雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

怪しいコンサルとかにはまる個人事業主に擬態してみた

いちおう悪徳業者なので、コンサルにはまっちゃうタイプの人をカモにしたい。なのでまず自分がなりきってみた。


設定
ええっとぉ、ずっと主婦やってきてぇ、子供も大きくなったから資格とって自分のお店とかやってみたいなぁ(はぁと)

嘘は言ってない。偽装家庭で大黒柱やってても書類上婚姻してる女体持ちは主婦という肩書で間違ってはいない。



そしたらくるわくるわ、怪しい奴らが入れ喰い状態。すげぇな怪しい業界。
コンサルとかなんなのあれ。あいつら私の金で遊んでるだけじゃん。私がダイソーみたいな薄利多売をやるなら工場とか販売ルートとかの定石があるのるかもしれないけど、せいぜい数人のビジネスなんかノウハウの蓄積ができない。今からホリエモンの真似をしたってホリエモンになれるわけではない。コンサルの言うことなんか聞いている暇はないしコンサルで儲かるなら成果報酬でやれや。


あとすげー偉そう。めっちゃ否定してくる。そんな甘い考えじゃ破産する的なことを言ってから、さあ金払えってくる。


最近多いのが芸能スクール方式で、集客は代行してやるから固定費払え、ビジネスを勉強させてやる、てやつ。
集客代行っつても既存の仕組みに組み込むだけなので実質雇用で、こっちに時間や内容の自由はゼロなのに固定費用がかかってくる。意味が分からん。私が働いてるのになんで私が金を払わなくちゃいけないんだ。新規集客に特化したガタガタなコンセプトでリピートなんかとれるわけない。でもリピートできない私が悪いってことになるわけでしょ。
事業主目線からすると人件費がかからない上に固定費が入ってきて新規集客だけやってればあとは他人のせいにして使い潰せばいいわけで、すごいなうまいこと考えたねさすが。金ヅル兼奴隷が手に入るわけだもんね笑いが止まらないよな。

これ私にメリット無いよね?裁量権が無いなら固定給貰える雇用でいいじゃん。


でも今回の私は「えっとぉ、すごい人にお会いできてキンチョーしていますぅ経営なんか考えたこともないですうぅぅ」マインドなので私の事業計画を否定された時点で「こんなにすごい実績がある人が私のためを思って親身になってくださってる私はなんて恵まれているんだこの人の下で学びたい」になる。すげーわ洗脳。
そんで「これ実質雇用ですよね労基どうなってんの」みたいな相手にとって都合の悪いことをちょっとでも言うと露骨に機嫌が悪くなる。でも私は「相手は実績のあるすごい人」マインドなのでそこでもう思考停止するしかない。その人に嫌われたらこの業界で生きていけないマインドだから。おいでよストックホルム
今回、私は何も知らなくて偉い先生に育ててもらうしかないマインドでロールプレイしてみたんだけどすごく思考が制限されるということがわかった。偉い先生に気に入られることしか考えられない。偉い先生(笑)は私のことなんかティッシュ並みに使い捨てにしてきてるのにそれに気づけない。たぶん部活のイジメなんかもこの心理になってるのだろう。


あとやたら才能を押される。hedgehogxは天才だたぐいまれな才能があるそれを世に出すべきだ、ただ才能がありすぎてそれをうまく伝えられてないだけだ、的な。誰に向かって物をいっているのだと。そもそもおまえのIQで私の実績が理解できるとでも。思い上がるな下郎。
多分普通の人にとって天才とか頭がいいというのは欲しくて欲しくてたまらない褒め言葉であり慰めなのだろう。俺は才能がある、悪いのは才能を正当に評価しない世間だ、みたいな世界観なのではないだろうか。才能と商売をイコールで結んでる時点で才能を理解していない。


まとめ

個人事業主向けの怪しいコンサルや最近流行りのシェアビジネスは自信の無さにつけこんでくる。
零細なビジネスに定石は無い。だから1000回くらい失敗する前提で計画をたてて動けばいいだけなんだけど、多くの人は確実な方法を求める。誰かに保障してもらいたがる。
そこにつけこんで「お前の甘い考えではダメだ俺様の言うことを聞け」と言えば使い捨ての金ヅル兼奴隷のいっちょあがり。
冷静に考えたら、コンサルが私の失敗の責任をとってくれるわけじゃない。成功したらコンサル様のおかげ、失敗したら私が至らないから。だったら最初っから自分でいろいろやったほうがいいじゃん意味が分かんない。

