病的に話を聞かない人、というのがいる。彼らは一見まともに受け答えしているようでこちらの質問には一切答えない。そういう人は健康な時には案外出世したり総理大臣になったりするし、年を取ったり病気になったりすると認知症と呼ばれる。
たとえばこんな感じの人。
私「あなたの血液型は?」
相手「私の父方はA型が多く母方はB型が多く父と母は性格が違うため家庭ではいつも(中略)でも父方の叔父だけはO型だったのであれはたしか15年前、祖父の3回忌で帰省していたとき(中略)というわけで遺伝のあれこれで(中略)私はB型だったため母がいつも口癖のように(中略)」
みたいな。
もうこれビョーキやん。
ていうレベルの人が結構いる。こういう人に相談持ちかけられたりするとすごい消耗する。
たとえば、とあるプロジェクトの資金集めの方法を教えてくれ、と聞かれたとして。まぁこの質問内容をぐちゃぐちゃの会話の中から抽出するのも一苦労だけどそこはクリアしたとして。
私「クラウドファウンディングすれば?」
相手「このプロジェクトはこれこれこういう感じで今はどこぞでどうのこうのでどこぞの誰かがなんやかんやを提供してくれる運びになってだから当面の資金のめどはたっていて」
資金あるんかよ。
相手「だからどうのこうのでこんな知り合いがいてでも後継者がいないのが悩みで」
私「若い人がキャリアを捨ててまでお前の仕事を引き継ぐメリットは提示できんの?」
相手「仕事をしてくれる若い人はどこぞの伝手で何人どうのこうので日給はいくら提示していて仕事内容は」
みたいな。
結局あんた何のために私に会いに来たのっていう。
こういう人はおそらく、自分の行動の意味を自覚できていないのだろうと思ってる。自分がなんでこの話をしているのかという意図と、この話をすることで相手やこの場にどのような影響を与えたいのかという目的がないままオウムのように単語だけを羅列している感じ。
めっちゃビョーキやんそれ。
これの亜種として、はたからみると意図がバレバレなのに本人だけが自分の意図を自覚せず自己防衛に必死になってるというパターンもある。私は間違っていない私はこんなに苦労したと永遠語り続けるタイプ。
これはこれで別の病名がつくビョーキですね。
こういう人はおそらく、自分の言葉や行動がどのような衝動に支配されているかを自覚できていなくて衝動が暴走しているのではないかと思う。彼らは注目されたい、承認されたい、尊敬されたい、肯定されたい、みたいな自分の欲求を自覚できていない。自覚できないから、その欲求について考えることができず、欲求をどのように満たすべきかも考えられない。でも欲求だけは感じるからなんとかして満たそうとして全力で間違った方法にすがる。
わかったこれ餓鬼道だ。
空腹の苦痛は感じる。でも何を食べれば空腹が満たされるか理解できるほどの知能はない。だから目の前のごちそうを食べればいいということが理解できず、互いを共食いしてる。
てかこれわりと大脳が発達した動物あるあるだ。
わりとよくある実話で、飼い主が突然死して死体と一緒に閉じ込められた犬が飼い主の顔を食べるというのがある。庭にはその犬が狩ったであろうトリやウサギの死体があるにもかかわらず、犬は飼い主の顔だけを食べて餓死する。
飼い主が死んだら顔を食べてから後追いとか犬サイコパスかよこえー。
となるけど、これ実は別にサイコパスでも後追いでもない。
ドックフードしか食べたことのない飼い犬でも本能で獲物を捕まえることはできる。でも自分が捕まえた獲物を食料として認識できず飢える。
飼い主の顔を食べるというのも、死体になった飼い主がいくらじゃれても構ってくれないからじゃれつきがエスカレートして顔を食べるという行為になると言われている。だから食べる部位は内臓でも手足でもなく、最も反応があってしかるべき顔だけになる。
もし犬に自分の空腹が自覚できてその原因を考えるだけの知能があったら、手当たり次第物を食べてみるとかドックフードを探してくるとかして空腹を満たすことができただろう。
もし犬に自分の寂しさが自覚できてその原因を考えるだけの知能があったら、もう反応しなくなった飼い主に見切りをつけて、自分の寂しさを満たす別の方法を探すこともできただろう。
でも犬には空腹も寂しさも自覚できなくて、結果死体の飼い主への加害と犬自身への加害に至る。
そう考えると、犬並の知能しかお持ちでない方への対処法というのも見えてくる。
犬は空腹を自覚分析できないが、母犬が獲物を食べるのを見ることで獲物は食べ物だと自覚する。知能の低い生物は欲求の満たし方を教育によって習得する。
つまり、彼らに必要なのは教育だ。どのように振る舞えば欲求を満たすことができるのかロールモデルを示して模倣させる。
あー…そっかぁ……
そりゃミスマッチなわけだわ。私の周りに天才しか残らないわけだわ。
だって私、徹底的に自覚しろって迫るもん。自分の欲望を覗きこむのっておもしろいじゃん。わーこんな腹黒いこと考えてるんだ私って発見するのすごい楽しい。それ解体するのもテトリスみたいで燃える。
でもそれを気軽に他人に要求しちゃダメなんだな。
私が気楽に自分の欲望を自覚できるのは。それをコントロールできる、解体できるという絶対の自信があるから。どんなどす黒い欲望でも孫悟空をみるお釈迦様のように余裕綽々でいられる。でも無力な村人は暴れる孫悟空が恐ろしいのだろう。
なんか、ずっといろんな人から言われてきたことがやとちょっとわかった気がする。
「誰もがhedgehogxみたいに正しいことばかり選べるわけじゃない」
「本当はhedgehogxの言ってることが正しいと分かってる、でも行動できない」
とか。
いや私別に正しくないし、行動したくなきゃしなければいいし、それを私は理解できないけど否定はしないよって反論してきたけどめっちゃ的外れだったんか。
どう表現すればいいんだこの腑に落ちすっきり感。
相手は「自分の中の暴れる孫悟空を止められない」と言っているのに私は「あなたの孫悟空が納得できるように行動すればいいんじゃね」と答えてる。
私にとって孫悟空は完全にコントロールできるペットみたいなもんだし、孫悟空の暴走なんて飼い猫がじゃれてるくらいにしか思ってない。だから私は相手の理不尽で不合理な行動を「あなたは孫悟空をなだめるのにそういう方法をとったのね」と言う。孫悟空は暴れるけど、それをどのようになだめるかは理性が決めていると思ってる。
でも相手にとって孫悟空はいつ起こるか分からない防ぎようのない大地震みたいなものであって、孫悟空の暴走は理性では止められない。
衝動が理性で止められないってどんな感じなんだろ。
絶食して餓死くらい余裕でできちゃうタイプだからちょっとよくわからないや。
相変わらず私の隣人は私の想像を絶する世界に生きている。