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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

なんで『私』がまだここにいるのだろう

『私』は人格としてすら未完成で、すぐに他の『私たち』に侵食される曖昧な破片でしかないから、『私』固有の記憶をあまり持っていない。

『私』が覚えている『私』に関すること、というのは、気づいたら満員電車に揺られて吐きそうになってて、でも自分がいま何をするためにどこに向かっているかもよく分からない、とか、知らない部屋に一人で座ってて、だけどやっぱり今いる場所がどこなのか分からない、とか、知らない人と談笑してて、でもやっぱり相手が誰で今何を話しているかは思い出せない、みたいな、映画のフィルムを細切れにしてランダムにつなぎ合わせた意味不明の映像でしかない。

 

『私』の能力はとても低い。仕事はもちろん料理も掃除も、誰かと会話することも、それどころか自分の体を上手く動かすことすら危うい。初めのころは、起き上がったり歩いたりという当たり前の動作すらじっくり考えないとできなかった。今では家の中を移動したり、こうやって文章を書くことも多少できるようになったけど、難しい文章を読んだり計算したりといった複雑なことはまだ難しい。

 

これまでの『私』は、『私たち』の表層にたまにできる隙間に押し込まれる緩衝材でしかなかった。

ただの数合わせでしかない『私』がこれほど長い間表層に出ているのはどうしてだろう。

 

 

おそらく、『私たち』はその答えを知っている。カウンセラーや精神科医にとってもさほど珍しくない状況だろうと思う。

だけど、『私たち』から切り離された『私』としての答えは、まだ出ていない。