雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

近所の人に宗教の家だと思われた

10歳になる娘が往来で突然

神様は私達をいつも見守ってくださってるでしょう

とか言うもんだからひいぃてなった。近所の人に二度見されたorz
これどう返事すればよかったの。。

違うんすよウチは子供に信仰を強要し選択肢すら与えない家とかじゃないんですただちょっとパスカルの賭けに乗ることを選んだ子ってだけだしその賭けだって本人が自主的に考えついたんで私教えてないんで!彼女のなかでは妖精もサンタも神も、見たことない生物ってことでエリマキトカゲとかハチドリとかと同じカテゴリなんで。ていうかまだ信じてたのかよ神!そういやこの間アリエッティのおやつ用意してたね君。スライム飼ってるし。


でもここで気楽に神なんかいねーよとか言うと大変なことになる。
じゃあ命を生み出したのはだれ?とかなぜ人は幸福を願うの?とか世界はいつはじまったのとかなぜ私達は自我があるのとかずーっと聞かれて適当に答えると矛盾点をさらに追求される。すげぇ大変。
あと無造作に神を否定するのは宗教家に失礼だし。

幼稚園のころ私がイングレスにはまって、何してんのって聞かれて説明がめんどくさくて「世界の平和を守る戦いをしてるんだ。スマホ見てる大人はみんな戦ってるんだ」とか言ったらこの間すごく心配な顔して最近世界の平和は守られてるかって聞かれてごめんてなった。信じてたんかよ。ほんと大丈夫かなこの子。。


話を聞いてみると、どうやら生物のホメオスタシスとか数学の公理とかの秩序の存在に何者かの意思を感じるという近代西洋的なGOTについて考えていたみたいなので、秩序に意思を投影する心理が無作為をどうとらえるかみたいな話をしといた。

でもこれ会話文にすると

娘:神様はいつも私達を見守ってくださってるでしょう
私:そうね。(焦
娘:だから私達は今日も生きているよね
私:神様が命をくれるから生きていけるということ?
娘:生きているというのは美しいから、美しい何かを神様がくれているんだと思うの。



みたいな感じになって、めっちゃ宗教の洗脳してるっぽい!!

英単語が覚えられないけど会話はできる謎現象

なんかたまたま「英語で100点取る方法」みたいなの覗いてみたら、ひたすら単語を覚えればどんな文章でも読めるみたいなことが書いてあってほぉぉ…てなった。そうなんか知らなかった。そういえば単語と構文を5000ほど暗記しろみたいなことをみんな言っていたような。

 

 

私がIQテストを受けたきっかけは、点数の取れる分野と取れない分野に差がありすぎるからです。だから精神科のドクターも私自身もこいつは絶対なんか障害あんだろみたいな確信をもってたのだけど、実際はただの高IQでなーんだってなった。

ただし私がテストをうけたのがけっこう大人になってからなうえある程度IQテストの内容や評価基準を知っていたからまんべんなく点数が取れてしまったのだと思う。たぶんもっと小さいころだったらすごい凸凹があったのではないかと思います。

 

多分私は暗記も理論的思考もめちゃくちゃ得意だけど、ストーリーのない暗記がめちゃくちゃ苦手。

円周率は頭の中で計算しながらなら答えられるけど丸暗記はできない。掛け算九九ですら丸暗記できなくていつも頭の中で面積のイメージ作って解いてる。買い物行くとき合計金額を計算しているけどそれも数字ではなくて硬貨やお札を増やしてくイメージ。

 

だから国語でも英語でもドイツ語でも韓国語でも、長文は常に100点がとれるのに単語とか構文とかの簡単なのは0点でした。

国語だったら、源氏物語原文は草書で読める小論文も書けるのに、「きんにく」「どうろ」とか単語で出されると漢字が書けないしむしろ意味が分からない。

英語だったら、シェイクスピア一冊読めるのに、「I have a pen」は読めない。

センター試験は前半全滅なのに、上智とか京大の語学はそこそこ合格ライン。英語で卒論なんて超余裕。

あと、暗唱が全くできません。英語の授業の簡単な自己紹介すら暗記できない。だけど専門分野なら英語で討論が全然普通にできる。

 