それに加えてあなたの類まれなる才能を埋もれさせるのは忍びないから協力したいとか言って自尊心をくすぐってくる。でもね、ほんとの才能ならパトロンが勝手に大学進学させてくれるし、研究室の一つも買ってくれるのよ。頼まなくたって勝手に機材を揃えてくれるしお金もくれる。いらないって言っても押し付けてくる。そこで金を払えって言ってくるってことは金ヅルに対する接待でしかない。
自尊心系では大きなビジネスをしている気分にさせるというのもある。業務提携とか官邸とのコネだとかなんとか。でもそんなのはこっちにある程度の組織力があって初めて成立する取引であって、裸一貫経験ゼロの人に人脈を提供してくれるお人よしなんかいない。結局金ヅルでしかない。



ということで、これから仕事をやめて独立したいなとふわふわ夢見てる人はとりあえず行動しましょう。最少予算で最大回数行動してそこから肌感覚で掴んでいくしかない。



いやぁ勉強になりました。今後の悪徳業にいかしていきたいと思います。

男女間におけるセックスに対する温度差を考える

女性は男性に突然告白されるとぬいぐるみにペニスが生えてきたようなショックを受ける、というのが棘で定期的に上がってきますね。

これ、相手をぬいぐるみ扱いするなんて男性を見下してる傷ついたみたいなのは、なんか違うんだよそういうことじゃないんだよと言いたい。

togetter.com

 

なんていうか、たぶん「セックスはこういうもの」という社会通念と多くの人がセックスに求めているものがズレてる気がする。


たぶんセックスってもっとゆるくていいんだと思うんです。

買い物に行ったりご飯作ったり味付けでモメたり手を握ったりほっぺをなでたり一緒に風呂に入って頭を洗いあったり、そういうの。

他人に頭を洗ってもらうと気持ちいいよね、今度やってあげるね。みたいなノリで他人にちんここすってもらうの気持ちいよね、みたいな。ちんこのでかさとかまんこが濡れてるかとか挿入とか射精とか別にどうでもいいじゃん子供作りたいわけじゃないんだし。やってる最中に寝ちゃったりおやつ食べ始めちゃったりする程度がちょうどいい。

 

 

たぶん男性にとってペニスはよいものでセックスは楽しいスポーツなのではないかと想像します。

好きな人に「一緒にスポーツしていい汗かこうぜ!」と誘ったら「うわキモウザ犯罪お前の存在自体が罪」みたいな反応をされたとしたら、それは悲しいし怒るのが普通。というのが男性目線なのではないかと。

でも現在の社会通念において、女性にとってセックスは凌辱であり屈辱と恐怖と苦痛なのですよ。残念なことに。

突然押し倒されて拒絶してもいやよいやよも好きの内とか狂ったことを言われて胎内に異物をつっこまれて悲鳴を上げたらよがってると言われ挙句たった一人で胎児殺しを背負わなくてはいけない。そうなってしまったのは女性に隙があったからといって責められる。そんな行為が好きなわけないし、「セックスしようぜ」は「お前を侮辱して暴力振るって一生残る深い傷をつけるぜ!」に等しい。そりゃキモウザ死ねちんこもげろです。

 

だけど女性がそれを主張すると男性には「お前らは犯罪者だ、男性性は全て悪だ」に聞こえてしまうというのも想像できます。ほんとどうしろっていうんだよああそうだよ俺は生まれながらの犯罪者だよ悪かったな!みたいな気持ちにもなるってもんでしょう。

 

 

男性も女性も愛し愛される権利がある。なのに男性の愛情表現は加害とされてしまう。

でもこれは誰も悪くない不幸なすれ違いにすぎません。

男性の性欲=加害 という社会通念が悪いだけです。

 

 

