雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

障害者は死んだほうがいいのかもしれないと思う理由

障害があるから劣っているとか健常者の言うことを聞けとか、そういうことは思っていない。障害者を介護することで経済が停滞するのはもしかしたら問題なのかもしれないが、それは経済復興を考えるべきだしそもそも介護が経済を圧迫するという仮説が本当かどうかも別に興味ない。ていうか他人に興味ないから障害者にも興味ない。生きるか死ぬかなんて本人の好きにすればいいじゃん。

 

そうじゃなくて、もし私が障害者だったら積極的に死にたいなぁ、という感覚を受け入れてほしいだけ。そして現在の医療現場では死ぬ権利はあまりに踏みにじられていて、死を望む人にとって文字通りの生き地獄が繰り広げられている。だけど生命賛歌教の信者にはまさか死を望む人がいるなんて思いもしなくて目の前の地獄を視界から末梢している。そのグロテスクな構図が恐ろしい。

 

この辺の、死にたいなぁという素朴な感覚が多分まだ健康な体しか経験したことの無い人たちの想定とズレていて、それで話がこんがらがるんだろなと思った。人は貧困やら差別やらという外的要因が無くても死にたいと思うことがある。そしてそれは別段悲惨な感情ではないことも多い。

 

鉄の処女に押し込まれた状態で、あるいはファラリスの牛であぶられている状態で何十年も生かされる苦痛は、なにも私の専売特許ではない。寝たきりの人というのは大概ベットに縛り付けられて喉が枯れても叫び続けているものだ。健康な人は他者の苦痛に無頓着だから気づいてないけど。

 

てことで、私が障害者だって死んでもいいじゃないと思う理由。

 

私の体は地球の重力に耐えられないから。これは中二表現wではなくて、純粋に骨格と重力の兼ね合いの関係だ。かなり想像し難いだろうけど、常に針のむしろに包まれている状態と言えばいいのだろうか。普通の人は足の裏全体でバランスをとっているけど、私は骨の突起で自重を支えているから単純にすごく痛い。常に指立て伏せしているようなものだ。常にどこかが痛いし関節は破壊され続ける。そして肺が潰される苦痛もある。私の肺活量は400で呼吸数は10というゾンビ並の数値をたたき出している。常に首を絞め続けられている状態だ。心拍は100を越えていて心室性期外収縮が通常運転。普通だったら常に心臓が苦しい状態だろう。ほかにも自覚していない症状はたくさんあると思う。

 

24時間常に指立て伏せの姿勢でしかも首を絞められている状態はすごい苦しい。何の拷問だこれ。まじ早く死にたい。

ただラッキーなんだかアンラッキーなんだか、私の脳みそはやたらにハイスペックだったらしく現状ではこれら全ての不利を筋力で一応補えている。ま、息苦しいし胸も苦しいし遠出はできないけど一応近所を散歩するくらいの体力はあるという化け物クラスの能力を持っているのだ。いらんかったよそんなチート。それより普通の体をくれ。

というわけで、現在の私はチート脳みそに過負荷をかけることでボロボロの体を引きずりながらなんとか生きている。今だって常に息苦しい(物理)なのに、今後脳機能が低下したらもっと苦しくなる。過負荷を掛け続けた脳みそはおそらく早々に故障するだろう。でも体力が無いから現代医療の元では一気に死ぬことはできずダラダラと生き延びることになる可能性が高い。

 

 

 

相模原の殺人事件についてのいろんな人の記述を読んだときにも思ったんだけど、健常な人は障害の苦痛を想像することが難しいらしい。だから、障害者でも適切な支援があれば楽しく暮らすことができるに違いないというユートピアを前提に話を進める。

でもこちとら天国しか安住の地は無いんだよ。

その辺りの健常者さんたちの想像力の欠如は、セクマイ問題を語る気持ち悪い自称フェミオヤジと似ている。

 

障害は苦しい。そして苦しさを乗り越えて生きようとする姿勢は尊重されるべきものだ。私も尊敬する。だけど誰もがガンジーマザーテレサにはなれないし障害があるからって高尚な道を強要されるいわれは無い。

私はラクなことが好きでラクじゃないことからは早々にドロップアウトしたい。その感性だって誰にも責められるいわれは無い。