雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

医療と社会の統計を否定することと信じることの危険性をできるだけ分かりやすく説明する試み

主張の根拠として統計を持ってくるとなんとなく納得させられてしまう人がいるらしいので、専門用語を一切使わずにふわっと書いてみる。

 

長くなるので先に結論をまとめておきますと、統計というのは数千人とか数万人という大きな数を扱う際に必要なものであって個人レベルではぶっちゃけ全然参考にならないから自分の信じたいものを信じることしかできないよ。ということになります。

gendai.ismedia.jp

 

 

 

 ただ結局自分の価値観を守るために統計を持ちだすような人たち、知能が遺伝する(だから階級は固定であるべき)とか男性のが強い(だから男性は地位が高くて当然)とか主張したら学会を追われて差別だ!とか言い出す人は現状のポリコレ的な流れにそれだけ追い詰められていると感じていて彼らをなだめて差し上げないと社会不安につながるから無視できないというだけのことなんだろうなと思います。いままでどんだけ甘やかされてきたのそんなにつらいならさっさと来世に期待なさってくださいなと思うけど。

 

 

 

 

たとえば、60%の日本人男性の靴のサイズが27センチだったとします。

日本人男性100万人に早急に靴を用意しなければいけないサイズは1サイズのみ、という状況が発生したとしたら、27センチの靴を用意するのがベストです。(分散や標準偏差とか面倒なことは考えないことにします。)実際には27センチより大きい人も小さい人もいるでしょうが大きく外れる人は少ないでしょう。だから服屋に売っている服のサイズや薬局に売っているコンドームのサイズはある程度絞ることができます。

でもじゃあ、具体的な個人、隣のおじさんとか上司の山田さんに靴をプレゼントするとしたらどうでしょう。27センチの靴なら6割の確率でぴったりだから、と言ってリサーチせずに27センチの靴を買ってくる部下がいたらそいつは無能でしょう。

 

なんか解説しててむなしくなってきた。こんなことも分からない奴が声あげてんの。。。

そもそも統計で役割を決めていいんだったらIQの高いアジア人に白人共は従うべきだし、医師や弁護士や政治家は成績の良い女性がなるべきで犯罪率の高い男性は全て刑務所で暮らすべきだしカマキリのようにセックスの後は女性が男性を食い殺すのが正しい生物のありかたってことになるんで、むしろたとえば男性のが力が強い傾向にあるのだったら逆に少数になりがちな力の弱い男性の権利を保護する方向にいくのが正しい統計の使い方なのに。

IQの高さで社会的地位を決めるのはわりと切実にやってほしい。外見で見くびられて助手の女じゃ話にならない研究者本人を出せと何度言われたことか。つい最近も言われた。あの研究が私の研究だとなかなか信じてもらえなくてめんどい。論文に顔写真つけたい。

 

 

気を取り直してもういっちょ解説。

 

たとえば、自然分娩で祖父母同居で母親が専業主婦で母乳で育った子供の方が健康で頭がよくて性格もいいという統計があったとして、私が我が子を育てるにあたりその統計をどう捉えるか。

まずその統計は正しいか?というのは最低限考えなければいけません。最近日本の統計資料が捨てられてたりするので国の統計でも結構信用ならない。GDPとか。でもそれを言い出すと陰謀論に片足を突っ込むことになるのでとりあえず統計は正しいということにして話を進めます。

そうしたらあとは偽相関ですね。ぶっちゃけ社会学と医療の統計は正しい相関を見出すのが非常に困難というかほぼ不可能です。

自然分娩が子供に与える影響を本気で調べるなら5000人くらいの妊婦を集めて無作為に自然分娩と計画分娩に振り分けて経緯を調べなければいけません。国中の妊婦にある日突然赤紙が届いてお前は自然分娩しろ、あいつは計画分娩しろ、みたいに指示されてて絶対に従った上でその後全員が何十年も経過を虚偽無く報告するというディストピアです。まぁ無理ですしそもそも最終目標は子が健やかに育つことなので家庭を壊してまで得た統計結果に意味は無い。

そうなると妊婦の自由意思によって自然分娩か計画分娩かを選ぶことになって思想とか経済状況とかそういうのと無関係ではなくなります。たとえ自然分娩が最高に安全だという結果が出たとしてもそれは自然分娩を選べるような余裕がある階層は最高に安全だという意味にすぎません。