悪いのは男性の愛情表現を加害とイコールに結び付ける社会通念です。これがある限り男性の愛情表現は加害と同義になってお互いが傷ついてしまう。加害された女性も深く傷つきますが、加害なんてしたくないしする気も無いのに自動的に加害したことになってしまう男性側だって相当に傷ついているのだと思います。

 

女性の気分を害したらセクハラと言われる、どうしろっていうんだよ!というのが最近の非婚化の原因なのでしょうがこれを解消するのは昔ながらのセクハラジャップランドに戻ることではなくて、犯罪と性欲を分離することだと思います。

 

性犯罪はセックスという行為を使った加害にすぎません。性欲が暴走したから仕方なかったではなく、犯人の犯罪欲が暴走しただけです。本来の性欲は愛情でしかない。

というかそもそも性欲という言葉自体を解体したほうが早いかもしれません。『性欲』と言われるものの多くは子供を作りたいという生殖欲ではなくもっと社会的な承認欲求とか愛着とか愛情とか単純に柔らかくてあったかいものに触りたい欲求とかそういうものでしょう。そうやってたくさん楽しい時間を過ごして、お互い無防備で隣にいられる信頼を築いて、そこで初めて子づくりでもやっとく?という生殖欲求の段階に入るのがいいのではないでしょうか。

 

たぶん現代社会は生殖に至るのが早すぎるのだと思う。男女が裸でベットに入ったら生殖行為、というのがヒト社会にそぐわない。

 

ヒトの養育には多大な労力と社会関係が必要なのでそれらを構築する労力の末に生殖を置くモデルでないと成立しないのに、現代では生殖に至るまでが短すぎる。タマゴを生んで即解散のウミガメみたいになってる。

 

そこで昔はムラ社会で濃密な関係があったのかもしれません。でも寿命が延び教育水準の上がった現代では、パートナー含め周りとの関係性を個人単位でじっくり構築してから生殖という新しい恋愛プロトコルを作ったらどうでしょう。

 

 

 

 

 

たぶん、セックスしたい女をあてがえとか言ってるキモい男性が求めているものは生殖でも凌辱でもなくて信頼や愛情で、それは現代型のセックスを解体するところからしか発生しえないのだと思います。

 

 

 

発達障害の人に会った

この間会った発達障害の人が全然話が通じなくてまず先入観が修正できないし、ちょっと説明の順序間違えるともう修正きかなくてめっちゃうざかった。
知能が低い人は基本的に知識の上書きができない。トリの刷り込みみたいな。だから諦めてこちらで環境整備するしかない。迷路のネズミをエサで誘導するみたいな。

環境整備をこちらに丸投げするなら管理に文句言わないでほしい。犬だって首輪に文句言わないじゃん。コントロールできない権利はお互いを不幸にする。





この業界はわりと発達障害が多いので知ってるつもりになってたけど、私の知ってる発達障害は相当な高機能なのかもしれないと思った。

テスト受けたらがたがただったwと言ってる同僚と話すときには話題の幅を狭めるだけですむのでなんだ全然たいしたことないじゃんみんな大げさなのかなとか思ってた。話通じないのも飲み会出ないのもパジャマで出勤でも会議に来なくても、仕事さえしてくれればべつに。友達ごっこがしたいわけじゃないし。よくあるジョブズ発達障害だったとかもまぁそうだろなと。狭い土台にバベルのごとく知識を積み上げてゆくことで才能を組み立てた人なんだろなと思ってた。

知識はお盆の上に積み上げた積み木のようなもので、頭がいいというのはお盆部分が広いのだろうと理解している。発達障害はかなり偏った積み方をしていていろいろ欠けてる分、得意分野はがっつりのせてるイメージ。
その理解は間違ってはいないだろうけど、典型的な発達障害はたぶん私の想定より土台のお盆がかなり狭い。だから発達の特性への対応というより知的障害への対応が必要。

だったら知的障害でいいじゃん…

それ発達の偏りが問題なんじゃなくて偏りを考慮できない地頭の問題。
キモカネオッサンが結婚できないのはキモカネだからではなく結婚によって真に得たいものは何かそれを得るために自分は他者に何を提供できるのか他者は何を求めているのか分析する力。問題が発生したときに知能で殴れないということは表層の成功を腕力で勝ち取り続けるしかないわけでなかなか大変そうだ。

