長年苦痛に耐えて、痛かったり苦しかったりする治療にも耐えて、それでも治らず障害をひきずって必死で生きている人の障害を、魔法の杖の一振りで治してあげてしまうのは良いことで喜ばれることのような気がする。
なのに、全然喜んでくんないんだよねー…
むしろ憎まれる。
たぶん彼らは痛みをアイデンティティの中枢にすえてしまったのだろう。痛みや苦痛に耐え障害を抱えてそれでも懸命に生きる私、という自己像が崩れてしまうとこれまで障害を理由に目を逸らしてきた人生の問題と直面しなくてはいけなくて、それはきっと身体の痛みやなんかよりよほど苦痛なのだろう。
あと、これまでの苦労何だったん?という虚無感も大きいと思う。激痛の治療なんて実は全然意味なくてむしろ悪化させる要因でしななくて、無駄な痛みで長い時間を無駄にしたという事実に向き合うのはつらかろう。
アガサクリスティーの春にして君を離れ、みたいな精神状態。
これまで自分を縛ってきたものというのは苦痛であるけれどその制限を理由にあきらめることを許されたことというのもたくさんあって、一気に負荷が取り除かれてしまうと痛みを理由にした人生の空白期間の虚しさに直面してしまう。
それかアル中みたいな。
アルコールに依存してるなら急にアルコールを取り上げたら発狂しそう。
そう思うと私はとても残酷なことをしているのかもしれない。
彼らは痛みの依存症を発症しているのだと考えれば、痛みに代わる新たな依存先を提供するプログラムが必要なのかも。
高い壷を買わせて毎日拝めとか、真冬に水浴びしろとか、早朝マラソンを日課にしろとか、痛みよりも低侵襲で安全な依存先の提示をして、徐々に依存先を増やしていく、みたいなSST的なものが必要なのかも。
彼らは痛みを伴う身体症状を持った患者さんではなくて、自傷に依存してしまった精神病の患者さんだと思ったほうがいい。
自傷に依存しちゃう人だったら、治すのがめちゃくちゃ難しいというのも分かる。
痛みという薬物並みに依存性の高い刺激に慣れてしまった彼らに提示するのだから生半可な依存先では駄目で、ものすごく高くてものすごく苦痛なものでなければいけない。でも面倒なものは駄目。痛み以外の手立てがないか模索する面倒を嫌って依存する人たちだから、暴力的に分かりやすくて暴力的に明快なものでなければいけない。天下一品のラーメンくらいケミカルに脳を揺さぶるもの。
じゃあもう天下一品のラーメンでいいじゃん。
毎日三食天下一品のラーメンとコーラですごしてください。水すら飲んではいけません。そうしないと治りません。これはきっつい。あと体への悪影響が半端ない。でも痛みというはそれくらい依存性が高い。
どうすればいいんかなこれ。