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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

もし自分が重度障害者になったら長生きしたいと思うか

大概の人は、重度障害者にも生きる権利はある、と声高に叫ぶ。

だけど、彼らは自分自身が重度障害者になることを想像したことはあるだろうか。

 

もし自分が、完全に植物状態で意識も無くて寝ていることしかできなかったら、その状態でも長生きしたいと思う人はどれだけいるだろう。少なくとも私は植物状態の自分の体なんて巨大な生ゴミにしか思えない。そんなものを後生大事に生かすよりもっと大事なことあるだろさっさと火葬にしろよって思う。

 

もし自分が、意識はあっても体を動かすことはできずその上常に激痛に晒されているとしたらどうだろう。私だったら、積極的に殺してほしい。そんな状態で生かそうなんて拷問でしかない。

 

もし自分が何もできない重度障害者になってしまったら介護なんかせずに一思いに殺してほしいと思うのはわりと普遍的な感覚だと思うのだけど、どうだろう。

むしろベットに縛り付けられて喉の管から空気を流し込まれ胃の管から栄養を流し込まれオムツに排泄するしかできない、唯一の娯楽はテレビだけ、そのテレビだって自分でチャンネルを変えることすらできない、そんな状態で好き好んで何十年も生きたいという人のほうが少数派じゃないだろうか。

 

重度障害者にも生きる権利はある。そりゃそうだ。

だけど、重度障害者にも死ぬ権利だってある。

そして一番の問題は、重度障害者は意思表示をできないことだ。「重度障害者は生きたいと思っているに違いない」「重度障害者は死にたいと思っているに違いない」どちらも健常者の勝手な思い込みにすぎないし、彼らが意思を表示できない以上、こちらの勝手な思い込みで話を進めることしかできない。

 

でも現場では、どんな障害の人でも生きる権利はある、むしろ生きなければいけない、生きるためにありとあらゆる苦難を甘受しなければいけない、生きるためには尊厳も自由も踏みにじるのが正義、まで発展している。

そのあたり、現実を知っている人とテレビやドラマの中のおキレイな障害者のイメージだけを抱いている人との温度差が大きすぎて話が噛み合わないのだなと思いました。