雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

世界公平仮説を守るために他者を否定する人たち

ずっと以前な上に私は当事者じゃなくてただの通りすがりだったんだけどきつかった話です。

 

その当時子育て真っ只中だった私はなんでだったか忘れたけどなんか断れない事情があって子供の育て方フォーラム的な怪しげなものに出席していました。その中で発達障害で暴力性の高い男の子をワンオペで育てているお母さんが発言していて、「一言注意しただけで大暴れして殴る蹴るの暴力を振るってくる息子の顔色を伺って生活している、もう息子を愛せないし息子が死んでも泣かない」というめちゃくちゃ重いことを言っていました。

でも講師は「暴れる息子さんの気持ちをくんであげて」とか言うわけですよしねばいいのに。「私の子もワガママ言うことはあったけど話し合ったら解決した」とかいうご高説をひたすら語る。相手の気持ちを尊重してとか傾聴してとか言ってる講師が一番話を聞かない。

私も当時いろいろ大変だったのでもうその問答がつらくて聞いていられなくて「たとえわが子からでも暴力は暴力だし、これは家庭内暴力の問題で、まず被害者であるお母さんの身の安全を確保しないと、あと児童相談所に相談しないと」と口を挟んでしまいました。クソバイスすんなとか言ってるくせにごめん私もクソだわ。でもそしたらその場の全員に母親の愛だとか発達障害が治った事例だとかジョブズ発達障害だとかクソなことをめちゃくちゃ言われた。その後母親の無償の愛は女性特有の素晴らしいものという話題で盛り上がった。

 

なんかもうつらい。めちゃくちゃつらい。なんで母親であるだけでこんなに責められなくてはいけないの。力を貸してくれるはずの人までなんで母親を攻撃してくるの。

 

当時はつらすぎてそれ以上考えられなかったのだけど、たぶん彼らは自分の中の平和を乱されたくなくて目の前の状況を拒絶したのだと思う。

母親を殴る息子なんていないし、息子の暴力におびえる母親なんていないし、愛せないほどの暴力なんてない。そんなの信じたくない。母親は無償の愛を持っていないといけない。それを否定されるということは自分が愛されない可能性につながるから認められない。

そんなちっぽけな世界公平を守るために今目前で苦しんでいる人の存在を抹消したのだろう。

 

多くの人にとって、自分自身の公平な世界観を守るということは公共の福祉をはるかに超える重大なことなのだろう。自分の公平世界が守られるためなら目の前の人が傷ついたって追い詰められたってなんなら自殺したって殺されたって構わない。いや、だれかを傷つけたことすら気づかない。

それはもうしょうがないよねそういうもんだというなら。彼らはそういう生き物なのだ。人食いワニに人道を説いても意味がないからワニは檻に入れて飼いましょう。彼らも檻に閉じ込めましょう。

 

なんかもうトランプと安倍は火星かどっかに移住して新しい国作ればいいんじゃないかな。