雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

現在進行形で自分の子のことをあんまり好きではない親なんだけど。

よんだ。きっつい。そしてこれをきついと表明してちゃんと認められる世の中になったことがうれしい。

ただ子供目線での一方的な断罪でしかなくて、毒親の連鎖を断ち切るための方法が「親が鋼の精神力でがんばる」だけなのでそこがつらいなーと。がんばるだけですむなら警察も福祉もインフラも人権も憲法もいらないんで。物理的に無理なものは無理なんで。無理しないで作者さん。

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正直、自分の子をそんなに好きではない。

一応ちゃんと家に置いているし物理的には不自由させていないしできるだけ手をかけて育ててはいる。でもたとえば彼女が私の同級生であれば卒業まで一言もしゃべらない関係だろうと思う。

 

そもそも私は非モテでコミュ障で喪女でオタクで陰キャでセクマイで複雑な家庭でわりと虐待とか受けてる精神疾患持ちの狂人と紙一重の天才なので、だいたいの人とは話が合わない。まして怒鳴られも殴られもレイプもされず毎日自由に出歩いて友達と遊び温かいご飯が食べれる干支が何回りか違う未だにサンタさんなんかを信じている女の子と話が合うわけがない。

そんなリア充と仲良くとか無理に決まってんじゃんコミュ障なめんな。いっしょの部屋にいるだけで怖いし泣きたくなるし病む。できるだけ話したくないし目を合わせたくもない。

親を普通に信頼してるとかありえん。あいつの見ている世界が想像できない。同じ地球に生きる同胞って気がしない。

現状の核家族の中での子供にとって親、とくに母親は絶対的な愛情と信頼の対象である、というのは私にも理解できます。どんな仕打ちをされても子は母親を信頼しようとする。外野がどんなにそんなクズ親捨てちまえよ!と言っても深く愛しそれゆえ苦しむ。そういう愛なら分かります。

でもそうじゃなくてライトにお手軽にキティちゃんを愛でるような気楽さでママ大好きっていうのがわからん。私はただ衣食住を提供してこの世の理をいくつか説いてあとは割り算とか因数分解とか教えたり博物館や美術館やディズニーランドに連れて行ってやったりしただけのババアやで?便利に言うことを聞いてくれる都合の良い養育者として重宝されるのは分かるけど好きとか思うほど重要な存在ではない。アッシー君やメッシー君扱いで十分。

わかんねーよほんとあいつの考えていることがわからない。砂糖菓子とスパイスといろんなステキでできた彼女と才能と怨嗟と諦観でできた私は絶望的に共通点がなくてせいぜい天気の会話くらいしかできない。仲良くするとか無理。ディズニーランドにはつれていってやれるけど、一緒に笑顔になることはできない。ミッキーと写真撮るとかちょっと死んで来ていいですか。

 

彼女と私には共通の楽しめるものがない。だから二人で時間を過ごすということはどちらかがどちらかの顔色を伺うことでしか成立しない。私もいい年した大人なので、お友達がどうたらプリキュアがこうたらいう話を黙って聞くことは苦痛ではあるができなくはない。相槌を打つこともできなくはない。でもそれは大量の文章を食ったAIが現状に即した言葉を吐いているにすぎなくて共感は成立しない。

 

そんな私はどうするのが正解でしょうかね?

オフの時間は全て好きでもない子のために潰してご機嫌伺いすべき、なんでしょうきっと。そしてプリキュアポケモンを好きになりミッキーと写真を撮れ母親なら愛しているならできるはず。

むりだわー。できるならとっくにそうしてるわー。こんな不安定な仕事してないわ普通に就職するわーwwていうかそれ可能だったらこんな波乱万丈人生送っとらんわwww

 

 

