雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

トランスジェンダーが女子大に入学というニュースにもやっとする

ひさしぶりに女装したら友人たちにすごい不評でしょんぼりしたhedgehogxですこんばんは。

 

日本のトランスの定義ってなんかおかしくないですか。

 

男と女というカテゴリが絶対的に存在しているのが大前提で、体の性別と心の性別が違うのがトランス、みたいな発想してる気がしてきもちわるい。発想の出発点が男と女だからいつまでたっても話が平行線になってしまう。

 

既に女子高のジェンダーは多様化している、だからMtFもオッケー、ってなんか違くないだろうか。

そもそも女子校が担う役割は社会的に従属的立場を強いられることが多い女性がリーダーになれる場所を提供することだった気がする。『社会的に従属的立場を強いられることが多い女性』というのはつまり女性と判断される女体持のことじゃん。

男体持ちなら性自認がどうあれ性別を理由にして社会的に従属的立場を強いられることはないんだから女子校の意味ないよね。

 

女はリーダーになれないから女だけの集団を作ろうという発想自体がそろそろ賞味期限切れだとは思うので女子校のあり方を見直すのは必要だとは思う。女子校が女性の社会進出にどれほど役立っているか?今後女子校はどうあるべきか?を考えたときにTGの入学を許可というのはなんか明後日のほうにむかってないか。

 

 

男体持ちでも女性なら女子校に入っていいよ、といのは大前提として、男と女はA型とB型くらい明確に違う存在という発想がある。

でも性別はスペクトラムであり共同幻想であり、いいかげんなもんじゃないですか。男と女には黄色と緑くらいの違いしかない。薄黄緑は黄色か緑か?浅黄色は?松葉色は?みたいな微妙な違いがグラデーションで存在する。だからそもそも男とか女とかばっつり分けること自体が無意味。大概の人は、市役所とかの書類の性別欄の「男・女」の間の「・」のところに丸つけたくなったことあるでしょ。

 

かつてジェンダー闘争の先端を行っていた女子校という場所が、平成も終わろうかというこの時代に、男と女の違いは超えられない絶対的なものであるという窮屈な社会通念を補強するような決定をするのはちょっとどうなの。