とにかく長文であればたいがいのことは理解できるけど、細切れの情報になったとたんなにもできなくなります。

 

たぶんこれ、単語ではなくて文脈でしか理解できないタイプなんだろうなと思います。

おそらく私は一つ一つの単語を理解はしていなくて、全体の構造から細部を推測しています。だから日本語でも英語でもドイツ語でもフランス語でもあまり違和感なく読める。むしろいま自分が読んでいる言語がなんなのかをあまり意識していません。あとアナグラムとか鏡文字とかも気づかず普通に読んでしまいます。

 

私の娘も同じようなタイプで、掛け算九九や漢字練習に四苦八苦しています。

わかるよーいっくら繰り返しても全く覚えらんないんだよねー!

むしろ繰り返す時間が無駄だから。計算したいなら物理やったほうが早いし、漢字なら漢文読んだ方が早い。でも理解のない担任だとみんなやってるからというゴミみたいな理由で漢字練習を強要してくるので大変です。

 

そしてこれ、頭の悪い人の特徴じゃないかと危惧しています。

私は私のコンテクストの中でしか物事を解釈できなくて、コンテクストの外にいくことができない。私のコンテクストが同性愛者は死ねとか美しい国とかいうコンテクストであれば私はネトウヨになっていたのではないでしょうか。こわ。

ていうか単語が暗記できる人というのは自分のコンテクストに存在しない文章を読めるのでしょうか。ちょっと想像できないんだけどどういう世界観なんだろう。

 

 

障害者は死んでもいい、をちゃんと理論しないとだめっぽい

わたくし常々、障害者は死んでもいいと主張しております。

でもこの世には「君が代くらい歌えばいいじゃん歌わないと空気悪くなるんだし」「産まれた国を愛するのは当然だし家族愛も当然だしそれを学校で教えるのも当然」「同性愛を認めたら異性愛者が減る」みたいなエクストリーム脳みそを搭載している方が多すぎて、おそらく彼らには障害者は死んでもいいなんていう雑な理論はそのまま障害者死ねに聞こえてしまうのでしょう。

まぁ私は政治家じゃないし匿名の過疎ブログでくらい言いたいことを言いたいように言わせてくれよとは思うし実際これからも適当な駄文を垂れ流す所存なわけですが、それはそれとして私の主張をどうしたらちゃんと伝えられるのだろうかというのも考えていかなければいけないのだと思います。

 

批判なき政治とか過半数とっている自民党に逆らうなんておかしいとか言っちゃう人たちにも伝わるように、かぁ…

 

とりあえず雑な論をぶちあげておいてそれぞれに思いついたことを言い合って合意を形成していく、というアカデミックスタイルは脳みそが残念な方々にとってはネットリンチにしかみえないらしいということをまずは肝に銘じないといけないっぽい。

 

わかりやすく説明するってすごく難しい。

すでに結論がはっきりしていることであれば説明できるけど、まだ結論が出ていない「私はこういう視点からこう考えたけど、あなたはどう思う?」という段階で分かりやすい説明を求めるというのは結構な難易度です。溺れている人に現状を説明しろとか言っても無理。まずは安全確保しないと支離滅裂な言葉しか出てこない。

 

だけど私の支離滅裂な言葉というのはかなりの力を持った正論になってしまうらしいです。

教育ママタイプの毒親みたいに、全ての思考に先回りして「だから言ったじゃん!」とドヤ顔して無自覚に相手を追い詰めてしまう。だってちょっと考えればわかる程度のことじゃんか。なんでわかんないの。

いやだって私だって別に結論が見えてるわけじゃないし、分かりやすく説明できるほど理解してるわけじゃないんだよ。私がほかの人に見えない結論を先回りしてしまうときというのは別に見下したいとかドヤ顔したいとかではなくて、私も混乱しているときなんだよー…

これきつい。めっちゃきつい。私の狂気は他人を追い詰める。てことは私は私の狂気に一人で立ち向かうしかないわけで。

私が私の狂気を本気出して発揮してしまうと医者もカウンセラーもわりとイチコロでぽろぽろ離職しちゃってすごい罪悪感感じる。なんだよ私ラスボスの魔王かよ。

 

もうこれAIカウンセラーとか開発するといいんじゃないかな。AIなら壊しても怒られないよね!