結局、どれを選んだかというよりは余裕と安全を整えるのが優先というおもしろくもない結果になります。ちゃんと休養して適度に運動してストレスなく好きなことして養生して、それでもダメなら潔くあきらめて死ぬ。おもしろくないけど結局それしかない。公衆衛生最強。

 

あと、なんかの薬がガンに効いたとかそういう系のは実際わりと眉唾です。100%効くとかであればともかく、60%と70%程度の差であればほとんど差は無いと思っていい。実際無作為に患者を抽出することは人権上できないのでちゃんとした医療機関でも普通に患者のえり好みして良い結果でそうな患者だけを集めるとか普通にやってる。グーグルが検索汚染されている程度には研究結果も汚染されています。結局論文データにしやすい情報が勝ちますから。

かといって全ての薬が嘘だとかいうわけではなくてわりとちゃんと効果はあるけど、このあたりのさじ加減を実際統計の場にいない人に伝えるのはとても難しいです。

まぁいろいろ考えずにいい加減なたとえを出すと、100年以内に私は死ぬ、というのはほぼ100%確実な精度で予想できるしその予想を元に人生計画を立てる必要はあるのですが、じゃあ明日死ぬのか50年後に死ぬのかといった細かいことは全然わかんない、というのが統計で、個人レベルではその細かいところが一番気になるところなんで統計なんてどうでもいい、となります。

 

 

あとはワクチン問題とか。インフルの予防接種問題とか。

でも上記二つは統計以前に医療を過信しすぎている問題なのでまた別かな。自然分娩に関しても統計以前の死生観というか思想信条が関わってくるので結局人間は生データをそのまま理解することはできなくて必ず何らかのバイアスを通じて物事を把握しているということを自覚するという話になる。中立で公正な科学的知見なんていうのは存在しない。

 

医療とか統計とかいうヘンに信じすぎると実害のありすぎるものではない安全な宗教が必要なんだろうなと思いました。

 

 

高IQはスモールステップ方式の教育だと落ちこぼれる説

最近教育分野で流行っているスモールステップ方式が鬼門です。苦手なことは細かく丁寧に細切れにして何度も繰り返し練習する、とかやられるとまじで何も分からなくなる。ここはどこ、わたしはだれ??くらいのレベルで自我が崩壊する。

多分私は一つの要素を抜き出して雑音を極力排除しそれを習得する、という理念に根本的に向いていない。そしてそういうタイプは高IQには実は結構いるのではないかと思う。IQ高いといろいろ誤魔化せる知恵もあるから目立たないけど。

 単純な暗記ではなくて、すべての事柄の全ての関係を把握することで物事を理解するからこそ常識はずれの数値をたたき出してしまうのが高IQなのではないかと。単純暗記機能だけが強化されたタイプの高IQが発達障害型と呼ばれるのではないでしょうかね知らんけど。

 

小学校でやった遠足のしおり読み合わせや朗読や九九暗唱や漢字練習が苦痛でしかなかった。単につまんないとか覚えられないとかいうことではなくて、言葉の持つ意味そのものが崩れ落ちて時間や感情や痛覚や空腹感やその他もろもろ、人間としての意識が崩壊する。ある種悟りの境地なのかもしれないけど日常生活にそんなものいらない。

同じ動作を繰り返すとだいたい3回目くらいでゲシュタルト崩壊するので、私にとって勉強は鮮度が命です。30秒くらいのすごく短いスパンでどれだけの内容を詰め込めるかが勝負。どんな分厚い本も基本的に30秒で読みます。30秒で読み切れなかったら1週間くらい間をあけてまた30秒。なので記録媒体としては紙に印刷した大量のテキストが最強です。辞書くらいの情報量の本を何冊も同時に読むくらいがちょうどいい。次点で電子書籍ですが、電子は情報を一覧にできないのが最大の欠点です。

物理本だと厚みや手触りで全体の配置が視覚だけでなく触覚で分かるので全体の論旨を把握しやすい。本棚や図書館単位であの本棚のあのあたりにこういう情報がある、とマッピングできるのもよい。物理本は好きなだけザッピングできるのもよい。電子書籍は検索すると一覧を出してくれるのが便利だがそれぞれの情報が本のどの場所にあったかが分かりにくいので理解しずらい。

 

 