なまじ高機能とかいうからほんとに高機能なのかと思っちゃったよ。違うじゃん低機能にさらに偏りが重なった重複障害じゃん。理解するのに時間がかかってしまった。早く言ってよね……

漢字テストだけが0点というLDのような謎現象と萌え絵の謎関連

文章の中でなら難しい漢字も書ける。手先も器用で模写もできるし立体構造も理解できる。IQは動作も言語も高い。むしろとっても高い。語学や作文で100点とれないとか意味が分からない。

なのに、漢字の書き取りテストだけは常に0点。最高でも10/100点。普段は意識すらせずに書けているのに、漢字書き取りテストという形式になった途端に書けなくなる。漢字練習をどれだけやっても覚えられない。イマドキの空書きなぞり書きでもだめ。「猫」とか「雪」とか書けない。普段の優秀さとのギャップがひどすぎてめっちゃ心配される。

 

という謎現象が我が一族に脈々と受け継がれていて、娘にも遺伝させてしまった。

いや別に漢字テストなんか社会出たら意味ないからいいんだけど。

 

学習障害の研究をしている知り合い何人かに聞いてみたこともあるけど原因はわからずじまい。図形も絵も普通に認識できるし覚えられるし文字も読めるし書けるから原因がよく分からないまま放置している。

 

で、最近発見したんだけど、私は萌え絵の模写ができないかもしれない。

写真や人体やIQテストのような図形なら模写できるけど、おっぱいがでかいロリ顔の幼女みたいなイラストの模写がどへたくそ。人体の写真を見て模写するのはできるけどイラストはバランスが取れない。

人体を模写するときには骨格や筋肉を大まかに捉えて、その中でどこをどう強調するのか嘘パースをどこに使うのかとか計算して描くけど、萌え絵の場合骨格がどうなっているのか、おっぱいのラインにどのような意味が込められているのかが読み取れないから写せない。

あと日本地図を書き写すのも下手。世界地図くらいのスケールなら地球のプレートを把握すればなんとか書けるけど、細かい地形はどうしてその形になったか意味が分からないから。

 

逆に考えると、漢字テストで正答できる多くの人は意味が分からなくても形がトレースできる機能が備わっているのだと思う。すげー。

 

 

 

 

 

一般人は医療に過剰な期待をしすぎている問題

以前とあるブログのエントリについてつっこみたくてしょうがなくて、でも内容が内容なので気軽につっこんじゃいけない感が漂っていたのでしばらく我慢していた話。そろそろみんな元記事を忘れただろうから書きます。

 

たとえば事故かなんかで足を怪我して手術が必要となったとして、手術しさえすれば普通に歩けるようになる的な思い込みってあれ何なの。どんなに懇切丁寧に説明しても騙された!って怒り出す人は一定数いるし、表面上は怒らなくても納得はしてない人が大半。頭が悪いのか。頭が悪いとそうなっちゃうのか。気の毒に。

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それで「緩和ケア病棟では9割以上の苦痛を緩和できます」というのは

「緩和ケア病棟では助からない人には大量のクスリをぶちこんでさくっとお亡くなりいただきます」という意味なんだけど、それが分からない人っていったい何なの。

鎮静かけるのは嫌だ、だけど苦痛が取れないのも嫌だ、意識を清明に保って苦痛も無く生かしてほしい、って、医者は神様じゃないので寿命はのばせねーよとしか。そんなのキリストでも無理。いったい彼らは何を望んでいるんだ。もうまともな判断力もなく意思表示もできない当事者をいたずらに苦しませスタッフを疲弊させ税金を浪費するあの現象はいったいなんなんだ。

 

あと、患者が暴れてなければ苦痛が無いと捉える鈍感さがすごく苦痛。

いやもう意識が朦朧とした患者本人がどれだけ苦痛かあるいは苦痛じゃないのかを確かめる手段はないわけで、もしかしたら暴れてさえいなければ苦痛を感じていないのかもしれないけど。でも私はクスリと外科処置で無理に動かなくさせられている人の、もはは苦悶の表情さえ作れない顔を見るのが苦痛で仕方ない。あれはどう見ても苦しんでいる顔だ。少なくとも私にはそう感じられる。ほんとつらい。愛したはずの人の苦痛すら汲み取ろうとしない患者家族を見るのもつらい。

