立は解決できない気がするんだけどどうすればいいのか分からない。

宗教とか開けばいいのかな……

 

 

 

 

 

 

性懲りもなく自己愛を振りまく文章を書いている。

今回のあらすじ

わたしはわるくないわるいのは愚かな大衆。

以上。

 

 

本編

私何度この話文章にしたら気が済むんだろ…

でも馬鹿はいくら掃いて捨てても無限に湧き出てきて予測できないことをしでかすので世界は今日も驚きに満ちていて正直もうおなかいっぱいなんだけど馬鹿対策しとかないとあいつらすぐ足引っ張ってくるから。ゴキブリかよ。ていうかゴキブリのがよっぽどかわいいわ無害だし。

 

そういやゴキブリを異様に嫌うメンタリティというのもよくわからない。

あいつら別に無害だし日本だと病気媒介とかも別にないし、無人島で唯一の食料をゴキブリと取り合うとかなら憎いのもわかるけど食余り大国ニッポンでなんであいつらあんなに嫌われてんの。ゴキブリは嫌いだけどカブトムシは好きとか、両者の違いを理解すらしてないくせになに言ってんの。ゴキブリを怖がってみせることで何のメリットを享受してんの?

 

とか言っちゃダメなんだろなーー!

 

結婚したいという人に「結婚することで何を得ようとしているの?経済的安定?だったら保険にでも入ったほうがコスパよくない?精神的安定?金積んでカウンセラー雇ったほうが安定するよ?そもそも異性限定ってなんで?同性に要求できなくて異性には要求できる欲望ってそれ異性を人間扱いしてなくない?」

とか言っちゃダメなんだ私学んだ!

 

最近学んだこととしては、愚者はすべて依存症であるということです。

どうやら彼らは己の欲求に向き合わずに満たされたいらしい。自分が何を望んでいるのかを自覚することを恐れている。それなのに、いやそれだからこそ無自覚の欲求を的外れな方法で満たそうとして、当然満たされるはずもなくますます依存を強める。

だから結婚したいとかのたまってる奴は自分が結婚に何を求めているか自省することは絶対にない。自分の孤独とか不安とかを結婚という制度や異性やセックスに投影してうすぼんやりと「かわいくてキレイな女の子ならオレとセックスしてくれる」「イケメンでやさしい彼氏なら私のことをヨシヨシしてくれる」とかいう望みをかけている。でも当然そんなんで満たされるわけなくて、ヨガやら水素水やら代替医療やらいろいろ手を出して我々悪徳業者の懐を潤わせる。

やべーな、そういう地獄仏教にあった。餓鬼道だっけ。

餓鬼 - Wikipedia

まさにこれじゃん。きもちわる。

 

 

いやいいんだけどね儲かるなら。

できれば私だって馬鹿の相手なんかしたくないんだけど、あいつらいくら殺虫剤撒いてもたかってきて下手すると足元掬われるから、だったら積極的にカモにするけどね。

 

ただ、なんで彼らが性懲りもなく私に噛みついてきてその都度焼き払われるのかがちょっとわかった気がしてすっきりしたと同時にげんなりした。

1と2、善と悪しか理解できない2bit頭脳を搭載した彼らは私が私としてひっそり存在するだけで許せないらしい。ていうか私が視界の端をかすめるだけでもうアイデンティティクライシスを感じるらしくて全力で妨害しにくる。なんだよ私はゴキブリかよ。だとしてもゴキブリにだって生存権はあるだろ、とかそういう理性的な話は通じない。ゴキブリはキモい。それだけが彼らの正義であり彼らは唯一絶対の正義を覆す機能を搭載していない。

 

私だったら、ゴキブリがキモいという生理的嫌悪を感じたらまずその感情を解体することから始める。なぜキモいと思うのかキモいと思うことで得るものはなにかキモいと表明することで所属できる集団はなにかその集団への所属を表明することのメリットはなにか。同時に私がキモいということでゴキブリはどんなデメリットをこうむるのかゴキブリはどのようなものとみなされているのかそれは我々のどの感情を投影されているのか。とか考えてるうちにゴキブリでも腐乱死体でも必要であれば素手で触れるようになるじゃん。越えられない生理的嫌悪なんて存在しない。あるのは嫌悪を超えないことのメリットだけ。