なので視覚優位で文章を読むことで理解するタイプなのだと長年思ってきましたが、たぶんこれ視覚とかいう問題ではなくて単位時間当たりの情報の量が一番多い物が最強なんだという結論になりました。私の場合特に触覚というか、物理と理論を結び付ける能力が非常に高いので、実際に手を動かす実践的な部分もあればなおよし。

となると、視覚と聴覚から多角的な情報が得られる動画解説がもしかしたら一番向いているのかもしれない。

もともと聴覚認知はすごく弱くて、日本語のテレビやラジオすら聞き取れないくらいなので動画もかったるくて嫌いでした。でも私の場合の聞き取れない理由は耳や聴覚認知ではなくて単に情報量が少なすぎて理解できない可能性があります。文章でもある程度長い文章なら全く問題なく読めるのに短すぎる文章だと意味が分からないという現象がたまに発生します。

 

 

↓日本語で書かれてる「日本科学未来館でのチケット販売は開館時間のみ」という文章の意味が分からなかった話

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

また学校の授業のような講義形式も恐ろしく苦手でした。つまんないとか以前に何を言っているか分からない。今がたしざんの勉強なのか因数分解の勉強なのかすら分からない。これも聴覚が弱いからかと思っていたのですが多分全体像が理解できなさすぎて訳が分からなかったんだと思う。

授業が全然理解できないしそもそも聞き取れなくて高校以降は一人で勝手に教科書を読んでいました。教科書を読み終わったら勝手に問題集やったり他の勉強したりしてた。すごい態度が悪かったけど理解してもらえてありがたかったです。

あと私が講義すると早口すぎて聞き取れないという苦情が来る。あと日本語と英語以外をミックスすんなと言われる。ごめんよ知ってる言語の中で最も必要秒数が少ない構文を選んじゃうんだ…

 

ていうかそもそも話し言葉って情報伝達として不完全すぎやしませんかねぇ?(逆ギレ)

 

一度に一つの単語しか発音できないし、話した傍からログが消えてくし、全体の構造を示せないじゃん。こちとら30秒しか時間が無いのに30秒話されたらせいぜい500文字くらいで終わるじゃん。図とか立体とかも説明できないし。こんなんで教育を成立させようというのがそもそも無理がある。全てテキストにしてAIに食わせて個々人に最適な課題を吐くようにすべき。

 

 

あー愚痴ったらちょっとすっきりした。

 

 

逆に、なんでこれだけ話し言葉を好む人が多いのかを考えてくと普通IQの人の認知機能が少し理解できそうな気がする。

あと動画に関しては3倍速にして4つくらい別の動画を同時再生すると割と捗ることが分かった。ギガがやばい。

 

しょぼい起業の危険性を語るよ

たぶん私もこの人のいう「しょぼい起業」に近いことをしてるのだと思うけど、しょぼい起業はセクハラパワハラ新興宗教搾取の温床だからこれからやりたいと思ってる人はほんと気をつけたほうがいいよ。

えらいてんちょうさんのやっているしょぼい起業は要するに、特殊なスキルのない人が人脈とコネだけでどうにかやっていく、ということで、それは並外れたコミュ力を持つ選ばれし人のみに許された方法です。私みたいに家から出たらすぐに干からびて死ぬナメクジにはとてもまねできません。

#しょぼい起業で生きていく 全文を無料公開します。|えらいてんちょう|note

 

 

そしてコネと人脈で生きていくという戦略は、狭いコミュニティで気に入られなければ即死、という意味です。

狭いコミュニティで気に入られるということは我々のような最下層の後ろ盾のないコミュ障にとっては、町内会の極寒モチつき大会に強制出場させられたり祭りの神輿の組み立てをさせられたりジジイにケツを揉まれたり下手すると日常的にレイプされたり殺人犯に仕立て上げられて逮捕されたり竜神様への供物として投身自殺強要されたりといった理不尽すぎる労働を無償で無限に搾取されることを意味します。永遠に奴隷階級のままたまに投げ捨てられる残飯を漁って感謝しなければいけない。黙っていたら永遠に子子孫孫奴隷扱いです。奴隷階級から抜け出るには特殊な人付き合いスキルが必要で、そんなスキルがあったらそもそも社畜としてうまくやっていける。

濃密な上下関係の中でうまくおべっか使ってのし上がれる人、具体的には田舎の法事で居心地良くビールを飲める属性とメンタリティを併せ持つ人でないと人脈ありきの仕事はきつい。

 

えらいてんちょう式起業メソッドで一番重要なのは「いかに最下層からのしあがるか?」です。

 

