天才に特化したカウンセラーというのがいるそうな。まじで?
悩みの解決なんてしなくていい。
問題点の整理もいらない。
こちとら天才なんで、自分の問題点も解決策も普通にわかってる。だからこれまでのカウンセリングは私がカウンセラーの頭の回転速度につきあって傾聴してあげるという、むしろ金払え的な状態になっていた。
ただ共感してほしい、「あるあるー」「わっかるー」と言ってほしい、なんていう欲求は普通の人には分からないかもしれない。
だけど生まれてこの方ずっと一人で世界と対峙してきた我々にとって共感欲求は生存欲求を凌駕するほどの衝動だ。
でも、これまでの人生ずーーーっっと裏切られてきたから、やっぱりちょっと疑ってしまう。
ていうかね、ブログ読んだだけの先入観のみの勝手な感想なんだけど、やっぱこの人も私の見ている世界を理解はできないと思う。なんかもう、思考の枠組みとか把握してる情報量とかが全然違う感がある。ちがうんだよそういうことじゃないんだよー、ていう。
もしかしたらこの人は自閉症スペクトラム系の天才なのかな?そう思ってみれば、こだわり行動とか、自分にとって簡単な作業が苦痛とか、頭悪い人の思考が読めないとか、私とは相容れない部分も少し納得がいく気がする。
あと、すごーく気になるのは、この人が教え上手を自称してること。
「教えてあげるという自己満足や優越感を捨て、自分が初めて学びはじめた初心を思い出しながら思いやりを持って教えるのがコツ」とか書いてあるんだけど、他の人と同じ様式で学んでいる時点で秀才ではあっても天才ではなくないか?
初心に帰って、っていわれても、私が初めての言語を学ぶときはその国の神と対話することからはじめて、つぎにフォトリーディングして、それから百科辞典を読み込むんだけど。語学初心者にそれを強要しろと?
それとか、理論的思考を天才の条件にしているところもなんか秀才くさい。
「一つ一つの行動の意味を考えてしまうから、感情的に動く一般人の気持ちがわからない、 ダンスなども振り付けを一つ一つ暗記しようとするから、ノリで覚えられず時間がかかる」ってそれ単なるデジタル思考のアスペじゃん?
知識というのは学ぶものではなく丸のみするものだ。一つ一つの単語の意味なんか覚えなくていい。わざわざページをめくって文字を辿る必要すらない。ただ本に触れ、学問の形を確かめ自分の中に取り込めばいい。
もしこの人が、私みたいなアナログタイプの天才じゃなくて、アスペ系の天才で膨大なデジタル情報を処理できるタイプの天才だとしたら、ダンス程度の情報量を処理できないってそれで天才と言えるだろうかという疑問が残る。
勝手な想像だけで文句言ってるんでほんとごめんなんだけど、この人の文章からはボーダーパーソナリティっぽさやアスペっぽさ、それから状況を的確に分析するだけの知性は感じられるけど、天才っぽさはあんまり感じない。