雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

子供の泣き声を無視できない心理を考察してみた

常に他人の顔色を伺ってご機嫌をとらなければ不安で仕方ない、というパーソナリティは病的だ、というのは多くの人の理解を得られると思う。だがこれを母親と子供にあてはめたとき、常に子の顔色を伺い、子が不機嫌だと不安になりなんとかご機嫌をとろうとする母子関係を病理だと捉えることのできる人は、現代日本ではとても少ない。

 

いや、わかるよ、生まれたばかりの子供はまだ自分の延長で、だから子供が泣いていると自分も不安になるっていう不条理だけど抗えない感覚。

だけどそこを乗り越えて母子分離するのが人格形成の基礎じゃん。ママと自分は別の人間であるということを理解することが人格形成において超大事じゃん。ここはぐっとこらえて乗り越えなきゃいけないことじゃん。

 

泣いている子供はかわいそうで不安で仕方なくて、だからこそ放置しなくてはいけないと思う。とくにハイコンテクストの弊害がこれほど濃厚に出ている現代日本では。

 

前のエントリで『子供の泣き声に反応するのは母親の本能』て意見があったけどそれ日本だけだからね。ヨーロッパでもアメリカでも泣いてる子を普通に放置してるからね。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

むしろ母親は子育てするのが本能、てのも別に普遍的じゃないからね。東アジアだと子育ては親戚のオッサンがやるものだったりするから。そういう地域に行くとガチムチでヒゲで強面のオッサンが子供に大人気で、なよっとした女性が子供をかわいがろうとすると「女のクセに子育てに手を出すなんてw」みたいな反応されるよ。

日本だって一昔前の農家だと子供なんて木にくくりつけておくのが普通だったり、上流家庭では乳母がいるのが当たりまえだったりしたわけで、母親たるもの泣いている子供は何が何でもあやさなければいけないという強迫観念はわりと近年のものだ。

 

今我々が抗えない自然の摂理のように受け入れさせられている観念は本能でもなんでもなくてほんの数十年の間に形成された社会的要請に過ぎない。たとえそれがどんなに強固に作用しているように感じられても、いや、強固に作用しているからこそ、それは単なる刷り込みだ。

だって、もし子供を泣き止ませるのは母親の本能だったらなんで夜泣きにつきあうのはこんなにキツいの?本能を満足させる行為には快感を伴う。不快だということはそれは本能ではないということだ。

本能ではないのに、本能のように思い込まされている、ほんとうはキツいのに、キツいと感じることを許されていない。もしかしたら私は母親として欠陥品だからキツく感じるだけで、他の母親にとって夜泣きに付き合うのはキツくないのかもしれないという疑心暗鬼で孤立する。そのダブルバインドで得をするのは子育てを母親の無償労働で賄おうとする社会と男性と未婚者だけだ。

 

だから、声を大にして言おう。

夜泣きは放置していい。

もしあなたが夜泣きを放置できないほど追い詰められているのなら、誰かに助けを求めてほしい。

 

それを言うことは、夜泣きに付き合った努力を無にすることではないし、夜泣きに付き合って得た精神的成長や充足を否定することでもない。もちろん夜泣きにつきあうのは悪だと言うことでもない。夜泣きにつきあえるだけの余裕があるなら、そして夜泣きに付き合うのが苦痛でないなら、別に好きにすればいい。

だけど夜泣きを無視できないのが母親としてあるいは人間として当然の本能、というのは、夜泣きに付き合えない事情のある母親を排除する言説であり、それを不用意に使うことは他者も自分も追い詰めるのだという構造はそろそろみんな自覚すべきだと思う。