 

なんでみんな死ぬのとか殺すのがそんなに怖いんだろう。

いや別に死ぬのが怖いのは好きにすればいいんだけど、殺すのはやろうよ……せめて見殺しはしようよ余計なことしないでよほんと頼むよ。

 

自分の一族を語ってみる試み

私の生家で起こった意味の分からない一連のことを私の目線でまとめてみようシリーズ。

 

だいたいの関係者は老衰その他で死亡してる上に幼児の曖昧な記憶なのでほとんど私の仮説というか想像というか妄想に近いです。フェイクもごりごり盛っています。私による私のためのナラティブ再構築の意味しかありません。

 

 

 

 

たいていの場合一族というのは概念であって実際には遺伝子は入り乱れるものですが私の曽祖父あたりの一族は何世代かにわたって近親婚を繰り返していて叔父であり兄であるみたいなよく分からない関係が普通だったりしたらしいです。「曽祖父あたりの」というのも彼がはたして私の曽祖父にあたるのか曽叔父や祖父なのかもそれらのいくつかを兼任するのかもよく分からないからです。調べる気も無いし、あの村の管轄の役場に行くのも嫌だし。

もう100年くらい前の話なのでよく分からないけどおそらく遺伝性であろう疾患で短命だったり障害が出たりといったことが多くなり、じゃあ外の血を入れようかということで同じく近親婚を繰り返していた別の一族から嫁を迎えました。この女性が私の曾祖母的な人です。たぶん。高貴な血筋でもないのに近親婚を繰り返すのはたいていの場合、特殊な能力を残そうとするためです。おそらくこの時点で私の属する二つの一族は既に通常の枠を一歩踏み越えていたのだと思われます。

 

遺伝的に脆弱なノックアウトヒューマン同士を掛け合わせるというわりと結末が見えている愚行をやらかした結果、予想通りダメな方向にミラクルが起きました。

 

とはいえ別にやたら刃物を振り回すとかいうほどアグレッシブなミラクルではなく、親戚一同の全体的なヤバさが底上げされるというわりと微妙なミラクルです。このヤバさは私にも確かに受け継がれているのですが、ヤバさの詳細は私にも未だに把握しきれていません。

当事者としては、彼岸の御方というのが一番近い感覚です。こちら側にいまいち定着できない、あちら側にお住まいの方。

エビデンスや現代的知見を全て保留にした私の純粋な感覚としては、多分神に仕えていた私たちは神に近づきすぎたのだと思う。日本の曖昧な神様ってそういうとこある。時間や空間や自我といった個の境界が曖昧で、どこまでも溶けていってしまえる。どこにでも行ける反面、外部環境に染まりやすく脆弱な自我でもあります。

 

そんなふわふわのまま、時代は戦争に突入していろんなものが壊れてしまいました。自分と一族の変容と、外部環境の両方が壊れた状態でのサバイバルの中で脆弱な個体が死んだり発狂したりする中、一族を率いるリーダーシップを発揮する者が現れ一族はかろうじて存続しました。

ただそのリーダーシップは粗野で原始的で、殴る蹴る殺す犯す閉じ込めるみたいな、まぁそんな感じでした。当時はほんと酷かったらしいです。なんかこう、今でいう境界性人格障害的な??たぶん当時は傍から見るとそういう感じに見えたのではないかと思います。毒親なんかともだいぶ近いと思う。

 

ストックホルムと言われるかもしれませんが、私は彼ら加害者と被害者、関係者全てに尊敬と感謝を抱いています。

慣習と儀式に守られることによってかろうじて現世に繋ぎ止められていた我々が何百年も続いた確固たるよりどころを全て失った上に、新しい時代の規範は妙に声高で押し付けがましく我々の境界を侵食してくるのですから、そりゃそうなるよなぁとしか。むしろよくその程度で済んだなと。私なら日本沈没くらいさせてると思う。我が一族優秀すぎか。