そしてそれが誰にでもできるなら奴隷階級なんて存在しないわけで。

だけどそのあたりは一切書いていない。無料の奴隷仕事が舞い込むようになったらいつの間にか有料の仕事も入るようになりました☆ってそれどんだけ選ばれしものなの。

人付き合い無理すぎて一人で商売を始めた私にとっては、無料でよってきた客を有料にシフトする方法なんて想像がつかない。駅前で無料で配ってるポケットティッシュを貰う層は有料の高級ポケットティッシュを絶対買わない。無料の客を集めて有料化、というのがほんと意味が分からないんだけど、これは業種の違いなんだろうか。

 

 

 

えらいてんちょうさんが推奨するしょぼい起業は、誰かに従いたい人、誰かに決めてほしい人にとっては楽園なのかもしれないと思います。

見合いおばさんが勝手に結婚話を持ってきて、DVもセクハラも耐えるのが普通で、世間体が何よりも大事、みたいな、誰かが決めたレールの上をみんなと一緒に走っていることが生きる価値だというタイプは確かに存在して、ポリコレやら人権やら声高に叫ばれる昨今は彼らの居場所が奪われているのでしょう。それに対するカウンターカルチャーとしてトランプ的な右傾化があるのでしょうし。

 

そしてたぶん、えらいてんちょうさんご本人はすごく楽しいと思う。

自分が主催して、自分が人を集めて、自分に決定権があって、自分が金を払って、自分の理想のために誰かが動いてくれる。誰にも邪魔されない私だけの王国が他者によって具現化する。それは一種麻薬のような心地よさがあるというのは私にもよく分かります。これができる立場になってしまうともう批判は耳に入りません。気に入らない意見を言う人には援助をしなければいいだけ。私は手を下さなくても取り巻きが潰してくれる。

でもこれ、私は別に何も悪いことはしていなくて、今も昔もただただ私自身の幸福を追求しているだけなのです。好きなことに投資して好きでないことはスルーする、誰もがやっていることをやっているだけ。なのにいつの間にか私の言動がたくさんの人の人生を左右し私のご機嫌にすがって生きている人がいる。そうして私のおかげで救われた人もいたりする。

私はやりたいことをやっているだけなのに、いつの間にか他人の人生を背負わされてしまっている。私はこの状況が恐ろしい。

 

自分にとって心地よい価値観を持つ人だけに囲まれて、イエスマンだけを支援して、生殺与奪は自分が握っている。これはZOZOの田端氏が100万円ばらまいた問題と同じです。結局力を持つ人の周りにはこびへつらう人だけしか残らない。私の世界には私にとって心地よい物しか残らない。個人単位では自分の幸福を追求するのは当然の権利です。ですが彼らや私が強大な力を持つということは彼らや私が気に入らない人の居場所が無くなるということに繋がります。

我々は喫煙や差別や暴力といった「古き良き」価値観を維持するために多様性を否定する老害たちに反発していたはずなのに、結局同じように居心地の良い価値観を守るために他を踏みつけようとしている。それは果たして私のやりたかったことなのだろうか。

 

牢獄をぶちこわしてゼロから構築したものが新しい牢獄で果たしてよいのだろうか。

 

とか思っちゃうから私は大成できないんだろーなーーー!!

 

 

自分の頭で考えて他者を尊重してなんて人類には早すぎて、情弱騙して巻き上げるのが本当の優しさで、そういう弱さを自覚して寄り添える商売のうまい人になりたい。

 

 

あとそれとは別に、しょぼい事業はしょせんしょぼくて、がっつり借金して都内のオフィス借りるようなやべー起業よりはずっとリスクが低いのでどうせやるならしょぼくやったほうがいい。どうせ起業なんて失敗するに決まってるんだからどう展開するかよりどう撤退するか最悪を常に想定して立ち回るべき。

とりあえずサラリーマンやめて起業しますなんていう奴は絶対借金すんな小さくはじめろ1000円から始めろ。ババアとの約束な!

