人間は時々とんでもないことをやる。思想家を嬲り殺すとか、幼女を犯すとか。
でも、とんでもないことをやったからって即ち狂人というレッテルを貼られるわけじゃないということは忘れないようにしといたほうがいいと思う。
私が私の担当看護師に「今日のあなたの手つきは乱暴だ。」と言ったとする。
私が骨折かなにかの普通の患者さんであれば看護師は「今日の自分の手つきは乱暴だっただろうか」と内省するだろう。でも私が精神病だった場合、看護師は「hedgehogxは看護師が乱暴だという妄想に取り付かれている」とカルテに書き込む。でも私が精神病だけど大金持ちでその病院の理事長だったら「看護師の手つきは乱暴だった」になる。*1
看護師の手つきが本当に乱暴だったかなんてどうでもよくて、私がどれだけ権力を持っているかだけが問題になる。大半の人にとって一番大切なのは、真実でも平穏でもなく、ただ勝ち負けだけだ。
精神病だけじゃなくて、他の病気だったり、あるいは人種だったり性別であったり性志向であったり職業であったり、何かしら『弱者』のレッテルを貼られると正当な主張も全て『弱者』の属性に還元される。
これだから女は、これだから男は、これだからゆとりは、これだからバブルオヤジは、これだからニートは、これだからエリートはetc.
どんなにつらくても苦しくても、それは私が狂人だったり高学歴だったり女だったり同性愛者だったりするからであって周りの環境のせいではないと言われ続けると、だんだんそれが本当なんじゃないかという気がしてくる。殴られても暴言を吐かれてもそれは私がキチガイだからであって仕方の無いこと、ってほんとにそんな気がしてくるから人間の適応力は凄まじい。
精神病院に閉じ込められるかどうかの境目は、キチガイじみた行動をしたかどうかじゃなくて、人権を奪いやすい相手かどうかにすぎない。
だから、殺人犯は無罪で殺人をうっかり目撃しちゃった人が狂人扱いされたりなんていう安い推理小説みたいなことだって普通に起こる。
そのほかにもたとえば、現代のこの国では、同性愛者は異常だと言われる。だけど古代ギリシャだったら同性を愛せないのは異常だと言われた。殺人は悪だといわれるけど、戦争中には正義だった。
結局、何が正しくて何が間違ってるか決めるのなんてその場のノリでしかない。そしてその場のノリは案外簡単にコントロールできることは今回トランプ大統領が証明した。
『空気』は変えられる。
それは希望でもあるが同時に恐怖でもある。我々はただ運命に従う無力な子羊ではなく、運命をコントロールする力を持っていることを認めたら、今自分がいる場所を他人に責任転嫁することもできなくなる。
だけど我々狂人やセクマイや障害者やエリートなどの少数派は、そろそろそのことに気づいたほうがいい。空気に呑まれる前に、こちらから空気を支配しないと、次に食い殺されるのは我々だ。