雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

障害者の選択権を平然と奪う現代日本の医療のありかた

なんか急に昔のことを思い出して思い出し怒りっていうか思い出しげんなりしたのでチラ裏しとく。

 

私が初めて精神科に行ったときもう20超えてたんだけども、当然のように両親が診察室に入ってきて、その後も勝手に退学届け出されかけて(阻止したけど)、投薬管理とかもう当たり前にされて、ああ今なら人殺せるなって思った。

私の家庭はめちゃくちゃ機能不全だったし投薬管理なんか目じゃないほどもっとずっとすごいことやられてきたしたとえあの場で私が両親を殺したとしても正当防衛認められるくらいだったけど、私が彼らに殺意にまで至る憎悪を抱いたのは後にも先にもあの時だけだった。

普段は両親に対しても親族に対しても別にどうとも思っちゃいないし相容れない人達のことを考えて人生浪費するほうがもったいない程度の認識なんだけどあの時だけは自分の衝動を制御できなくて、未だに拳に残った傷跡を見るにつけて、あのときの私は確かに狂人だったと思う。

いや傷跡なんかいまさらなんだけど、ていうか客観的に見てただガラス割っただけで誰も殴ってないし全然たいしたことしてないんだけど、誰かにつけられた傷でもなく、自分のためにつけた傷でもなく、他者を害そうという意思を持ってつけた傷はあのときの拳の傷だけだ。

 

どうでもいいけど拳の傷跡ってジャンプ的でかっこいいね。同じ痕でも手首の傷とは大違いだ。

 

基本的に私の衝動は内側に向かう。そして強すぎる衝動は解離する。それはとても有効な生存戦略でなかなか気に入っているのだけど、この戦略は逃げ場を奪われると機能しない。そしてこの国では障害者や弱者というカテゴリに入れられると全ての選択権を奪われる。

とか言うと被害妄想だとか言われんだよなw

私達は患者さんの意思を尊重している、私達の親切を受け入れない患者さんは頭がおかしい、よって患者の選択権は奪わなければいけない、みたいなキチガイじみた理論がまかり通ってる。ほんと怖い。だけどこの怖さは私みたいに自分のことは自分で決めたいタイプの人にのみ作用して、自分のことを他人に丸投げして平気なタイプの人には全く分かってもらえない。そして現在この国の多数派は自分の人生を他人の丸投げする人達で、だからこの恐怖は誰にも理解されず狂気として葬られる。