雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

泣いている子供を放置するのをネグレクトだとか虐待だとか言うのは暴言であるということ。

 

ぶっちゃけ、私の世代というのは10代20代をドブに捨てた人が多いと思う。かく言う私もそう。いい高校に行っていい大学に行って大学院に行っていいいい就職をしろ、それ以外の余計なことに目を向けるな、一度でもドロップアウトしたら人生終わりだ、みたいなことを言われてレールの上を歩いてきて、社会に出てから盛大に梯子を外されて自分自身のサバイバルスキルの無さに愕然とした。

レールに乗って言われた通りのことをすれば安泰な人生が約束されている時代は去った現代で私が子供に教えていけることはなんなのだろうと考えました。

 

で、子供って「花屋になりたい」「消防士になりたい」とかふわふわしたことを言うじゃないですか。それに対して我々が提供できることというのはせいぜいキッザニアしかないというのは非常に嘆かわしいことだと思うのです。

花屋になりたい子に必要なのはフラワーアレンジメントじゃないし消防士になりたい子に必要なのは消火器体験じゃない。もっとこう、店舗の家賃とか税金とか減価償却とか集客とかそういうものじゃん。もうちょっと噛み砕けば、きちんと書類を書けるとか、礼儀正しく他人に資金援助を頼めるとか、そういうスキルじゃん。

 

そもそも、子供を泣かせるのは親の怠慢という日本や韓国辺りの不思議な風習がすでに狂ってる。

親の仕事は子供を泣かせないことじゃなくて、泣くことによって自分の感情を認識し合理的に他者に働きかける方法を模索する姿勢を支援することじゃないかと。いーっぱい泣いて、泣きつかれて、それでも釈然としない自分の心を抱えて、なぜ自分はこんなに泣いてるんだろうと内省し自分の欲求に気づけるだけの時間と空間を保障することじゃないかと。でも現代社会でそれをできるのは精神科の保護室くらいしか無いっていうね。そりゃ自殺者増えるわ。

日本のお母さんは子供が泣き始めたら大慌てで泣き止ませようと飴玉を口につっこんでくる。子供は自分の欲求に自分自身で対処する術を奪われ、欲求は他者が無条件で満たしてくれるものだと学習し、同時に他者の欲求は無条件で従うべきものだと学習する。

空気を読みすぎて死ぬ立派なエコノミックアニマルのできあがりだ。

 

 

個人的には、この欲求の先読みが統合失調症の妄想とか幻聴といわれるものに繋がるんだろなと思ってる。