誰も頼れないし助けてくれない、だから他人の弱さも許せない、結果としてどんどん世の中がぎすぎすしていくという妙な呪いをあたりにぶちまけながら自分と他人を追い詰めていくスタイルの人ってどうしてああなっちゃうんだろう、というのをずーっと考えていて、もしかしたらこれはロマンティックラブイデオロギーが悪いんじゃなかろうかという上野千鶴子が20年前から指摘してる説にぶちあたってる。
私自身は結婚とか正直あんま意味わかんないから世間一般における結婚ってものに対する期待をナメてたとこがあるんだけど、結婚ってなんかもう呪いみたいな勢いで人生を呪縛するのね。結婚怖い。
結婚と、家族と、経済的セーフティネットと、精神的セーフティネットが全部いっしょくたになってる価値観を持ってる人っているんだな。
でも現実的に考えてそれらを全部ただ一人の配偶者に求めるのはちょっと理想が高すぎやしないか…?結婚相手に人生丸投げしてるじゃん。
誰も彼もが一人で生きて一人で死ぬ覚悟を決められるわけではないのだから、困ったときに助けてくれる人がいるという安心感を提供する契約は必要なのかもしれない。だけど結婚相手に全てを求めるのはちょいとリスクが高すぎやしないか。相手が死んだらどうするんだろう。
なんだかここ数十年の傾向として、結婚に人間関係の全てを濃縮してぶち込んでしまったせいで結婚以外の関係が希薄になっている傾向がある気がする。結婚だけに全てを託して結婚餓鬼道に墜ちてる人達。
一点集中した関係は一度病んでしまうと修復が効かずずるずると泥沼になる。なのに結婚に関係を集中させてしまったら結婚相手以外に助けを求めることができない。
このあたりの構造が生きにくさの原因になってる人って結構いるんじゃないかな。
一生一緒にいよう、病めるときも健やかなるときも支えあおうって約束するのに婚姻届は別に必須じゃないと思う。ただ、結婚しておけば相互扶助の契約を反故にしたときに慰謝料を請求できるという大きなメリットがある。それから主婦をやるなら結婚しておいたほうが税金が安い。年間20万くらい節税できる。逆に言えば結婚のメリットなんてそれくらいだ。
結婚は結局、相互扶助の契約でしかない。
現代日本において相互扶助の契約をしたいなら結婚するしかない。
結婚と相互扶助ががっちりイコールで結ばれちゃってる。
なのに結婚って異性の二者間でしかできないし、もれなく介護と子育てがくっついてくる。現代日本では介護も育児も異性の二者というユニットのみに担わせる。まぁ日本だけの問題じゃないみたいだけど。
つまりこの国で、病めるときもすこやかなる時も支えあえるセーフティネットを手に入れることができるのは異性愛者でモノガミーの男女かつコミュ充かつ配偶者が人格者という選ばれた人種のみとなっている。
二者間の閉じた関係の中の愛情に依存するセーフティネットなんてリスクが大きすぎるし、配偶者以外の人には頼ってはいけないし頼られてはいけないという意識が浸透して頼り下手・頼られ下手な人が多くなってしまったように思う。
その結果が極端なクレーマーじゃないかなぁ。私の所だけかもしれないんだけど、クレーマーって高確率で独身中年なんだよね。彼らは私に向かって誰にも頼れない鬱憤を晴らしてるのかもしれない。超迷惑。
同性愛者も結婚できるようになんていってるけどそれってすごい時代に逆行してると思う。なにマジョリティの枠組みに仲間入りさせてもらって喜んでんの、名誉白人かな?枠組みから外れざるを得ない彼らですら結婚の前にひれ伏すんだから結婚の呪縛は相当強いらしい。
もっと性別とかセクシャリティとか人数とかに捕らわれずセーフティネットを形成し福祉を組み入れていく新しい契約方法を模索してったほうがよっぽど建設的だと思うんだけど。