発達障害に対する定型発達の反応として、いちいち指導すんのうぜー!となるのは当然だろうと思うけれどそこで愛や誠意を疑うというのはアスペルガー側の問題ではなくて定型発達側の愛着障害的な部分の問題だと思う。
愛があればできるはず、ではないし、愛があれば耐えられるはず、でもなくて必要なのは互いにとって心地よい環境を維持するためのシステム構築で、構築のための労力を誰がどれくらい負担するか、でしかない。今システムを作る余裕が無いんだったら別居なり実家なり福祉なりあらゆる手を使って外注して余裕を作る。システムを作る熱意が持てないほど関係が覚めているなら関係解消を視野に入れて話し合う。いずれにせよお互いに考える余裕ができるくらい体力を回復しないと。
と、この増田さんを読んで思った。
あとこの記事も思った。
なんでわざわざ遅刻癖のある友人と待ち合わせすんの?仕事なら仕方ないけど遊びだったらつきあうのやめればすむじゃん。イライラするのが趣味なの??
あと自分は苦労して遅刻しないようにしているから相手が平気で遅刻するのがむかつく、というなら自分も遅刻すればいいじゃん。10時集合なら12時に行けばいい。遅刻やごまかしは重罪という価値観を絶対だと思うな東南アジアなら3時間遅刻がデフォやぞ。国際線ですら機長が寝坊したから遅れまーす♪とかやってるぞ。
自分でハードル上げてゴールポスト動かして他人がそれを守れないからといって怒っている人はわりといて、なんか大変そうだなと思う。
これに対する反応も。
パンプス履く自由を奪うな、みたいなのがあってなんか大変そうな人だなと。そういう人の言う「自由」というのは「みんなが私と同じことを感じ同じ物を好むこと」でそれはもはや自由ではない。
いっそ思いやりが無いとかサボってるとか詐病だとかそういう概念を無くしたほうがいい。今困りごとが発生しているのだから原因なんかどうでもよくて困りごとが発生しないような状況づくりに全力を注ぐべきだ。今高熱でフラフラしているのであればインフルがどうかの診断書はどうでもよくてちゃんと休んで体力回復するほうが優先。原因がインフルでも肺炎でもただの風邪でもブラック徹夜を続けていたらいずれ再発する。
以下自分語りです。
相互理解とか人類には早すぎる。
私は高IQな上にちょっと特殊な才能があるので、普通の人には理解できないものが一瞬で理解できたりする。そうすると他人がどうしてできないのかが理解できなくて、悪意があるからわざとやらないだけなのではないかと思いがちなのだけど、基本的に全人類に悪意は存在しないという性善説的な価値観で接するようにしている。慈愛や博愛とかではなくてそうしないと精神がもたない。
私が普通の人と意思疎通するとどういうことが起こるかというと
私「1+1は2やで」
相手「え、なんで!?1しか出てこない式のどこから2が出てくるの信じられない」
私「ここにおはじき1個あるやろ。こっちに1個あるやろ。ほら二つになった」
相手「ほんとだすげー!気づかなかったうわーー!!二つになってる!」
みたいなことを四六時中繰り返しているわけです。正直、馬鹿にしとるやろおまえ、と思う。けどそこでこんな簡単なこと分からないなんてナメるのも大概にせぇやとか言うとめちゃくちゃ怒られる。
まぁこんなの序の口で、さらに
私「で、1+2は3やで」
相手「えっ、そんなことあるわけないだろ1+1は2って言ったじゃないか!」
私「うんうん、気持ちは分かるよ1+1は2だもんな納得できないよな」
相手「そうだそうだ1+2は3なんて嘘だ!」
私「ちょーっとおはじき2個持ってみようか。そんでおはじきもう一個持ってみて。いくつになったか数えてみ?」
相手「1,2,3…あれ、3だ!3が出てきた!?」
私「つまり1+2は3だ」
相手「信じないぞ最初からおはじきは3つあった!」
私「せやな、二つと一つで合計3つだ」
相手「じゃあ1+1は2っていうのは嘘だっっていうんですか!?」
みたいな感じになるわけです。もはや頭が悪いとかそういうレベルではなくて何か高度に哲学的な禅問答的なことなのかもしれないという不思議な気持ちになる。脈絡なく普通じゃないダリの絵を見たときのような。
さらに言えばこんなのまだ相当レベルの高い会話で、ほとんどの人は1+2の話をするころには1+1の話は忘れている。一生懸命説明したのに。なんかもう話の内容とかどうでもよくなってああ今日も空が青い宇宙って広いんだな…という気持ちになる。というかそれくらいの気持ちでないとやってけない。なんで分からないんだろうなんでこんなことを言うんだろうとかいちいち真面目に考えていたら頭がおかしくなる。
逆に私が不得意な分野についてその道のプロに聞くと同じ反応をされる。なんでこんなことがわからんのだ目の前で起きている現象を見るだけじゃないかなんで1分前に説明したことをもう忘れてるんだわざとか俺になんの恨みがあるんだ。みたいな。いやお互いにそういうのは慣れっこだから別に本気で怒ったりはしないけど、歯がゆいよねわかるごめんねーとなる。
それにたとえば、真心があれば200キロの球が投げれるはずたとか100m9秒台で走れるはずだとかトリプルアクセルできるはずだとか要求されても無理。
それとか、犬や猫に扉が開けられないのも同じ。手足が器用でなくても原理が分かれば何かしら工夫してドアノブを回すことはできるだろうに、たとえ飢え死にするくらいの状況でもドアを開けるという発想に至らない。
なので、できないのはなまけているからだとか真心があればできるはずだとかいうのはデマです。そういう問題じゃない。見えているものが違いすぎるだけ。
ほんと、みんな別に悪意があるわけじゃなくてほんとに本気で分かってないだけなんだよね…むしろ私の説明が下手すぎるっていうか、相手の認識が理解できていない私のリサーチ不足の問題なんで。
と、日々己に言い聞かせて仕事してる。
あーほんともう、真心があればステキな会話ができるはず空気読めないのは私を愛していないからとかどこのアントワネット様だよ!
そんな勘違いできるとかうらやましいと思うと同時に生きにくいだろうなと思う。気に食わない奴はみんな悪意を持っているとか周りの人が全員敵みたいな感じなのできっと戦場サバイバルみたいな気持ちで日常生活を送ってるのだろう。