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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

脳みそがやわらかくなる感覚

天才の愚痴

最近やっと自分の捉えている感覚を他の人に伝わるレベルまで噛み砕くことができるようになってきた。だけどまだまだ私の言っていることを理解できる人は少なくて、たまにそういう人と話をすると普段自分がどれほど脳みそにリミッターをかけているか実感する。言葉の通じない外国で祖国の人に会ったみたいな感じ。すっげぇ楽。

一人で思考を無限ループさせるのも大好きだけど、他者と知性を共有して哲学を現実まで落とし込むのはすごくおもしろい。

 

だけどかなり噛み砕いて説明してやっとその道の第一人者と話ができる、みたいな現状なので、じゃあ私が本気でリミッター解除して話ができるような人に出会えたらいったい何が生まれるのだろうというのは興味がある。

 

精神科に入院してたときはわりとリミッター解除しても話が通じたんだけど、もうそうなると言語という手法自体が無意味になってノンバーバルっていうかテレパシーwwみたいな感じになってた。でも彼らは狂気を抑圧することに全力を注いでいて、狂気に触れようとはしない。だから理解されないという孤独は共有されても、この世の理に触れる快感は共有されない。

そうなると私は所属欲求とか承認欲求とかそういう、伝え合いたい、コミュニケーションをとりたいという欲求はじつはあんまり無くて、知性を探求して現実社会に反映していきたいという知的快感を求めているのだろうなと思う。

 

誰かと感覚を共有したい、という自分の中にある欲求をこれまで所属欲求だと思っていたけど、実はそうでもないのかも。

そうなると、感覚は共有されることで発生するという情動の社会的モデルから考え直さないといけないのかな。