雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

多重人格を説明することの困難さを考えてみた

解離性同一性障害、一般的に言われる多重人格、というのはどうにもファンタジックな設定がついてまわって、がんばって説明すればするほどうさんくささが増してしまうジレンマについて。

 

たとえばよくあるのが「私の中の別人格は普段は眠っているんだけどピンチになると表に表れて私の体を動かすんだよ」とか。

当事者にとってはそれが一番しっくりくる説明なんだけど、普通の自我の形態しか理解できない人には意味不明だと思う。脳みそに複数の小人さんが住んでるのか?みたいな解釈になってしまいそう。

ちがうんだよどの人格も全部私の一部なんだよ…私が複数いるんじゃなくて、私がバラバラなの。バラバラの自分を自分と実感できないくらいバラバラなの……

 

つwたwわwらwねwえwww

 

あと、人格の人数についてとかも。「私の人格はおおむね30人前後、常に分裂と統合を繰り返しているので数は不定です」とか普通に意味分からないよね多分。

それとか心象風景についてもな。「ネコの人格のときはにゃあとしか言えません」とかほんと意味不明だわな。なに脳みそにネコ飼ってんの??イメクラ?みたいな。「私の子供人格はピンクのお菓子でできた家で眠っています」とかそういう系統の説明も。なにその家どこにあんの、住所は?みたいな捉え方されると思う。

ちがうんだよネコも砂糖のおうちも全部暗喩でありモティーフにすぎないんだよ。その家どこにあんの、ていうのは 鬼ヶ島って何県にあんの、くらい的外れな問いなんだ。

 

でね、一番困るのが、当事者自身が現状を(あるいは他者の認知様式を)把握できていないこと、なんだよねーーー!

渦中の当事者の感覚としては「別人格は普段は眠っているんだけどピンチになると表に表れて私の体を動かす」としか説明しようがない。それを「解離性同一性障害は人格が複数あることではなく、一つの人格すら維持できないことです」なんて説明できるのはもうかなり統合が進んでるよね。ほとんど治りかけくらいの状態でないとそんな説明できない。

別に解離に限らず、敵を知り己を知れば百戦危うからず、なんて、何が問題かを把握できれば問題を解決できたも当然、みたいなことは普遍的な現象で、当事者は当事者である限り自分のことをうまく表現できない。

だからこそ当事者じゃない人、とくに精神医療に携わる医療関係者にがんばってもらいたいんだけどあいつら薬と入院で儲けることしか関心なくて全然仕事しないからね。(※注意 でも薬はきちんとのみましょう。自己判断で絶薬せず主治医をガン詰めするかセカンドオピニオンを求めましょう。)哲学者のほうがよっぽどいい仕事してるけど哲学者は一般人に分かりやすく説明することを放棄してるしなぁ。

 

 

 

そもそも、言語というのが多重人格を想定していないからどう表現していいのかわからないんだよねぇ…

 

「赤」という言葉がこの世になかった原始時代に、人間がどのようにリンゴの色を捉えていたか、みたいな命題。赤という言葉を知ってしまった人類はもう色のないリンゴ失った。

人間誰しも幼児のころは言葉を持っていなかったので、言葉で表現できない事柄というのは誰でも体験しているはずなんだけど、何かを新しく知ってしまうと知らなかった自分には戻れない。だから、それを表す言葉が無い、ということの恐ろしさ苦しさを自覚することはとても難しい。

 

解離というのは、言葉を奪われた状態、つまり色のないリンゴとたった一人で向き合う体験なわけですよ。

根や、公園の鉄柵や、ベンチや、禿げた芝生などは、ことごとく消えてしまった。物の多様性、物の個別性は仮象にすぎず、表面を覆うニスにすぎない。そのニスは溶けてしまった。あとは怪物じみた、ぶよぶよした、混乱した塊が残った。-むき出しの固まり、恐るべき、また猥褻な裸形の塊である-

サルトル 『嘔吐』

サルトルさんの気持ちはめっちゃわかる。目の前の事柄の意味が全て抜け落ちてやたらデティールに凝ったモザイクみたいに見えて気持ち悪い。普通に吐く。 

 

 

それとか、最近だったら毒親とかセクハラとかの例のが分かりやすいかもしれない。

ああいう言葉も10年前にはなくって、実家にいると死にたくなるとかオッサンにケツを触られる苦痛というのは自覚できなかったけれどそこに確かに存在していた。存在していたけれど意識の上では存在していなかった。毒親もセクハラもDVも、集団催眠ならぬ集団解離とでも言うべき現象で、そこに言葉を与えて語ることができるようになるプロセスは解離の治癒過程をそのままなぞっている。

とかね、そういうの、精神科医ですら理解してないからねー…

解離性同一性障害っつったらむやみやたらに統合しようとしてくる医者やカウンセラーが普通にゴロゴロしてる。てか統合と抑圧の区別すらついてないとかよくそれで臨床に立てるなぁ。いや逆に現状の精神科医療の矛盾を理解できないからこそ臨床に立ち続けることができるんだろうけど。

 

あと単純に、「私」って一人称を書いたときにこれは全体としての私なのか、人格としての私なのか、みたいな書き分けが地味に悩む。いちいち解説入れるのめんどい。

一人称を書き分ければいいのかなとも思ってみたんだけど、それはそれでなんか中学二年生みたいで嫌だ。ていうかこの話題はなんかもう全体的に中二感がすごくて嫌だ。なんで私、自分設定を長々説明してんの。もっと普通の人の日記みたいにカジュアルに自分を表現したいんだけどどうすればいいんだろう。