 

 

 

 

 

 

 

ネトウヨに必要なのは論破ではなくヨシヨシな件

暑くて煮えた脳みそでこの駄文を書いています。何なの日本呪われてんの?

 

 

 

今話題になっている杉田水脈さんの「生産性のないやつに支援はいらない」発言とか、隅から隅まで頭がわるすぎて

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なわけなんだけど、たぶんこれ論破ではなくヨシヨシが必要な案件なのだろう。

 

世の中には自分の選択を無限に肯定してほしい承認欲求餓鬼みたいな人たちがけっこう存在していて、彼らは選択肢が存在するというだけでアイデンティティクライシスに直面するらしいです。

自分は結婚した、だから結婚しない人は許せない。自分は子育てした、だから子育てしない人が許せない、自分は改性した、だから改姓しない人が許せない。

そんなん、おくすりのんで寝ましょうね案件じゃないですかー…

 

くっそめっちゃ論破したい。この穴だらけの理論破綻を問い詰めたい。

でも彼らはおくすりのんで寝ましょうねな人たちで、そんな精神状態の人に正論をぶつけてもしょうがない。自由と権利にはそれを運営するだけの自律が必要であって、自律する知性に欠けた人の権利は制限される。まともじゃない人間にまともな対応をするのは不毛であるだけでなく残酷なことです。

 

最近だいぶん、現在の自民党的なもの、トランプ的なものの存在が認知されてきて、それと同時に自民党的なものを支持する人たちのメンタリティについても可視化されてきたように思います。

たぶん彼らはバブル期に肥大してしまった自意識を更新できず理想と現実とのギャップに苦しんでいるのでしょう。

選ばれた日本国民であるオレサマは高学歴で大会社に努めて諸外国を見下して女の尻を揉み放題だったはずなのに、現状のオレサマはFラン出で派遣雑魚労働者で諸外国に追い越されて女性は言いなりにならない。こんななずじゃなかったやりたい放題できる強い日本復活せよグレートアメリカメイクアゲイン。

 

何様だよwって感じですが。

 

彼らは自分の中の支配欲求と向き合う機会が一度もない状態で大人になってしまったのでしょう。大人になってから価値観を変えるのはたぶんとても難しいことです。だから彼らに必要なのは懲罰ではなく再教育プログラムで、教育の第一歩は自分の欲求を自覚することです。自分がだれにどのような欲求をぶつけているか言葉にすることで初めて、自分がどれほど無茶苦茶な要求を他者に強いているか自覚することができる。

 

その教育コストをだれが支払うんだとかいう問題はありますが、懲罰や晒し上げよりも教育という流れになるといいのではないかと思います。

 

 

 

 

自分が殺されるまで問題を認識できない人たちが大勢いる

LGBTは生産性がないから支援しなくていい、という発言が問題になっている自民党杉田水脈氏。性被害者をバッシングしたりいろいろと問題の多い方のようです。

LGBTが気持ち悪いと思う内心の自由はあるし、LGBTに係わりたくないというのも別にありですけどもこの杉田氏は政治家でありながら子供を産めない女性は価値が無いから社会保障はいらないとか言っているのでアウトです。

 

 

 

そして今回、私としては「日本ちょっと成長したじゃん」と言いたい。

なんせ日本は中世ジャップランドなので、LGBTも障害者も女性も弱者もすべて人権なんかなくていいしそれで何か問題でも?保毛男を笑って何が悪い?という状況なわけで、そこでLGBT差別は良くないよねという論調になるのは日本スゲーじゃないですか情けないけども。

 

そして私がいろいろ考えさせられたのが、勝間和代さんがこの件に関して疑問を呈したことです。

勝間さんは自民党の熱心な信者さんです。

blogos.com

 

共謀罪?道徳義務化?国旗国歌法?教師の密告制度?働かせ放題??いいじゃんそんなの全然問題ないよだって儲かってるし。景気回復が何より優先。税金ガン上がりしてし賃金上がってないけどアベノミクス効果あるし。だって株価あがってるもの。戦争?ナチス?なにそれ大げさすぎww

 

てな方でも、ご自分に火の粉がかかるとさすがにこれはマズいと認識できるようで。

 

でもわりとちゃんといろいろ考えている勝間さんですら、自分に火の粉がかかるまで問題を認識できないのだなというのは肝に銘じておかないといけないのだと思います。

 

私は公務員の国歌斉唱が職務だという判例は大いに問題だと思っているのですが、それを「別に歌くらい歌えばいーじゃん」という認識の人がたぶんすごくたくさんいる。

そういう人は歌くらいなら空気読んで従うけど、戦争で人殺してこいみたいなヤバい命令には従わないという自信があるんでしょうかね?

