単なる違いであって優劣の無いものを、どちらかが偉くてどちらかが劣っているかのように誤解する根底として、差異と発達の区別をつけていないというのがあると思った。
頭がいい、と、頭が悪い、は違いであって優劣ではない。
でもなぜか頭がいいほうが優れているみたいな解釈になる。「オレ頭がいいんだ」=「オレすごいだろ」みたいな。
たしかに、頭がいいというのは発達的により後に獲得される形質だ。順番的には 頭が悪い→頭がいい という順序になる。頭がいい人は頭が悪い状態を一度体験した後に頭がいい状態を獲得する。しかし、頭が悪い人は頭が悪い状態にずっと留まったままで、頭がいい状態を知ることは無い。
だから頭がいいほうが偉い、になっちゃうんだろうなぁって。
これは例えば四足歩行と二足歩行なんかだともっと分かりやすい。
あまり知られていないかもしれないが、人間のように二本の足で歩けるようになるためには必ずウマやイヌのような四足歩行ができなければいけない。二足歩行という単位を取るためには四足歩行の単位が必須になっている。
成長の順序は 四足歩行→二足歩行 という順序になる。二足歩行できるヒトは四足歩行(ハイハイ)を一度体験した後に二足歩行を獲得する。しかし、ハイハイをしない赤ちゃんは寝たきりの状態にずっと留まったままで、二足歩行は獲得できない。*1
二足歩行ができる人は、四足歩行もできる。でも四足歩行しかできない動物は二足歩行できない。
これだけ見れば二足歩行は優れていて、四足歩行は劣っている、と思えるかもしれない。だが二足歩行と四足歩行は戦略の違いであって優劣ではない。
四足歩行のウマは人間なんかよりずっと早く走れる。
人間は哺乳類最下位の速さだがそのかわり手を使えるようになった。
頭が悪い人は、過酷な状況でも生き延びることができる。
頭がいい人は、過酷な状況を分析することができる。
どっちもいいじゃん。頭が悪い人は頭がいい人の世界を獲得できないことを卑下する必要は無いし、頭がいい人は頭が悪い状況も理解できてしまうことに罪悪感を持つ必要は無い。
障害のあるなしや支援必要とするかどうかなんかも同様。
世の中のすべてのものは優劣ではなくて差異でしかない。
*1:ここでは発達の基礎について語っているので、歩行獲得と四這いの関係に限れば例外もあるが言及していない。