雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

全ての努力は無駄であり根絶すべきだと思ってる

努力するとか正しくあろうとするとか、そういうのを必要とするという時点で既に負けが確定してるんでやるべきことはその場で努力することではなくて、努力を強要する場をいかに消滅させるかに全力を尽くすことだと思うんだけど、そう思わない人は結構いるんだなぁ、ていう。

 

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こんな記事を読んだんだけど、「がんばってなくてずるい」と思っちゃう時点で負けてるよね!やるべきことはずるい他人を断罪することでも、ずるいという感情を抑圧することではなくてなぜ己はずるいと感じてしまうのかを突き詰めることだよね。

「学校にはいっぱい決まりがあるけど、強い決まりと弱い決まりがあるよ」という説明をします。

「強い決まりは、守らないと誰かが傷つく決まり。弱い決まりは誰かが傷つくわけじゃないけど、守れたら素敵な人になれる決まり。姿勢とか、食べ方とか、手いたずらしないとか。がんばって守ったら自分が素敵な人になれるし、まわりの人も一緒にいてもっと嬉しくなる。」

 んーと、その場合の『素敵な人』っていうのは『管理者の都合の良いように使いつぶされる素敵な奴隷』でしかない、というメタ視点が元記事には全く欠けていて気持ち悪かった。

まぁ、理不尽な決まりを黙って守ってくれる大人しい良い子がいっぱいいたほうが教師としては便利だろうからね。そういう心理の延長でベルマークやプルタブ集めが横行しているんだろう。ほんと気持ち悪い。

 

強い決まりと弱い決まりがある、という説明自体はよいものだと思うんだ。ただ、決まりの根拠として「素敵な人になるため」というのに危険な香りがする。

素敵な人って何?姿勢が悪くて食べ方が汚いなんてサイコーにクールでロックで素敵、という価値観だってあるわけで。自分がどのような集団に属して何を成し遂げたいのかから、自分にとっての素敵を逆算する作業をしないで漫然と「素敵」を目指すと管理者にいいように利用されるだけの人間が出来上がってしまう。

 

 

あいつはザボってるからずるい、と思うんなら自分もサボればいいじゃん。自分が我慢してるから他人がラクするのが許せないんだから、サボって自滅する他人なんか構ってるヒマがあったら自分をとりまく環境を整備することに全力をそそいだほうがいい。

小学校のクラス運営のために自分の人生をすりつぶすとか無駄の極み。

宿題なんかやらなくていいし授業なんか聞かなくていいし学校なんか行かなくたって別にいいじゃん。自分がどのようになりたいか、どのような人と関わりたいか、から逆算して自分が守るべきルールを適宜検討していくのが人生。

 

実際に子供が小学校に行って思うんだけど、学校ってほんとにシステムに従うことしか教えない。システム自体に疑問を持つとか、どのシステムに属するか選択するとか、そういうの全く教えずに社畜を育成している。社畜になりたい人にとっては居心地がいいのかもしれないけどそうでない人は意識して自衛しなければいけないなと思いました。