雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自己肯定感の強い無能は世界の宝だという話。

わたくしこのブログ内でさんざん無能をののしっていますが、わりと無能な人好きですしむしろ尊敬しているという話。

 

この間就職活動まっただなかなエリート新卒君の話を聞いて、なんかもうすごいのね。コミュ力の鬼。エリートのコミュ力ヤバい。私なんか今話してる相手の名前すら覚えらんないってのに大して思い入れのないどうでもいい企業の特徴とか自己アピールとか手書きの履歴書とか。同じ人間と思えない。と、同時に、こんなエリートばかり集まった会社はブラック化せざるをえないだろなぁとも思う。

 

優秀な人は周りを追い詰める。

私自身もなんだかんだで振り切れたスペックに加えて平均値もそこそこ高くてわりとなんでもできる優秀な奴ただしコミュ力は除く、なわけなんで、私が発言すると空気がひきしまっちゃうというか居住まいを正してしまう感が出てしまうというか。私の場合はコミュ力が無いからってのもあるけど、むしろコミュ力がなくて常識知らずという欠点があるからこそなんとかバランスとっていられる感のが強い。

 

きっと無能な人には無能な人の苦悩があるんだろうから私の勝手な幻想を押し付けられるのは迷惑なんだろなと思いつつ、無能な人の存在に救われることが多い。

「またポカやっちまったよーww」なんて口先だけで反省しつつ懲りずに目先の欲に振り回され同じことを繰り返して何度でも怒られて、でもめげない、そんな人に会うととても救われる。

 

 

 

とまぁこのブログがそんなキレイな結論に終わっとけるはずもなく。

腹黒い考え方をすると、そういう人が集団に一人いると場が安定するから便利だよね、ていう。無能な大衆は声の大きい人に従う。声の主がヒットラーでもオバマでも構わない。状況を理解する能力の無い大多数の人はただひたすら大きな声に従うという価値判断しかできない。だから集団をコントロールするためには今誰の声が大きいかを見極めなければいけないのだけど、声の大きな人はたいがいロクでもないことを言ってることが多いので、無害かつ声の大きい人はいいねぇ、という結論でした。