雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

解離と統合失調の境目について考えてみた。

私はいわゆる多重人格wなので、買った覚えの無い服とか本とか普通に部屋に散乱してるし知らないはずの人からラインがくるとかしょっちゅうだし、気づいたら知らない場所にいるとかもよくある。別にいいんだけど共有のPCで変なサイトみるのはちょっと困る。履歴のサムネが心臓に悪すぎる。グロはまじ勘弁して…

こんなんで普通に社会生活営んでるとか自分でもちょっとわけがわからないけど昔からこうだったので特に疑問を感じていない。ただ、私の現状はいわゆる一般的に言われている解離性同一性障害とはだいぶ違うような気がするので、このブログ見て一般化とかしないほうがいいのではないかと思います。

 

 

この間もノートになぞの記号がびっしり書かれてたんだけど、がんばって解読したらたぶんラテン語とドイツ語と古典英語のちゃんぽんで哲学かなんかについてメモしたらしいというところまで分かった。ネットってすごいね、検索するとなんでも分かる。ラテン語とかどこで覚えたんだ私。英語なんて日常会話にも苦労するのにしれっと古典英語使いこなしてるのなんなんだ。しゃべれるんなら普段から使えよ自分。あとラテン語があるのにフランス語が無いの納得いかない。哲学といえばフランスだろ。

 

そして、そんな謎言語が書かれたノートを普通に「自分のもの」と認識する私の判断基準を考えていくとたぶん解離とか自我のあり方とか近代における精神病の扱われ方とかを考えるよいきっかけになるのではないかと思った。

 

普通、自分のノートに自分の知らない言語が書かれていたら誰かが落書きしたと思うほうが自然ではなかろうか。これが自分の知ってる言語だったり自分の書きそうな言葉だったりすればまだしも、自分との関係が一切感じられなくて違和感しかないものだったら、普通なら自分以外の他人のものだと認識しそう。

たとえるなら、プロテインダンベルしか置いてないムキムキマッチョな男性の部屋にぽつんとピンクのレースがあるみたいな違和感。「この部屋の主であるマッチョはピンクのレースがすきなんだな」より「マッチョの彼女が置いていったのかな」と思うほうが自然な気がする。

 

でも私は謎言語が書かれたノートも、私だったら絶対関わらないパリピからのラインも、グロすぎて直視できないPCの履歴も、すべて私が行ったことだと認識している。つまり私は『解離』ではあるが『同一性』に関しては微塵も揺らいでいない。むしろ病的なほど確固とした同一性を維持している。

 

たぶん私の同一性の判断基準は、私の持ち物であるかどうかという一点に尽きる。

私のノートに書かれていればそれがどんなに意味不明でも私が書いたもので、私の部屋にあるものはどんなに悪趣味でも私が選んだもの。例の謎記号も他人のノートに書かれていたら仮に筆跡や指紋などで私の書いたものだと証明されたとしても、私の書いたものだと認識できないと思う。

私の同一性は私の縄張りが絶対不可侵な場所であるという安心に裏打ちされていて、逆に言えば縄張りが荒らされると私は簡単に正気を手放す。

私自身の体験と、他の多くの人と接してきた経験から、私は統合失調症の混乱の本質と解離の苦しさの本質は自他の境界を侵害されること(あるいは侵害されたと思い込まざるを得ない状況)であり、 必要なのは投薬ではなく境界線の保障なのだろうと思っている。(でも薬はちゃんと飲みましょう。この文章は投薬治療を否定するものではありません。)

 

私以外の誰かが私のノートを勝手に開いて書き込みをするかもしれないという状況下では私は私の境界を認識することが出来ない。一見異常なほど強固に見える私の同一性は他者が私の部屋に一歩踏み入るだけであっけなく崩壊する。

そうして自身の恐れや怒りを他者からの攻撃と誤認することが統合失調症認知症と呼ばれているのだけど、そのシステムを理解することなく他者を排除する口実としてそれらの病名を利用することが多いのが現実だったりする。

 

結局自他の境界を侵害されることがいわゆる精神病と呼ばれている状態を引き起こしていて、自他の境界の侵害はなぜ起こるかというと、他者から暴力的に侵害される虐待などの外的要因、理不尽な状況に耐え切れず自分から踏み越える内的要因の二つの要素があって、たいがいの場合その二つが絡み合ってて、つまり病むような状況を作っちゃった周りと病むくらい弱っちい自分自身を立て直す必要がある。

だけどそこまで煮詰まってしまった状況を直視できるほどの強さがあるなら最初から病んでないわけで、たいがい病理モデルに逃げる。病気だから仕方ないといえば誰の責任も問わなくて済むから。

ミクロでは問題から逃げるというのはときじ有効な戦略で、それを否定する気は一切ないのだけどマクロで問題を扱うことができるはずの医療福祉関係者には人は追い詰められるとどのように狂うかを知ってほしいし、無関係で無責任な他者という立場の人には、どうすれば人を追い詰めるシステムを解体できるかを考える責務があると思う。

 

 

つまり何がいいたいかというと、親や本人をスケープゴートにして石投げてすっきりしてんじゃねぇよ、という。そういう話でした。

 

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