 

なんかもう、キモいとか死ねとか憎いとか感じた瞬間に解体をはじめちゃうから逆に解体できない人の気持ちって全然わかんない。わからなすぎていろんな人の逆鱗を踏みまくって散々なめにあってきたのでこのブログでがんばって憎いとか死ねとか書いてみてちょっとわかってきたような気がするけどやっぱりまだまだ全然足りない。

私は(ていうか発達障害や知的障害や高IQやなんかいろいろ、平均から外れた能力値の人はたいていそうだと思うんだけど)「自分は定型発達の人より劣っている」という自覚はあっても「自分は定型発達の人より優れている」という自覚が足りなくて躓くことって案外多いんじゃないかなと思う。または「定型発達の人は想像を絶する嫉妬深さで自分の劣等感を他人に逆転移してマイノリティを叩くことを正義たと思っている」という認識が足りない。

世の中の教科書はみんな定型発達の人が作っているから、非定型発達の人の欠点については事細かに書かれているけど定型発達の人の嫉妬深さや分析能力の欠如についてはどこにも書かれていないから。

 このあたりも自省能力搭載系人類にはちょっと理解が難しいところ。

自省能力欠損障害の人たちは自分の欠点に気づかないし気づいても隠すし指摘されると大暴れする。大の大人がビョーキ並の認知の歪みで自分を正当化しようとする。これ豆な!

 

 

でも定型発達の嫉妬深さと内省能力の欠如は、脳とか遺伝子とかの欠陥で巻き舌ができないとかrとlが聞き分けられないとかと同じように越えられない壁なんだろなと。いやあまりに甘やかされた環境にいるがための二次障害な気もするけど、とにかくそれは「障害」でありかつ深刻な病識の欠如を伴い、つまり重度のアルコール依存症くらいセンシティブに付き合わなければいけないものなんだろう。

うわめんどくさ。

でもまじ彼らほっとくと増殖して噛みついてきやがるからなぁ。そうならないうちに駆逐しとかないと。ほんとめんどうだけど。

 

がんばろ。。。

 

 

 

瞑想運動野菜350gを実践すると死にたくなるシンドロームを分析してみた

いろいろ思うところがあってやたらリア充な集団に所属してみたときに結構なあれ未遂(検索除けのため曖昧表現)とか、そんな具合に相当病んだことがあって、あれいったいなんだったんだろうというのを分析してみた。

 

そのころ私は日が昇ったら起きて作業して日が沈んだら夕ご飯食べて寝るという森田療法みたいな生活をしていて周りの人たちはみんないいひとばっかりで会話は励ましや承認ばかりという相当イカれた生活をしていて、普通に考えて死にたくなる要素は特になかったはずなんだけどなんだか相当病んでしまった。

 

で、その理由はたぶん、自分の考えやたことや感じたことを制限なしに表現することを禁じられたからなのではないかと思う。

彼らはとても前向きで善良で勤勉で寛大で、不誠実に対して徹底的に不寛容だった。

彼らは寛大だったから、私が死にたいとか死ねとか言っても責めたりはしない。ただ徹底的に話を聞かない。私が何を言っても友愛と奇跡の話にすり替えられる。

 

表出に制限がかかると思った以上に思考の幅が狭まる。

よくあるゲームで、「色の名前を言ってはいけない」とか「外来語を使ってはいけない」とか簡単な制限をかけて会話してみるというのがあるけど、そんな簡単な制限があるだけでびっくりするほど説明が下手になる。禁止事項を意識することにメモリをくって処理が遅くなる感じ。

あと母国語以外で討論してみたりすると分かりやすいかもしれない。

この間英語で話していた時に「柱」って単語が言えなくてうぐぐってなった。別に柱の話全く関係なかったんだけど柱って言えないだけで3割くらいしかしゃべれなかった。

 

あなたにはあなたにしかできない仕事があるのよ必要とされているのだからあなたは生きるべきあなたが憎む人にもその人の仕事があるのよあなたはそれに嫉妬しているのだわあなたが持たざる者であることは恥ずべきことではないしまして他者に嫉妬として向けるべきものではないあたなのような持たざるもの愚かなものにも成し遂げるべき仕事が必ずみつかります人を憎むことしかしらないあなたに救いがありますように

 

きも!

