前回、どうも私の行動はキチガイじみて見えるらしいということを書いた。別に私は普通に合理的に動いてるだけなんだけど、合理性を理解できず慣例に従うことしかできない人にとっては突拍子のない行動に見えるらしい。
ていうかそもそも、合理性とか別に意味ないじゃん。それぞれがそれぞれの信じるところの合理によって動いているのであって私の合理と相手の合理は違っていてどちらがより合理的なのかは神様にしか分からない。相手はキチガイだと思うのも自分がキチガイだと思うのも神に対する冒涜で、ただの迷える子羊である人間は全員キチガイで全員正しい。
とかそういうことを理解しない人は平然と他人を攻撃するんだよなぁめんどくせぇ。
そんで次に、私は一度確立した思考や行動のパターンを変えることがわりと容易。
前回『解離は緊急対応としては優秀だが普段から使う戦略ではない』と書いたのだけど、解離は使いどころを間違えなければ平和時にも有効な手段だと思う。
例えば電車に乗っていてすごく嫌な体験をしたことがあったからそれ以降電車に乗るのが恐くなった、という事があったとして、解離を会得(?)していれば「電車が恐い」という気持ちをとりあえず保留にして電車に乗ることができ成功体験を積むことで思考パターンを修正することができる。もちろん電車で起こったトラブルの再発防止策を十分に講じた上で行うのが大前提だが、再発防止さえしっかりしておけばこれは最短期間でPTSDを乗り越えることが出来る方法だ。
まぁそんなに毎度毎度PTSDを最速で乗り越える必要はないわけで、電車に乗りたくなけりゃ乗らないという選択も全然ありだけどたまーにどうしても乗り越えなきゃいけないこともあってそういうときには超便利。HPを大量に消費するという欠点はあれど、実質鋼の無敵メンタルになれるから、けっこうこの能力で仕事勝ち取ってきたところは多い。
なんだけど、けっこう多くの人は「自分の感情はとりあえず保留にして成功体験を積み上げる」というのはめちゃくちゃハードルが高いっぽい。単に難しいとかめんどくさいとか好きじゃないとかいうレベルをはるかに超えて苦痛っていうかスピリチュアルペインっていうかなんかもうそういうレベルで苦痛らしい。
まず、「自分の感情は自分の中では正しいけど他の人にはまた別の正義がある」というナラティブの平等を認めるのがすでにハードルめちゃくちゃ高い。低スペックな脳みそは複雑さに耐えられない。
その上で「自分の感情はとりあえず保留にして現実的な落としどころを検討する」というのも結構脳みそのスペックが必要。
そしてさらに「自分の感情はとりあえず保留にして成功体験を積み上げる」をしなければいけない。
なんだろ、例えばバンジージャンプしようとしてもマトモな感性の人なら足がすくむよね。そういう感じで「自分の感情はとりあえず保留にして成功体験を積み上げる」をしようとするのを本能が拒否するのだろうと思う。そして本能をねじ伏せるのがすごく下手。
いやお前ホモサピエンスだろ使えよ前頭葉。もしかして頭蓋の中に大脳じゃなくてメロンパンが入ってるのかな?
あと解離はできるけど有効な解離ができないパターンも多い。
自分の感情はとりあえず保留にして、まではできるけど、成功体験を積み上げらんない。むしろ成功体験が何なのかというゴールがわかんなくて悪循環に突入。
心理学とか哲学とか数学とか生物とか勉強しろと。何のための識字率100%かと。
なんだろう、この幼稚園児を相手にしてるみたいな気持ち。
結構なオッサンであろうと結構な地位についていようとこういう幼稚なメンタルな人はかなり多くて、幼稚園児扱いしてあげることが彼らにとって一番心地よいことなのだ。認知症の人に現実を突きつけてはいけない。同様に幼稚な人に幼稚さを突きつけるのも悪手だ。
「言ってることは認めるが言い方は気に入らない」なんてのは典型例で、彼らは言い方によって傷ついた心を乗り越えて思考することができない。おそらく、自分の心理と現実を区別するのは私の実感よりはるかに難易度の高い知的活動なのだ。
てことで彼らには懇切丁寧な認知行動療法を施さなければいけない。
段階を踏んだロールプレイを通じて認知を修正する。細かすぎて引くくらい力いっぱい懇切丁寧なスモールステップを踏まなくてはいけない。彼らには病識は無いから、彼らの認知に沿った説明も用意しなければいけない。
なんで私がそんなことしてやんなきゃいけないのと思わなくも無いがそうやって手塩にかけて『洗脳』した『手駒』はとても便利なのでがんばろうと思います。
てか、このエントリは怒り方を練習する、だったのになかなか本題にたどり着かない。まぁいいや。
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