 

 

 

 

仕事に飽きてこの先の人生に迷ってる

最近何かにとりつかれたような勢いで別分野の勉強をしている。もちろん一銭にもならない。なのに徹夜しながらひたすらがりがり勉強してる。

 

そもそも私がこの分野を専攻した理由がこの分野が死ぬほど嫌いだからなんだよねー…ていう。

 

以降、私の専攻分野を料理として描写します。料理に恨みはありません。おいしいごはんだいすき。

 

料理がとにかく大嫌いだ。料理に関わるくらいなら潔く死を選ぶくらい大嫌い。だけど料理は反撃できないほど弱ったタイミングを狙って執拗に人生に関わってくる。やめてくれ俺は料理なんか食べたくないんだこのまま餓死するんだ放っておいてくれと言っても強制的に口に詰め込まれ依存させられ死を選ぶことすらできない状態で生きながらえさせられる。猫が獲物の鼠で遊ぶかのように、選択の自由も人権も存在せずただ料理人のオモチャとして弄ばれる。

進路を考える年頃のころ私はいかに料理から逃げ切れるかを考えるのに大半の時間を費やしていたように思う。そして料理を回避するためには料理を知るしかないという結論に至った。料理を専攻してからも料理の弱点を見つけるため鬼気迫る勢いで勉強した。卒業して就職してからも、大嫌いな料理を望む人たちに高品質な料理を提供することに血道をあげた。

憎くて憎くて頭の中の大半がそれに支配される、それはもはや愛ではないかと思ったこともある。おそらく私は私を受け入れてくれない愛してくれない料理を憎むことで料理に振り向いてもらいたい料理に愛されたいのだと、思考の全てを料理が汚染する状況はそうでも思わないと耐えられなかった。

 

まぁ別に愛なんかなかったわけですけども。

 

いろいろ勉強して根回しして金もためて、今後料理に関わらなくても生きていけそうという目途が立った途端に料理の全てに無関心になった。

料理に関する文章が全然頭に入ってこないし料理に関する会話は聞き取れない。葬式でひたすらクソ長いお経を聞いてるみたいな退屈さ。あるいは興味ない製品のセールストークを聞いている時のような。いみわかんねーなつまんねーとぼやっと思うだけで感情はひたすら凪いでいる。

 

私は本当に心底料理に興味が無くて、興味が無いものをぐいぐい押しつけてこられることだけがこんなに憎かったのかと思うと人間の心理はおもしろい。

同時に役割を要求することの危うさを考えたりもする。男らしさ女らしさ親らしさ母親らしさ社会人らしさなど様々な自分に適合しないロールを演じることを強要された人はきっとすごく苦しいけど周りには理解されなくてすごく大変だと思う。

 

あと、憎しみは愛の裏返しというのはいやよいやよも好きのうちと同種のハラスメントにすぎないのだということも理解した。

単に嫌いで顔を見るだけで殴りたくなるのであればそれは顔を見なくて済むよう離れたらそれで済む話で、そこでその構造を強要してくる側に病理がある。

 

 

てことで、一銭にもならない他分野の勉強を粛々と進めようと思います。

 

 

英語のカタカナ発音をいちいち覚えるのがめんどい

どうでもいい愚痴です。

 

ゲルマン系言語はフォニックスから勉強したので日本語のカタカナ発音がよく分かりません。gifって日本語だとギフと発音するのかジフなのか。nullはヌルなのかナルなのか、pingはピンなのかピングなのか、みたいなのをいちいち覚えるのがめんどい。ガールとgirlが同じ意味というのがよく分からない。

 

いいじゃん別にギフ、ヌル、ピングでファーウェイでアスースで。そもそも母音が5個しかない中で外国語発音なんて無茶なんだからいまさらどっちでもいい。ていうかむしろちゃんとその国の母音で発音するのが一番聞き間違いがなくていい。

でもそうすると日本語でしゃべっているのにちょくちょく英語を混ぜて帰国子女を強調してくるイタいやつみたいになる。以前英語の授業でちゃんと発音すると馬鹿にされる現象について誰か書いていたけどあれどうにかならんか。

 

 

患者を救ってると思ってる人を全力で煽りたい

やっちゃいけないことってやりたくなるじゃん。崖から飛び降りるとか人ごみで卑猥なことを叫ぶとか。

 

でも知性のかけらもない所業な上にどちゃくそ怒られるのでこっそり煽ります。

 

いくよー。

 

 

我々は患者様の意志に沿った医療を行っている(キリッ

てさ、マットコールと身体拘束ゼロにしてから言ってどうぞ!

転倒の始末書無くしてから来やがれ!!