じんましん出るわこんなん。

あとこんなに詳しく書いちゃうと私の所属していた団体を特定できてしまう人もいるかもしれないですね。きもいとか言ってすみません。私には合わなかっただけです。

関係ないけどアーメンって本来「それな!」て意味なんだそうで。めっちゃ誤用してたぞあいつら。

 

 

正直宗教ナメてた。

何一つ絶対に承認されないというのもなかなかきついものがあるけど、承認を奪われるというのはもっとすごいやつを体験済みだったからいけるよなって気軽に思ってた。ていうか私承認欲求は薄い方なんでそっち方面はわりと平気。

私がきつかったのは、承認が満たされないことよりも思考のツールを奪われることだったのだと思う。

だれも話聞いてくれないんだったら勝手に一人で実験して一人で論文書けばいい。だけど実験をすることを禁じられると思考を深めることができなくて病む。

 

他の人はどうだか良く知らないけど、少なくとも私は自分ひとりで考えるということができない。というか、自分ひとりの頭の中にあることを現実世界に反映させるためには現実での実験が不可欠、と言うべきか。

そういうのは哲学や思想に限らずすべての科学において平等な法則で、下町ボブスレーだってPCの中のシュミレーションだけではよいものが作れなくて広大な試験場で実際に滑らせてみるまで結果が分からない。頭の中で理屈をこねまわしているだけではなにも始まらない。だから、一切の制限なく思考を表出するというのは人間においてもっとも根源的な活動だと思う。

 

思考の中にはマイナスのものもあって、このブログに私がよく書いているような障害者死ねだとか馬鹿は滅びろだとかオッサンは全員レイプされろだとかそういうのも思考の表出という意味では平等でありそれらを制限するということは人間であることを放棄することだと私は思ってる。

ただここで間違えてはいけないのは、表出と伝達は違うということで、誰も見ないような辺境のブログで呪いを吐いている分にはギリギリセーフあるいはギリギリアウト程度だけど当事者である障害者や馬鹿やオッサンに直接死ねとか馬鹿とか言いに行くと復讐されるので悪手だと思う。馬鹿を駆逐したいならもっとうまくやらないと。

 

「みんな馬鹿ばっか」とか

「みんな嬉々として障害者を延命したがるけど、私にはむしろ死を選ばせないことこそが残酷に思える」とか

「オッサンは優遇されすぎて社会的弱者を平然と踏みにじるからいったん社会的弱者を体験すれば共通の前提が構築されるのではないか」とか

とかそんなにただの事実確認じゃん。自分と他人の認識の齟齬を確認するというのはコミュニケーションの基礎じゃん。そこに断絶がある、その断絶を内包したままどのように共存するか、て話じゃん。そこ確認もせずに自分の認識を他人にゴリ押しするほうが相当残酷なことしてるという自覚が彼らには欠如している。

 

これひっくりかえして考えると

「みんな馬鹿ばっかで私だけが正解を知っている」という前提なしにたとえば東大生とかに全力で学問の話振られたら嫌な気持ちになるよね。

「世の中の大半の人は己よりも知識が少なく理解も遅い、それがたとえその道の権威と呼ばれるオッサンでも、ときに己のはるかに優れている。そして彼らはそのちっぽけな知識にプライドをかけている」という前提を常に胸に刻むことが天才にとって他者を尊重するということだ。

なのにそれやると驕るなとか嫉妬だとか人類みな兄弟だとか言われる。まじ死ね。

 

それとか

「みんな嬉々として障害者を世話するけど、私には彼らは死にたがっているようにしかみえない」という感性を否定する、という現象をひっくり返すと

「障害者はみな死にたがってるから速攻殺す、世話するとかありえない」って言ってどんどん殺してるのと同じよ?「そんなのおかしい、障害があったって生きていたい人もいるはずだ」って言っても「障害者を生かすなんて犯罪」とか言われて精神病院にぶちこまれる社会。

