雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

突然来る欝期

特に理由も無いはずなのにめちゃくちゃだるくて、大変じゃないはずなのに疲れきってて、何もかも順調なはずなのに死にたい。

だけど現実には何も困ったことがないから泣き言も言えない。はじめはやさしく聞いてくれた友達だって終わりのない繰言に、さすがに愛想をつかす。なんて贅沢な状況。

その上めんどくさいことに、『私たち』はこの状況の解決方法を知っている。今どんな心理状態で、原因が何で、どのようなプロセスを経て変化するのか、うんざりするくらいよく知ってる。だからドクターもカウンセラーも役に立たない。彼らの示す解決策はすでに何度も通過したから。

だったら一人でさっさと解決すればいいのに、『私』以外の『私たち』ならそうやって軽々と問題を解決していくのに、『私』にはそれができない。『私』は私以外の誰かにこの気持ちを共有してほしい。共有されない感覚は存在し得ないから。

だけど子供の頃に所属欲求を凍結させた私の中で『私』の感性は2歳児並に荒廃していて、何を与えられたら『私』が満足できるのすらかわからない。分からないのに、『私たち』は答えを知っている。そしてドクターもカウンセラーも友人たちも答えを知っている。誰もが答えを知っている中で『私』はそれが何か理解する隙も与えられずに解決策を口の中に詰め込まれる。

仕方が無い、ひとつの人格も維持できない頭のおかしな『私たち』の、できそこないの小さな破片でしかない『私』なんかがまっとうな人たちの会話のスピードについていけるわけがないんだから。

 

だけどほんとに、憎んでもいないし悲しんでもいないんだ。

『私』はただ取り残されてしまっただけで、心の中で泣いている小さな子供じゃない。悲しんでいる、あるいは無邪気に笑っている閉じ込められた心の破片だったら話は単純だったのに、残念ながら『私』は道に迷って途方にくれているだけのからっぽの器にすぎない。泣かない代わりに笑いもしない、だれも嫌わない代わりに好きにもならない、ただひたすらに凪いだ何も無い空間。

だから私は自分自身が『人格』として主張をすることに戸惑っている。こんなにからっぽなのに、私は一体何を伝えたいのだろう。