自分は延命は望まないし苦しいのも嫌だが患者はそれを望んでるって、年寄りと障害者は全員ドMなんですかね??どんなに苦しくても無意味でも体縛り付けられて長生きしたいですって人に会ったことないんだけど屏風から出せよ今すぐ。

 

 

て、言いたい。

 

患者は全身全霊でもう生きていたくないって言ってるじゃん。管を突っ込む度に全身押さえつけて縛り付けてるくせに何言ってんの認知歪んでるよビョーキかな。ビョーキなんだろうな。人は状況次第で憲兵ゲシュタポも嬉々として演じる。

普通に考えて、無理な延命はしたくない胃瘻も呼吸器もいらないという人が多いんだからさっさと安楽死導入すれば死にたい人がさくっと死んで生きたい人にリソース集中投下できんじゃんなんでしないの。結局生きたいと望む人の希望を叶えたい、じゃなくて、後味悪いのは勘弁、イイコトしたと思いたいだけでしょ?

 

て、言いたい。めっちゃ言いたい。

でも言うと激怒するからなあいつら。理詰めが理解できない人をガン詰めしてはいけなくて、絡め手で攻めなければいけない。

自分が加害者だということを認められないメンタリティがあるのかもしれない

ロッコ問題で目の前の一人を助けるために5人を轢き殺すという選択もまぁ一つの解答だと思う。そもそもどちらを選ぶと何人がどういった犠牲を強いられるのかとか路線を変えるとかトロッコに乗らないとか全人類を爆破するといった前提から崩すことを考えるのも重要と思う。

だけどそういうレベルではなくて、目の前の一人で頭がいっぱいになって「一人を轢き殺せと言うのかこの殺人者!」みたいなことを怒鳴り散らして結果として100人くらい轢き殺した上に救いたかったはずの一人まで共倒れになっているのに一人を救えたことに満足する、みたいな人が多いなと。

 

そりゃぁね、患者を救えるのは素晴らしいことでしょうよ…

 

 

私が言いたいのは、誰をどう救うのにどれだけのコストがかかって、じゃあ誰をどれくらい救えば全体の幸福が最大になるか、そのための統計とか計算方法とかいろいろ考えようということなんだけど。そういう話を一切せずに目の前にいる都合の良い弱者様にリソース投入して救った気になって自己満足する脊髄反射いったい何なの。議論の出発点にすら立てない。自分が誰かを轢き殺したことを絶対に認めようとしない。

 

という現象に名前をつけたい

 

そういう人はたぶん、自分が薄汚い加害者であるということを認められないのではないかと思うようになりました。

男性は潜在的加害者という言説に吹き上がるのも似てる。彼らはセカンドレイプが横行するから男性という属性全体を警戒するしかないという構造を絶対理解しようとしない。あれは自分にとって都合が悪いから、ではなくて、善人なはずの自分がこれまで加害者であったことを認めたくないのかもしれない。

ちょっと前のシロクマ氏の喫煙懐古主義もそう。自分がこれまで他者を犠牲にした心地よさを享受していたことを認められないから、昭和マッチョイズムが全ての人の理想郷だったということにしたい。

 

なんなのなんでそんなデリケートwwなの。

世界公平仮説と似てるけどちょっと違うから、自分善人仮説?

そういやこれまで関係のあった男性たちもこれですごく苦しんでいたような。普通の穏やかな触り方を知ると、自分がこれまでほとんど暴行と変わらないようなセックスしていたことがつらくて恐ろしくてそこを乗り越えるのが大変らしい。知らんけど。どうせ生物は生きてるだけで誰かを殺してるんだからしょうがないじゃんそんなの、と私なんかは思うわけだけれども。

あと間違いを認められない人も恥をかきたくないとかだけでなく自分の間違った知識で他人に迷惑をかけたことを認められないのかも。あー思い当たる。だから重大で責任の大きい間違いほど認められないんだよね。

 

 

てことは、贖罪の儀式が無いのが問題なのかも。

前回の記事で結婚式みたいな死別式をやれば無駄な延命せずに気持ちよく死ねるんじゃねと書いたけど、結局みんな許されたいんじゃないかな。加害者を苛烈に追い詰めるのも、加害の構造を認められないのも、老人介護でその他の人が犠牲になってることを認められないのも、必要なのは説得の前に許しというか保障というか、意識高い感じに言うなら心理的安全っていうか、なんかそういうシステムを導入したほうがいいのかもしれない。

 

 

ほんと、みんな頭悪くてお膳立て考えるの超めんどい。

やりたいようにやろうぜ実績上げられた方が勝ちでいいじゃんか…