雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

極端な思考の人をネットリンチするのそろそろやめたほうがいいと思う。

この間友達が「最近悪いことばかり起こる、これは呪いのせいに違いない」とか言ってて、呪いがどこから来てるのかでしばらく話をしていました。

また、私自身もかなり偏った世界観を持っていると自覚しています。たとえば話していた相手がおもむろにメントスを出して居合わせた全員に配り始めたら「あ、この人今私の口臭が臭すぎて生ゴミはゴミ箱に引っ込んでろって思ったんだ」というのはもう私の中では確定事項となり結構へこみます。

でも「他人の口臭にそこまで神経質な人なんていないし、もしいたとしたらそっちのがビョーキ」とか「呪いに効果があるんなら独裁国家のトップなんかとっくに死んでるやろ」とかいう現実的な判断が存在していて、それらは私の中での絶対の真実と矛盾せず並立する、というのも受け入れています。

呪いのせいに違いない、というのも、鬱病やろ、というのも同じ事象を見る角度が違うだけなのだと思っています。

 

ただ、同じ問題でも立てる問いによって導き出される答えが全く変わってくるわけで、問というのは問題に対してどのようなアプローチをしたいのかから逆算すべきものであってどれが正しいとか間違ってるとかではありません。

鬱病やろ、という現代医学で問いを立てると解決策は薬飲めとかカウンセリング受けようといった個人単位のものになります。

でも人間は個人単位で成立しているわけではありません。社会因子を考慮に入れなければいけない時、医学の言葉は思考を縛る呪いになりうる。そういうときには、呪いなんていう近代医学に反する言葉を使うと便利です。誰に呪われたんだろう、あいつはどうして呪おうと思ったんだろう、この呪いから逃れるためにはどうすればいいんだろう、というフレームであれば自分と他者の関係に関しての言葉が出てくる。

 

世に言われている妄想、私の体臭恐怖もそうですし、知人の呪いもそうですし、物盗られ妄想とか侵略妄想とかなんでも、現実の自分では到底認められない不都合な事実を形を変えて語るための舞台装置にすぎません。ていうかむしろエビデンスとか標準医療とかいう多くの人が受け入れている常識も、現代社会を維持するのに都合の良い妄想なのでやはり舞台装置にすぎません。人間が自身の感覚器を通じて世界を解釈している以上、まっさらな世界を知覚することはありえない。

と、そこまで自覚したうえでやはり私の中では「異臭を放つ腐った生ゴミは焼却処分されろって思われたんだ」というのが真実です。だってそう感じてしまうんだもの。

 

たいていの妄想は平等な真実としてフラットに聞くと相手が勝手に冷静になります。認知症でも精神病でもそれは同じです。

でも、複数の真実を平等に尊重して聞くというのができる人はすごく少ないです。私の知る限り、本業のドクターやカウンセラーでもこれができる人はほんの一握りでした。むしろ本業の方が病んでるケースが多い。

一見傾聴しているように見えて、実は自分の意見を言いたくてうずうずしているケースが多い。妄想を妄想として切り捨ててしまうのです。自身の妄想を認められないのが病気というなら、唯一絶対の真実を信じて疑わない医療従事者は一番重篤な病者だろうに。

 

 

 

 

別に妄想が悪いわけではなくてむしろ妄想を現実で叩き潰そうとするのが悪化の原因というのは良く知られています。

 

 

最近日本だけでなく世界で蔓延しつつある幼稚なナショナリズム、というのもあれはあれで一つ優秀なフレームなのだと思います。

グレートアメリカの俺様達は無敵で、ジャパンアズナンバーワンな神の国素晴らしい。努力と根性ですべての問題は解決できる。家族の絆があれば安全安心な人生が送れる。

彼らはむしろ、そういった安心を得られていないからこそ先鋭化するのでしょう。だから結局彼らが求めているのは憲法改正とか夫婦同姓強制とかいった具体的な変化ではなくひたすらヨシヨシなのだろうと。ちゃんとヨシヨシすれば彼らの中で問題はまるっとなかったことになるのだろうと。認知症の年寄りってそんな感じ。もう彼らを理知的な大人扱いして知性で殴るのやめてあげたほうがいいと思う。誰も得してない。