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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

高IQには世界がどう見えているのか的なところ。

IQ高いとは思えないぐだぐだな文章を書くことに定評のあるhedgehogxですこんにちは。

 

私にとっては私の脳みそが一番普通だから、他の人がどんな脳みそを搭載してるか想像するのは結構苦労する。ていうか障害者を含め「どこかしらが平均から外れた人達」にとって根本の難関は生活することでも支援を受けることでもなくて、平均的な人を解釈することだと思う。下手に普通っぽく振舞おうとか健常者に尻尾振ろうとか思うより、『普通』という幻想を共有できる量産型ザクみたいな人達がどんな世界観を持っているかを自分の中で理解して共存していくことに労力を注ぐほうが成功率が高い気がする。

 

でもって、普通の人の妙な頑固さが長年謎だった。

新しい理論が発見されてこれまでの理論が全否定されたとして、大半の人は新理論に拒否反応を示すじゃん。新理論がどんなにすばらしくて多くの人を救うものでも、旧来の能率悪い間違った理論にしがみつくのは利権だとかプライドだとかそういうものなのかと思ってたけど、これってもしかしたら知能の問題なのかも、って最近思うようになった。

 

 

例えば普通の人だって掛け算の問題に答えることはできる。でもそれは掛け算の性質を理解しているのではなくて、九九を丸暗記してるだけなんじゃないかな、って。

彼らは「3×3」に「9」と返すことはできる。

でもそれは「三×三が九」という言葉を丸暗記していたからであって、もし「三×三が十」と丸暗記していたら「3×3」の答えは何の疑問もなく「10」になってしまうんじゃなかろうか。

 

私にとって『問題を解ける』は『問題を理解している』と同義だけど、もしかしたら大半の人にとって『問題を解ける』は『問題を丸暗記してる』なのかもしれない。

 

彼らは「三×三が九」を丸暗記して「3×3」に「9」と返すことはできる。

でも彼らは「三×三が九」という定理自体を疑うことはできないしまして独力で定理を生み出すこともできない。

 

私にとって「3×3」に「9」と答えることができるということは掛け算のシステム自体を理解したことと同義で、「3×3」が分かるなら当然「3×4」も「3×5」も分かるよね、ってなる。

だから「3×3は9だよね」って言われたら私は「そうだよ9だよ、てことは4×3は12でしょ、9×9は81でしょ」って答えちゃう。でも相手は3の段しか暗記してなくて話について来れない、て状況になるんだろなぁ。

 

相手は3の段の丸暗記について話してるのに、私は掛け算の構造について話してる。

そりゃ話通じないわ。

 

普通の人と話をするときには、九九みたいな単純なマニュアルにまで落とし込んでからでないといけない。うわぁ、思い当たる節がありすぎて吐きそう。

 

 

 

それは例えば、AIにだって愛について語ることはできる、でもそれは愛についての膨大な文献から言葉を組み合わせているだけであって愛を理解してるわけではない、みたいな。

「ユダヤ人死ね」も「障害者死ね」も「自民党が景気を回復させる」も、彼らはその言葉自体を理解することはできなくてただ誰かの言った呪文を丸暗記して繰り返しているだけなのかも。

だとしたら大衆に語りかけても意味はなくて、より私にとって有利な言葉を彼らに与えることを考えたほうが能率的なんだろなぁ。