雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

虐待や安楽死に対する潮目が変わった気がする

自殺を許さない時代

2004年のアシュリー論争の時代には、安楽死絶対許さん、自殺ダメゼッタイ、家族の愛さえあればどんな障害でも救われる、という地獄みたいな思想がはびこっていました。

そのころの病院には管まみれのゾンビみたいな老人があふれかえっていたし、気管挿入も胃瘻も死ぬまで取り外せなかったし、たとえ100歳のばあちゃんでも死ぬ前に黒こげになるまで電気ショックをしておかないと訴えられた時代。

私も「金の出所である家族の意志が最優先。患者の意志は尊重しない。それを受け入れることができなければ病院勤務はできない」ってガチで言われました。殺してくれと毎晩叫んでるのに殺してもらえない人たちになにもできなくて結構病んだ。

 

相模原の重度障害者大量殺害事件のときにもまだ、障害者にも生きる権利があるはずみたいな的外れな言論が目立ちました。

たびたび書いていますが、私は相模原の事件は有益とはいえないが仕方のないものととらえています。殺されたのは重度の障害者です。最重度の障害を持つ人たちは一生病院で過ごしメディアにも出ないため、健常者や一般の障害者には彼らの実態が想像できないのだと思います。

医学が発達しすぎた現代の重度障害者はテレビドラマに出てくる程度の障害者、ちょっと手足が無いとかちょっと暴れるとか、そんなお気軽なものではありません。我々は生死を操る神の領域に踏み込んだことを自覚すべきです。

 

生の地獄が選択できるようになったのだから死の救済も認められなければ、この世は地獄と化します。いや、現在進行形で地獄と化しています。

 

自殺を許さないとか、親の育児放棄を許さないとかいうのは一見正義に見えます。そりゃ人間生きてた方がいいし優しい親に育てられた方がいいに決まってる。でもそんなうまくいく関係ばかりではないし、うまくいかない関係にしがみつくと破綻するのは当然。

でも2016年の相模原事件の時点では医療福祉育児の分野での「しんどい」「つらい」みたいな言葉が封殺されていました。医療の発展、社会福祉の脆弱化、SNSの罵詈雑言、核家族の進行などにより当事者と家族の負担が等比級数的に増えているのに、世論は家族愛で面倒がみれるはずという障害者私宅監置法の時代から進歩していませんでした。

虐待や殺人事件があっても加害者の親を糾弾する言説がほとんどでしたし、過剰報道で加害者の関係者を追い詰めるのにもためらいがなかった。親を擁護する発言なんかしようもんなら袋叩きにあっていました。

 

 

自殺も他殺も認める時代

でもなんか、最近潮目が変わったなと。

いやn=1の雑感なんで正確な時期とかは分からないけど、確実に何かが変わってきているなと思う。

 

2010年くらいから少しずつ、本人と家族の要望があれば延命しないという選択が増えてきた気がする。

 

2016年くらいからだんだん、このブログに「子供 殺したい」で検索ヒットする人が少なくなってきた。検索ボリューム自体はそんなに変わっていなかったから、これは「子供 殺したい」で検索したときに私の駄ブログより上位表示される記事が増えたということだろう。

 

今年に入ってから、核家族で福祉がなくて、家族連座制みたいな連帯責任を負わされて、死んだり殺したりして当然なくらいみんな詰んでるよね、と堂々と言えるようになった気がする。

 

 

子供の虐待死のニュースがあって、あれほんといたましくて見出ししかみてないんだけど、

schoolholocaust.hatenablog.jp

この事件でもお決まりの「加害者の親を死刑にしよう」みたいな言説も確かにあったけど、それよりも「親は殺人者であると同時に犠牲者である」という言説のほうが増えてきた。

 

 

多くの乳幼児育児中の母子の関係は、あまりに偏っていて特殊だ。

(1)批判されない ―― 家庭に他人の目はない。
(2)関係が完全に固定 ―― 母子は常に一緒で離れられない。
(3)反論・反撃されない ―― 母子の言語能力と腕力に圧倒的な差がある。
(4)拒絶・逃走されない ―― 幼い子の母親に対する信頼は恐ろしいほど絶対的。

子への苛立ちは断ち切れるか?――母が子を正論で追い込む : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 

 

芽衣さんが「これ以上お母さんを続けられない」と言える社会であれば、この子どもたちは死ななかっただろうと思いました。子育てが上手な人も、そうでない人も、子育ての際にものすごくいろんなことを感じてしまう人もいる。同じ環境であっても育てられる人とそうでない人がいる。人って多様なわけで、そのなかの面倒くさくない、一般的な、誰でも理解できるような部分だけを捉えて「当たり前」「常識」とするのでは......。子どもは母親だけのものではないし、子どもは力の無いお母さんの元に生まれたら、絶対にそこで育たなければいけないっていうわけでもない。

「お母さんが子どもを育てなくていい」~虐待防止の方法とは? - いつか朝日が昇るまで

 

 

anond.hatelabo.jp

 

 

 

www.sankei.com

こういう加害者の関係者への過剰取材にも批判のほうが多い。

1997年の少年連続殺人事件のときからすると隔世の感がある。

 

 

あと、はあちゅう氏のmetooに対して「おまえのことは気に入らないが今回のおまえの発言は支持する」という意見が主流だったりとか。

 

 

 

なんだか、もしかしたら、みんなちょっとずつ賢くなってる…?

完璧な善人も完璧な悪人も存在しなくて、追い詰められれば誰でも犯罪者になるというのが理解できる人が増えてきたっぽい??

たぶんこれって、多くの人が将来に不安を抱えていたりとか正社員になれなかったりリストラされたり、社会不安を共有するようになったからこそ自分と他人の弱い部分も認められるようになったというか認めざるをえなくなったのだと思う。バブルのイケイケのころだったら弱いやつは自己責任で切り捨てられていたはず。

 

てことは、現在の落日の国日本もわりと悪くないのかもしれない。