私の場合、そこで「あー無理だよねそりゃ無理だよむしろちゃんと養育してんのすげーわ」と言ってもらえる事情がありました。そしてどうしても無理だったら子を手放すという選択肢もあった。むしろ手放して当然扶養義務もないのに伊達と酔狂だけでリソースごっそり削って家族ごっこしてんのウケルwwくらいの扱い。だからこそ子を好きになれないなんて平然と言い放てますしそれを言ってもいまさら誰も傷つかない。休日に子と目を合わせずにいないものとして扱うなんていう非道も罷り通ります。

 

だからこそ私は彼女を憎まないでいられる。

彼女は砂糖菓子のまま私に養育されていられる。

 

子育てとは全然関係ないのですが、最近私はとある分野から足を洗いました。憎くて憎くて生涯の大半を憎むことに費やしむしろこれは深い愛なのではないかと思いかけていたその分野ですが、関係が途切れた途端完全に興味関心が途絶えました。別に私はその分野に関しては毛一筋ほども関心が無くてそんな心底興味のない分野への関心を強制されたことのみを憎んでいました。n=1の私見ですけれど、憎しみはそれ単体では単なる無関心でしかなくて、関係を強制されたときに初めて発生するものではないかと思います。いじめもセクハラも出会ったことの在る人にしか発生しません。縁もゆかりもない名前も顔も知らない人をいじめることは不可能です。

 

だからもう、毒親とかそういうのやめたほうがいいと思う。あるのは毒親ではなくて毒親になってなお解消できない関係を唯一のものとしてしまう社会構造の歪でしかない。

だいたい親に絶対の愛着を持たせるのがリスキーすぎる。親も子も互いを選べないのに永遠の愛を誓うとかあまりに無謀。結婚相手をリセマラ無しガチャで選んだら破綻するのは誰でも分かるのに親子ガチャは一回で成立させて成立しなかったら人間じゃない犯罪者とか認知の歪みこわい。むしろそれで成立してる現代社会がやばい。どんなクソゲーだ。

 

あと、私の子としても私に養育されるのはわりとメリットあるなと思います。

いや彼女のメリットは彼女が決めることなのでこれは現時点での私の想像でしかないのですが、彼女はたぶんごく普通の家に生まれ育ったらごく普通の女の子になれる素質のある子です。何の疑問も持たず学友と学校に通い卒業して就職して異性と結婚して専業主婦になって、というあたりまえの外側にある多種多様な事情を知る機会も無かったでしょう。純粋培養で脳みそスポイルされて頭の固い大人になってから様々な理不尽にいきあたりイタい醜態を晒すよりは子供の内から意味の分からない事情持ちの存在を認識して世界の多様性を知ったほうがたぶんいい。そして平和裡の多様性は無関心と同義で、そこで無理に関心を強要するから憎しみが産まれる。

それに私は彼女を私とは全く別の存在と認識しているので彼女に何かを期待することはありません。それも一応メリットではあると思います。私の望む良い子でないことなんかいまさら驚きもしない。だいたい不登校にもならずいじめにも合わない時点で想定外すぎて今後どうなるかどうなってほしいかなんか考えられない。総理大臣になってもノーベル賞とってもシリアルキラーになっても驚かない。好きに生きてください。

 

普通のご家庭がどういうものなのか全く知らないので想像なのですが、いろいろな人の反応をみるにたぶんみんな「平然と存在する多様性」と同居する経験が少なすぎるのではないかなと思います。円満な家庭で育った人は自分と異なる価値観があることを知らずに育ち、毒親みたいな相性の悪い家庭で育った人は蝕み脅かす多様性しか知らない。社会全体が見捨てられ不安の情緒不安定な女の子みたいになってる。

 

 

 

なんかもういいじゃんみんな気軽に子供が嫌い親が嫌い顔も合わせたくない同じ空気を吸っているだけでむかつくって言おうよ。嫌いなら嫌いでいいじゃん殺し合いしてないんだからほめてよ無理に仲良くさせようとすんなそれが憎しみの根源だ偽善で家族を壊すなら人殺しの顔をしろ。

 

 

 

なんか悲しくなった人はこれ読んで落ち着こう(宣伝)

 

オハナホロホロ (1)

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