前時代には、男は外で働いて家のことなんかしない、みたいなよくわかんない風習があったらしいけど 男=仕事が向いている人 という図式であればそれは真実かもしれない。
なんかね、自分で選択したことをやってみる、ということに達成感を感じるタイプの人っていると思う。合理的だとか能率だとか世間体だとかそういうの二の次三の次で、とにかく自分が選んだことをやりとげてみたい。他ならぬ自分自身の手で何かを掴む快感に比べたら、成功も失敗も勝算も承認も枝葉のこと。
それって社会人として有能であるためのスキルの一つではあって、そういう人は仕事では成功することが多い。いやそもそも成功なんかしなくてもむしろその辺で野垂れ死んでもその選択が自分で選んだものであれば満足していられる。
なんでもかんでも自分で選びたいタイプの人は、みんなが必死で得ようとしている成功や地位や賞賛を得なくても平気だから、わりと苦労せずに生きることができる。逆に言えば深く悩むことも無いから自分の性質を自覚しにくい。
そういう人が盛大に壁にぶち当たるのが子育てなんかな、と。
まぁ自己分析なんだけど。
子連れはファミレス行ってろ、という系統の言説がめっちゃきつい。
だって私ファミレス嫌いだし子供の泣き声も嫌いだもの。雰囲気悪いしうるさいし不味いし。なんで子を産んだというだけでくそまずいハンバーグを食べなきゃいけないわけ?子持ちは奴隷階級に落とされるのかな?
自覚している人は少ないけど、ここ最近の日本に顕著な特徴として『親』だけでなく『患者』『貧困層』など弱者のレッテルを貼られると尊厳が剥奪されるというのがある。それはもう気持ち悪いくらい意思も思考も無視される。
わたしは『親』ではあるけれど、その前に一人の人間なんだ。
私の感覚は無いものにされて、他者のロジックを押し付けられる。これって性犯罪と同じ構図だよね。「オレはオマエを犯したい、だからオマエはオレに犯されたいに違いない」てやつ。
あー、だから私めちゃくちゃ病むし傷つくんだ。地雷踏み抜かれてるわこれ。