私はユダヤ人を殺せとか特攻して死んで来いとか言われたときにちゃんと反対できる自信がありません。我が身かわいさで全体主義に屈する自身があります。だからこそ「歌くらい」のレベルで自由を保障し続ける態度を示す必要があると考えています。

 

でも、「歌くらい」がエスカレートする過程を想像できない人がたくさんいる。

 

彼らにとっての「歌くらい」は本当に「歌くらい」でしかないし、テロ防止法案は善良な市民には関係ないし、家族も国家も素朴な敬愛の対象でしかない。みえているものが違いすぎる。

なんかもう絶望的に想像力と記憶力と分析力が足りてない。

 

だから彼らに理解できるのは

てめーらの家に警察が押しかけてきて牢屋にぶち込んで殴り殺すぞゴルァ

くらい分かりやすく身の危険が迫った時でしかない。共産主義者が殺されても社会主義者が殺されても彼らには状況が理解できない。だからもうあきらめて、「彼らには理解できない」ということを理解しよう。足が無い人は走れない。知能が低い人には理解できない。じゃあその中でどう合意を形成しようか?という方向性でやってくしかないのではないでしょうか。

 

 

崇拝される覚悟を決めた

私はだます側です。

 

ここ数年でやっと、自分の頭で考えられない人たちがけっこう存在するということが分かってきました。

 

いやだって、脳みそついてんじゃん。字が読めないとかじゃなくて、普通に生活して電車乗ったり会社行ったり新聞読んだりしてんじゃん。なのに理解できないってどういうことよ。リンゴって単語みたらリンゴのことだなってわかるじゃん。同様にある思想を聞いたり読んだりしたらその思想理解できるじゃん。

でもできないんだよね。

言葉は通じても話しは通じない。

だから私の適当な御託だって信じてしまうし、キノコを食べたらガンが治るみたいなのも信じてしまうし、自分がどういう力学に支配されてどういう意味を持つ選択をしたかすら理解できない。

 

その状態で理解と選択を強要するというのは、足のない人に走れと言っているくらい無茶なことなんだと思う。丁寧に説明すればいいじゃんとかそういうレベルの問題ではなく、無理なことは無理。私に空が飛べないように、彼らは理解ができない。

 

だから彼らに理解を求めることはやめました。

 

いいよね怪しいキノコ。

これから私万病に効くキノコめっちゃ売るよ!

 

結局彼らは理解はできなくて、だったらより全体の幸福に寄与するものを提供するしかない。私がキノコを売らなかったらもっと悪質なキノコにひっかかるだけだもの。などと供述しており。

続・頭の悪い人に何が提供できるか問題

前回めんどくさくなって投げたので続き。ほんとこの問題を華麗にソリューションできる人がいたら尊敬する。

 

国歌を歌わなかったら雇止めは合憲、という判例が出てしまった件についてあまりに中世なブコメ群にめまいがしてIDコールしてしまった。むしゃくしゃしてやった。

www3.nhk.or.jp

ただこれニュースを読む限りだと、個々の判断としてはそこまで過激なことは言っていなくて、国家を歌わなかったから銃殺刑とか懲戒免職とか言ってるわけではなくて再雇用をしないだけ、しかも伝統的に右寄りで右寄りな条例もある東京都での話で、個々の判断としてはそんなにおかしくはない。むしろせっかく有利に進んでいたのに最高裁までいっちゃった原告側の弁護士の無能さが際立つ。

東京都も本音は君が代だったとしても表向きは適当にごまかしとけばよかったのになんでこんな角のたつことをやらかしたのか。

 

