雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

キモくて金のないオッサンに対する、女性と男性の間の温度差

キモくて金のないオッサンを救済すべきかどうか、みたいなのがはてな界隈でブームになっている。

まぁそもそものエマワトソン演説は男性ジェンダーを内面化した人全てに向けたものであって弱者男性の話なんかしてないよね、男性ジェンダーを語るエマが男性とおつきあいするのに矛盾なくね、と思うけど。エマの演説なんてきっかけにすぎなくてぶっちゃけどうでもいいんだろう。

 

で、すごくモヤモヤするのが、キモくて金のないオッサンという人物像に対して女性は「できればそんな奴は滅んで欲しい」と思ってるけど男性は「そんなオッサンがいてもいいじゃないか」というくらいのノリの人が多くね、というところ。

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↑この方は女性みたいだけど。

女性が射精を好ましく思わないなんて当然じゃん。ちんことザーメンにどんだけ傷つけられてきたと思ってんの。

射精を経験する立場ではない女子生徒が、月経よりも射精をネガティブに受け止めているのは、ちょっとどうかと思う。これは、教育でどうにかできる範囲ですよね。

正しい教育を与えることででどうにかなる、ということは女子生徒にとって射精は未知なだけであって嫌悪の対象ではない、というのが前提ですよね。

なにそれどんだけ幸せな性生活を送ってきたの。痴漢にあったことが無いのかな。女性が男性性に傷つけられるという構造を温存したままで「ちんこはよいものです」なんて建前を教え込むとかグロテスクすぎんだろ。

男性が自己嫌悪を克服するために必要なのは、女性が射精を嫌悪せざるをえない構造の改変であり男性性のありかたを問い直すことだ。男の性欲は抑制できないとか、射精の後に賢者タイムに突入するのは生理現象だとか寝ぼけたことを言っている馬鹿共の意識改革。

 

 

エロの表現規制もそう。「許されるなら世界中のキモいエロを燃やし尽くしたい」と思うのは大概女性で、「エロくらい別にいいじゃん」と思うのは大概男性。

 

私としては正直なところキモいオッサンには可及的速やかに滅んでほしい。それはゴキブリが絶滅すればいいのにとか、満員電車がなくなればいいのにとか、そういう生理的な嫌悪感に基づいている。誰だってナイフ振り回して無差別に切りかかってくる殺人者と一緒にいたくないでしょ。キモいオッサンというのはそれくらい有害だ。

どれだけきれいごとを並べても、女性を平然と消費するキモいオッサンというのは実在していて、犠牲になる女性も後を絶たない。ほんと死ねばいいのに。

 

たぶんキモいオッサンを嫌悪している人というのは私を含め、キモいオッサンの被害に合ったのだと思う。

キモいオッサン=犯罪者という定義で考えたとき「キモいオッサンもキモいままで存在していい」とかふざけんな、となる。「犯罪者は犯罪者のまま存在していい」とかありえない。犯罪者は当人と社会が再発防止に努めるからこそ社会に受け入れられる。犯罪犯し放題なのに泣き寝入りしろとかほんとありえない。

 

ということで、キモいオッサンがエマのような女性にキモがられるのは、犯罪者扱いされているから。ちゃんと反省して再発防止に努めれば受け入れてあげてもいいよ、というのが我々の言い分。

 

でも、キモいオッサンのセクハラ行為は犯罪ではない、あるいはキモいオッサンはサイテイセクハラ野郎のことではない、という定義であるなら、我々の言い分は普通に善良に暮らしているキモいオッサンにいきなり上から目線で悔い改めよと怒鳴り散らして僅かな娯楽すら奪おうとする行為に映るのだろう。

 

 

 

昔、性的被害のロールプレイをしたことがあります。具体的には男性数人を突然物陰に引きずりこんで無理やり服を脱がそうとしてみました。もちろん合意の上で、服を脱がすといってもシャツのボタン数個で触ったのも太腿程度。

それでも被験者の男性たちは人生が変わるほど恐ろしかったと言いました。

ちょっと触るというほんのお遊び程度の、女性であれば誰でも体験しているようなごく軽いハラスメントでも、自分が被害者になることを想像したことすらない男性にとってはパニックになるほど恐ろしい体験だったようです。

 

男性のお気楽な娯楽で女性は相当傷ついています。だからキモいオッサン=加害者男性を憎み弾劾します。そしてそのことを加害者である男性は気づけない。

ですが同様に、女性が男性を傷つけていることもあると思うのです。きっと。いや本音を言うと今まで散々無邪気に私を殴ってきた相手を慮るというのは相当に気力のいることですが。でもやっぱり、加害者は被害者の気持ちに気づけない。そして女性が加害者になっていることも有りうると思う。

 

エマは男性に対して「我々は仲間である」と宣言しました。次にやるべきことはお互いの傷つきをお互いに認め合うことなのでしょう。傷つきすぎてしまった我々は、今はお互いを攻撃することしかできませんが、このののしりあいが終わったらきっと新しい一歩が踏み出されるのだと信じています。