善良でボランタリィ精神あふれる彼らがやってることって障害者虐殺してるのと同じくらい罪深いことなのに、彼らは自らの加害性をかたくなに認めようとしない。

 

ほんとに心底馬鹿すぎて嫌になる。

たぶん彼らは複数の並立する信条を認めることができるほど脳のメモリが多くない。だから自分の信条こそが正しいと信じ込み何のためらいもなく他者を抹殺する。彼らの脳は3bitくらいの容量しかないのだろう。

こういうワンセンテンスにまとめないと理解できない人こそ発達障害として大々的に宣伝して向精神薬ぶちこまれておとなしくなればいいのに。

 

いや恨みが爆発して話がそれたけど。

 

死ねとか憎いとかも大事な感情の一つだから、そこを抑圧しちゃうとわけのわからないモンスターが産まれちゃうよね、という話でした。

別に理解してくれなくていいし、承認もしてくれなくていい。ていうかこっそりつぶやくから聞きたくないなら聞いてくれなくていい。ただ表出することは許容しない人はいつかモンスターに踏みつぶされるだろうなと思う。ざーまみろ。

 

 

職歴ゼロ(風味)のババアがバイトにチャレンジしてみた企画の中間まとめ

なんか忙しくなりそうなのでここいらでいったん中間まとめをしてみる。

 

 

本企画のあらすじ

  • 職歴ゼロ(という設定)のババアがバイトにチャレンジ
  • コミュ障
  • やる気なし
  • 働きたくないでござる

そんなババアにバイトはできるのか。

 

これまでの過程

基本家から出たくないババアなので面接とか無理なのでとりあえずクラウドワークスで仕事探してみた。

 

これまでの結果

  • 半信半疑ではじめたけど、テキトーにやっただけで3000円くらい稼げた
  • でも3000円稼ぐのに10時間くらいかかった。時給300円。
  • クラウドワークスで仕事するならプログラミングとか語学とかの知識があったほうが絶対いい。
  • 文章作成能力が高いとライティングの仕事が案外いける。
  • クラウドワークスは別に詐欺とかではないので普通に稼げる。ただし時給は100円くらいという奴隷案件しかないので真面目にやるならスキルアップを戦略的に考える必要がある。

という、まぁあたりまえっちゃあたりまえの結論に至った。

 

でも普通に考えて、3000文字のライティングを500円で引き受けるんだったらその記事を自分のブログに書いて広告張ったほうがよっぽどいいと思う。なんだったらハンドメイドでなんか作ってヤフオクかなんかで売ったほうがいいし、そこまでやるんだったら普通に本業に打ち込んだほうがよさげ。

 

 

クラウドワークスの使いどころ

 

しかしいつも報酬不確定の仕事をしているとこういうサラリー的な成果報酬はなんか化作業療法的な癒しになるということが分かった。

仕事したぶんだけお金が振り込まれるとか…夢かよ……

 

でもクラウドワークスでスキルアップとか時給アップとか考え出すと「誰かの言いなりになるだけで報酬がもらえる」というパブロフの犬報酬系で癒されるというメリットがなくなるので、クラウドワークスはあくまでSST的とか作業所のような社会復帰までの一手段として使うのがよいだろう。私も不確定な仕事に疲れたらまたここに戻ってくると思う。

 

で、バイトどうなったよ

今回のバイトチャレンジは手軽に短期で外出せずにとりかかれるもので経験を積むということで在宅ワーク中心となった。

次なるステップとしては面接に行くとか外出するとかなんだろうけど、なにそれハードル高い…家から出たくない……ていうか着てく服がないんだけど。普通のリクルートスーツとか全然持ってないけど着物とかオーダーのスーツとかでいいですか。ああいう服はパーティ会場にタクシーで乗り付けるときに着るもんなんであれで満員電車に乗るとか超しんどい。白衣ならいけるでしょうか。

とりあえずやっすいスーツ的なものを買って、あと髪の毛も切って、ていうかそれ以前に風呂入って頭と体洗って、靴下とパンツも洗って、めんどいな!そんだけやっても時給1000円かよ!

 

一気にハードルを越えるのは無理っぽいので時間をかけて少しずつ取り組んでいこうと思います。