ロシア人特殊部隊員のサバイバルテクニックは平和な現代日本ではなかなか活用できない、そんな感じに、どこの分野でもプロの目線と言うのは頼りになる反面、日常とかけ離れすぎていまいち役に立たないものでもあります。
医療や福祉のプロも、生きるか死ぬかの瀬戸際ではそこそこ役に立つことが多いですが日常生活においてはちょいとピントがずれていることが多くあります。
そんなわけで、私が一庶民として日々うっすらと感じている違和感を言葉にしてみる試みです。
日常で見かける統合失調症
いや、まず一般人は統合失調症を見かけることなんかねーよ、というつっこみはもっともですが。ご家庭やご近所で生活している統合失調症と診断された人と、病院でドクターが日々相手にしている統合失調症患者は重なる部分もありつつやはり乖離しているのだろうと感じます。
軽度の統合失調症は果たして統合失調症なのだろうか問題
ちょいと頭の中が騒がしくて、独語なんかもあって、前後不覚に暴れちゃったりするとたいていは統合失調症と診断されます。これらの症状はDMS的の定義的には統合失調症なのでしょうが、なんかこれ一緒くたに病気ってことにしちゃってほんとに大丈夫なのかな、というのが私の感覚です。
たしかに病気の人もいるかもしれませんし、投薬治療で症状が治まる人もいるかもしれません。でも、なんかもっとこう、問題点はそこじゃねーよ、薬じゃなおんねーよ、と思うケースがとっても多くて、いや別に私が口を挟むことではないのですが、見ててひやひやしてしまいます。
哲学者の多くが指摘しているように、精神医学は狂気を鉄格子の内側に閉じ込めるために存在します。
薬を飲んで『症状』を押さえることで、狂気の本質や狂気に至る過程を見据えることを放棄し社会の枠組みを維持するために殉教する『精神病患者』を見かけるにつけて、もうちょっとなんとかならないのかなというもやっとした思いを禁じえません。
狂気を言葉にする試み
私の中の狂気と、あなたの中の狂気は同じものとは限りません。むしろ全く異質の体験である可能性のほうが高いでしょう。ですが、私の個人的な狂気を『投薬によって修正すべき疾患』としてではなく、なにかしらの意味を持った体験として捉えなおすことが『患者』や『患者家族』という枠組みに捕らえられてしまった多くの人にとってもしかしたら意味のあることかもしれない、という話でした。
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