雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

死を受け入れる覚悟がない人たちの右往左往をどうするのか。

個人的には、夏休みのラジオ体操や運動会の行進が全てを爆破したくなるくらい嫌いだ。ラジオ体操なんてやりたい奴だけやりたい時にやればいいし行進したいなら一人で気が済むまで歩いてろ。

でもそういう儀式がないと気持ちの決着がつけられない人というのが結構いっぱいいるというのも知っている。だから上に立つ人は朝礼とか社訓を読み上げるとかそういう儀式を作ってあげなくてはいけない。

そういう人たちは自分で考えて自分で行動することができなくて、誰かエラい人や世間様に『押し付けられた儀式』を『全員』が尊守することでしか自分の感情を自覚できない。自分の考えと世間様の考えがイコールで結ばれてしまっている。卒業式に一人でも君が代を歌わない奴がいたら祝い事を穢されたというメンタリティの人たち。

 

で、なんですぱっと決断せずにずるずる延命しちゃうかってやり残したことがまだあるような気がしてしまうからなんだと思うのです。まだ生きていてほしい生きてればやり残したことをやることもできるはず。でも病人はいずれ死んでしまうしベットから起き上がれない時点でやりのこしたことの大半はもう実現不可能だしそもそもやり残したことってなんぞと。

一体何をやったら満足して死んでいけるのかと。

本来、これだけやったら人生ゴールしていい、というラインなんか各自が勝手に決めればいいことです。自力で起き上がれなくなったから安楽死した人、仕事ができなくなったから死んだ人、ネコを触れなくなったから死んだ人、大切な人に挨拶できたから死んだ人、いろいろな人がいます。日本では安楽死は違法ですが、実際は決断さえできればなんとかなるもんです。俺は何月何日に死ぬと宣言してそれまでに遺産整理して生前葬式もして宣言通り死ぬ人も増えてきました。

 

でも普通の人って決断できないでしょ?誰かエラい人に決めてもらうのを待ってるでしょ?朝礼で社訓を復唱するの好きでしょ?それはそれで一つの美徳だと思う。

だから結婚式のような死別式を作ってあげればいいじゃない。

ウェディングドレス着て三々九度して披露宴したら結婚して二人で共同生活するみたいなの心底くだらないと思うしその金があれば教育費に回せこのご時世ではよと思うけどそれで満足できるなら別にいい。ステキな結婚式を上げたらステキな結婚生活を送れるのだから、ステキな死別式を上げたら悔いなく死ねる。それでいいならいいじゃない。

今なんだかんだ文句言って決められないとか言いつつ全員のリソース食いつぶしてる人たちは別に強い信念や願望があるわけではなくてただただ後悔したくないだけじゃん。自分が殺したんだって思いたくないだけ。そういう人にはきっちりマニュアル作って意味のない儀式を用意してあげるのもまた優しさだと思う。

 

なんか、長生きしたいというよりも決断を誰かに丸投げしたい感がすごくてそんなことを思いました。

 

 

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