雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

娘がいいやつだった

安定のオチ。

なんで私の子なのにこんなにいいやつなの…

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

どれだけ愛しても愛を伝えても、まだ足りない、愛されていないと言い続けるメンヘラ構ってちゃんみたいな娘だったんだけど、まぁ私自身がメンヘラ構ってちゃんなわけだし不可抗力とはいえ流血沙汰とか見せちゃったこともあったりするくらいなのでそれくらいの性格の歪みなんかは許容範囲だろ、というなんだかいろんな基準がインフレを起こしてる楽観主義だったんだけど、今回よく話し合った結果、どうやらそういうわけじゃないらしいということが分かった。

 

娘がママに愛されていないと感じるのは、私の思う愛情と娘の思う愛情がずれてるんだよね、ということで、あなたの思う親子間の愛情とは何か、というのをじっくり話し合ってみた。

結果、娘は血縁と選択縁を混同していたということが判明。

親子関係を含む血縁というのは、たまたま血が繋がっているというだけの関係の中での愛情で、当然ながら親子だからといって同じ価値観を持っているわけではない。価値観を共有しない者同士がたまたま同じ時間を共有していくなかで生成される情とか絆とか表現されるようなものが血縁。

ぶっちゃけ血縁や地縁では、一緒にいたってつまんないのが当然。つまんないのにあえて一緒にいるのが血縁や地縁の中での愛情。

 

で、選択縁は互いが選択した上で結ぶ関係だから、一緒にいて楽しい。楽しいから一緒にいて、楽しくなくなったら解消するのが選択縁。

 

だから、血縁に楽しさを求めてはいけないし、選択縁は楽しく無くなったのに義務で続けてはいけない。

 

 

ていう二つの関係を、娘はどうも混同していたらしい。

血縁においては楽しくないのに一緒にいる、というのが愛を示す方法になる。私はひねくれた大人なのでミッキーもアンパンマンも嫌い。でも娘を連れてディズニーに行くしアニメ映画にも付き合ってやる。それが血縁においての愛の示し方であって、私は巨大なネズミや頭部がパンのきしょい生物を無理に好きになろうとは思わない。そこを無理して自分を偽ると積もり積もって修羅場に発展するから。

だけど娘にとっては「ママは私と一緒にいてくれるけど、楽しそうじゃない」→「ママは私を愛していない」みたいなことになってたらしい。

 

そうだね、愛の種類についてなんてまだ解説してなかった。道徳の教科書にも小学生が読む本にもそんなこと乗ってないよね…

でもそういうことで悩む親子はたぶんわりと多いので、そのあたりの情報に子供と親がアクセスできるようにするのは大事だと思った。