でも、今後「君が代斉唱時に起立しないのは再雇用しない理由として正当」という判例ができたわけで、あたまのわるい人たちは判例水戸黄門の印籠かなにかと勘違いしているわけです。4割くらいの国民はこの結果を見て「ほらみろ君が代を歌わないと職を追われて当然なんだ」とか思っちゃうのです。

実際、国旗国歌法の時点では強制はしないと言われていたのにめっちゃ強制してるし再雇用しないって脅しているわけで。治安維持法だってそうやってじわじわと法律の中身を変えていったわけで。

 

「起立しないことで俺たちの卒業式に泥を塗ったのが腹立つ」みたいなブコメもあってぞっとした。

なに国歌を全員が斉唱しないと卒業式が台無しなの?そういうのは安倍記念小学校でやってどうぞ。組体操も部活動も夫婦別姓反対もこういう理屈で運営されているんだろうな。『全員が一人残らず参加する』がアイデンティティになっている幼稚な人は他人に思想信条を強要することを人権侵害だと自覚できない。

別に歌くらい歌えばいいじゃんって?

そうだね別に思想犯を殺せとか密告しろとか言われてるわけじゃないものね。歌くらいいいよね。歌くらい気に食わなくても周りに合わせろ、足並みそろえろ反発は許さんというなかで育って肝心なところでちゃんと反対できるのかな?できないって歴史が証明してるけどね。

 

しかもこれ公立学校なわけで。

嫌なら辞めればいいじゃん、ていうけどね。実際教員だったらやめるという選択肢もあるけどね。東京で公立に通う階級の子供は自分で学校を選べないから完全に強制なわけ。君が代を全員で歌わないとクビになっちゃうような場所に強制的に毎日通わされるわけ。学校は弱い立場である子供に対して絶対的な強制力を持っているということをもっと自覚したほうがいい。

 

どうしても国歌斉唱をしたいんだったらいっそさ、出席者全員分の国歌を全員で歌えばどう?先祖を敬うということで100代くらい遡れば世界中の国歌を歌うことになって平等じゃない?ついでに世界中の神も祀ろう。にぎやかになっていいじゃん。

それかもう国歌を政治色のないものに変えるとか。意味深な歌詞だとまた問題が発生するから「もしもしかめよ」あたりでいいんじゃないですかね平和で。それかもう意味不明な音だけのボイパで。いやもう歌うのやめて各々好きな楽器持ってきて勝手に鳴らそう。

 

それをしないんだったらなんで右よりの方々は日本国歌だけ強要して一糸乱れぬ姿に気持ちよくなる権利があるのにそれ以外の人は我慢しなけりゃならないのという話になるんだけど。

 

 

とまぁ、今回私は大変雑な理論展開をしたのですが、それでも1000文字超えてしまうのです。この問題を真面目に考え出すと何万字も必要です。

そして「国歌斉唱で秩序を守るのは正しい」とか思っちゃう人は10文字くらいしか読めないので、丁寧に説明すればするほど「俺たちを見下して馬鹿にしてる!」とか怒り出すのです。

 

選択肢が多い方がいい派と、選択肢の存在自体が気に食わない派は対称ではありません。

選択肢が多い方がいい派は国歌を歌わない自由と同時に歌う自由を認めます。

 

 

でも選択肢の存在自体が気に食わない派は国歌を歌わない自由を殺します。

彼らにとって反逆分子は彼らの自尊心を汚す存在であり抹殺すべき存在です。

 

そんな彼らに私ができることは彼らにおもねって国歌を斉唱するか、反逆分子として殺されてやるか、あるいは私自身が教祖となり彼らの崇拝の対象として君臨するかしか考えられないんだけど。

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彼らの世界の中には同志と敵と崇拝の対象の3つしか存在しなくて、同志になれないんだったら敵として迫害されるか崇拝の対象になるかの2択しかない。少なくとも今の私にはその二つの選択肢しか見えない。

 

崇拝ねぇ。

やればできそうだけども。

 

なんだろ、彼らの世界に取り込まれて彼らの物語の登場人物にされてる感。毒親育ちの子供の虚無感みたいなやつ。

でも他者を認めない彼らにとって現状私は敵でしかなくて、身の危険を感じる前にちゃんと崇拝にシフトしないといけないと思うんだ。

 

やだなー…