ゲイはノンケに告白いてはいけない、て記事が荒れてるねぇ。
私も一言書きたくなったし、 釣りだとしたら優秀だな。
でもって、これが釣りでないとして、記事を書いた増田(これblogだから増田じゃないのかな)サイテー、とは思うけど、でもこれって増田さんにとって結構いい転機になったという意味では価値がある文章なんだと思う。
セクマイの私がホモフォビアを擁護する理由
さて、これから私は「ゲイに告白されたらアウティングして当然だと主張する増田」を擁護する。
セクマイ向けの理由
でもこれは増田のためではない。こんな最底辺増田は死んでよろしい。
ではなぜそんなことをするかというと、これが私自身や私と似たような立場の人にとって前進の礎になるかもしれない可能性を追求したいからだ。
今まさに傷付いている渦中にいる人には想像できないかもしれないけれど、加害者の都合に思いを巡らせるというのは被害者が立ち直るためのプロセスになりうる。
だけど間違ってほしくないのは、加害者の都合に思いを巡らすことは、加害者の都合を受け入れることではないということだ。
「オレはこんなに大変だったんだ、だからお前を傷つけてもいいんだ」なんていう超理論は問答無用で叩き潰す。だけど、憎みつづけるのは疲れるから。思う存分復讐して思い知らせて傷が癒えてから、「加害者にも加害者なりの理論があったのかもしれない」と思ってみることで視点が多角化され少しは気が楽になることもある。
ノンケ向けの理由
それから、多分増田さんはほんとにとっても怖かったんだと思う。
望んでもいないのに百戦錬磨になってしまったセクマイには箱入りおぼっちゃまの気持ちを想像することは難しい。だけど、「もし私だったらそんなのたいしたダメージじゃない、だから増田だって我慢しろ」というのでは馬鹿なノンケと同じじゃん。
沢山のマイノリティを踏みにじりつづけているノンケ様が被害者面して傷付いているとのたまうなんて傲慢にも程があるだろ思ってしまうけれど、不幸は絶対値ではなくて割合だから。勝ち組の価値観を完璧に内面化して生きてきた増田が生まれてはじめて自分自身が性的に消費される対象であることに気づいてしまった瞬間は、物心つく前から消費されるマイノリティとはまた別種の恐怖なのだろう。
男に一方的に消費される恐怖
ゲイに告白されて怖かったという記憶を文章化して公開することはおそらく増田にとって、痴漢された女の子が抗議の声を上げるのと同じ類の勇気がいることだったろう。
そりゃ、自分の対象外から愛や性欲を向けられた程度のことでごちゃごちゃいってんじゃねぇよこちとらおまえらに常に強要されつづけてんだよちったあ自分の存在自体が暴力だと自覚しろこのモンスターマジョリティが、とは思うけどね、それ言っちゃったら「痴漢された程度で騒ぐんじゃねぇよ」というのと同じだから。
たしかに、興味無い相手から告白されたら怖いしキモいよね。
それなのに告白された側だけ一方的に秘密を守る義務を負わされバラしたら責められるなんて超理不尽。うんうんわかるよー。
だれだっていきなり告白されてその上セックスまでほのめかされたらそりゃかなり怖いし傷つくと思う。その恐さをちゃんと自覚して言葉にして公表えきた勇気は認めてあげたい。
よくがんばったね増田。
ま、お前が女に告白したとき、金で女を買ったとき(それがセックスであれお酌サービスであれ同じこと)相手の女はお前と同じ恐怖を味わってるんだってところまで思い至らなかったみたいだけど。でもまぁ自分の尊大なありかたによって傷つく人がいることすら自覚していなかった奴がはじめて自分の傷を自覚できたんだから、その一歩は優しく見守ってあげたいところだ。
正直私自身、この事件の加害者と加害者を擁護する人たちの事情に思いを巡らせることはとても難しい。いいかげん世間の欺き方を身につけたいい年の私ですら一方的に断罪したくなるほど、彼らには未だに脅かされている。
だけど、彼らが差別をつづける根底にある恐怖を解体しない限り、法律やシステムを変えても差別は温存される。
だから、未熟ではあるけれど自分自身の恐怖や嫌悪を言葉にしてくれた増田さんには敬意を表したい。