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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

相模原殺傷事件の犯人を肯定する理由

障害者視ね

 

人を殺すのは悪いこと、命の重さに違いは無い。

だけど、重度障害者というものを皆知らなすぎる。

 

stargazer-myoue.hatenablog.com

↑この方の意見は、障害者が「他人の手助けを必要とする人」という定義であるように思える。障害者は生きていくのに介助が必要で、介助は面倒だからそんな奴は殺す、というのはそりゃたしかに認めがたい。それを認めてしまったら人間社会の根底が崩れるほどの重いタブーだ。

 

だけど、そうじゃない。そういう問題じゃなくて。

重度障害がある人を見たことがあるだろうか。お見舞いに行って寝ているところをちらっと見たレベルではなくて、彼らが受けどのように食事をとりどのように排泄しどのような処置を受け命を永らえているか。何を感じ何を訴えているか。

 

見舞いにしか行かない患者家族は知らない。

診察しかしない主治医も知らない。

だから、彼らの生活の全容を知っているのはごく一部の施設の職員だけだ。

 

メディアも大衆も、彼らの直面している生活を知らずに「かわいそうで手助けが必要な、だけど手助けさえあれば幸せに生きることができる人たち」という幻想の中の障害者について論じ続ける。

 

彼らはきっと、自分が重度障害者になってはじめて現実に気づくのだろうけど、そのときにはもう苦痛を訴えるおとおろか、死を選ぶ自由も奪われている。重度障害者は、家族と医療者のオモチャとして苦痛なだけの生を過ごすしかない。

そんな彼らを救ったのであれば、犯人を責めることは少なくとも私にはできない。