そしてなまぬるい経験しかしていない私の想像にすぎませんが、必ずしも被害者全てが無力な子羊ではなかった可能性もあります。なにせ他人の思考に入り込むのが得意な一族 ですから、脆弱な自我をハックして加害者に仕立て上げるくらいわけない。私ですらできるのだから原種である彼らに出来ないわけがない。しかもターゲットが一人となれば難易度が低すぎてむしろやらないほうが不思議。

 

なので、私の身に起こったことは私の一族的にはかなりマイルドです。むしろ溺愛され大切に大切に育てられたと言っていい。私がずっと蔵に閉じ込められていたのも時々セックスを強要されたのも、特殊な性質をもっていて現世に馴染めない私を思ってのことですしそのおかげで今の私がいます。

 

とかいうと認知の歪み乙wwwって言われてマトモに話なんか聞いてもらえず薬をたんまり処方されるか認知行動療法とか進められるかするんだけどねー……

 

あまりに誰もかれもがドヤ顔でそういうものだから、ドクターやカウンセラーの方々はあれ以上の解を導き出せるのか、それはどういった解なのかと何十年も悩んでしまいました。でもそれは私の前提が違いすぎるのをすっとばして現状だけを伝えたから誤解されたまま話が進んだだけなんだと思う。

だって、どう考えてもあれは当時の劣悪すぎる状況でベストではなくても関係者全員による全力のベターではあったと思う。ベストではないけれど。

そして今、私は私の代で得られた知見を元に子育てをして娘は殴られることも怒鳴られることすらなくちょっとふわふわした子という程度で育ってるから、やはり長期的にみてもベターだと思う。

 

 

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家族関係について話しても理解されないのは用語がズレているからかもしれないと思った

私がもしちゃんと現代に生まれていたら、たぶん私という育てにくい性質を持って生まれた子供をワンオペで育てる母親と仕事ばかりの父親、兄弟間で親の関心を奪い合う、というよくある問題になっていたのだと思う。その構造は私にとってもあながち的外れとは言い切れない。

でもなんか違う。なにかが全然違う。私の経てきた経験と他の多くの人の経験は何かが根本的に違う。

 

とか言うと自意識過剰乙って言われんだけど。

 

カウンセラーや精神科医に聞かれてその都度答えて、出てきた解釈がなんかめちゃくちゃしっくりこなくてあれこれ私がおかしいのか?という気持ちになる。あと友人知人と家族の話題になったときにも気軽にわっかるーと言われてすごい違和感がある。

まず、虐待されてましたって言う時に想定される加害者がだいたい両親とせいぜい兄弟ってところがすでにおかしい。なんで虐待という情報だけで「ご両親が」みたいなこと言い出すの子供を加害するのは両親だけだといつから錯覚していた。ていうかみんながみんな核家族という単位で暮らしていると思うなよ。核家族のワンオペだけが虐待の原因ではないんだ。

 

ということで、たぶん私の話は明治、いやむしろ明治以前の話からはじめなくてはいけないのだと思う。

 

 

あれは天子さまが東の都にお移りになつたころで御座いました

日ノ本の東の端、文明の開く音届かぬ山陰に獅噛みつくやふに暮す一族、それがわたくしの里で御座います

 

 

くらいね、やんなきゃいけない。

私がいた時点ですら文明開化してないような場所だったので記録なんか当然残ってない上に関係者ほとんど死んでて本家と完全に縁を切った私には調べられないことが多すぎるけど、まぁこれは記録ではなく私のナラティブなので別にいい。

 

あとそもそも「本家」て用語がすでに違和感があったりする。

家というのは江戸以降の武家とそれを模した明治民法において父系血統重視の長子相続のことを指すのだと思うけど、私の本家は一族の中で最も力が強い者がその代の当主というシステムになってたから奈良時代の連姓制に近い。明治では新しすぎて江戸ですらなくて武将をすっとばして奈良。さすがに守備範囲だわー…

あとうっかりなじみのある用語を使ってしまうと地元を特定されてしまいそうというのもある。特定されたからどうということもないけども。

 

そりゃぁ「家族」とか「自由」とか「権利」とか「福祉」とか、馴染むわけないし、私のための物語が無いというのも当然。むしろ柳田国男の研究とかのがよっぽど親和性が高いもの。

 

 

余裕があるときにちょっとづつ書いていけたらいいなと思います。

 

 

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