雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

安楽死する権利を蔑ろにする人は自己決定権とお気持ちを混同しているらしい

だいたいの人は、体か頭が動かなくなったらさくっと死にたいと言います。ベットに縛り付けられて管まみれでそれでも長生きしたいと言う人に私は会ったことが無い。なのに実際に死に直面したときに決断できる人は稀、というか脳の仕組み上無理です。人間は、自発呼吸できなくなったよっしゃ死のうさよなら!とならないようにできている。

大脳新皮質を自我とか意識と捉えるのなら、酸欠になった時点で意識が途絶えてむき出しの本能だけが活性化するので、誰だって死の間際は苦しみ悶えて足掻きます。理性のあるうちにどんな取り決めをしたって死の間際には必ず翻すのだから、事前の意思確認なんて意味が無いとかいう輩が出てくる。死ぬ間際のぐだぐだのお気持ちを尊重すればそりゃがっつり延命することになりましょう。そういう主張をする人はどうやら、お気持ちと自己決定を混同しているっぽくて、もうおぞましすぎて彼らに一切関わりたくない。

 

患者様の意志に沿うべき、だから事前に延命はいらないと言っていてもいざ死にそうになった時に死にたくないと言う患者様には延命をすべき、というのなら私が患者になったら私のお気持ちも尊重してよね?

私の理性は常に公平で温厚であれと思っているけど私の御気持ちはレジで割り込むオッサンを殴りたいし痴漢は線路に突き落としたいしエロ絵は焼き尽くしたいんだけど、もちろん私のお気持ちも全て尊重してくれるのよね?オッサンを撲殺して痴漢を轢死させてエロ絵師は火あぶりにしてくれるのよね。

理性は実行によって尊重されるが、お気持ちは実行されないことによって尊重される。

レジで割り込まれたときになぐりてぇと心置きなくお気持ち発露できるのはお気持ちが実行されないからで、もし私の隣に介護士がべったり張り付いて私が一言なぐりてぇと言ったら即座に相手を撲殺するのであったら気軽になぐりてぇと言えなくなる。お気持ちを実行するということはお気持ちを抑圧するということに他ならない。

死にたいと言った人を殺すのが犯罪であれば、死にたくないと言った人を活かすのも同様に犯罪だ。

 

介護大好き年寄り長生きさせたいマンはたいがい、自分にとって都合のいいお気持ちだけを勝手に忖度して理性の言葉は完全に封殺する。彼らは患者の声に耳を傾けているように見えてその実自分が聞きたいことしか聞かないしやりたいことしかやらない。いやよいやよも好きの内でぐいぐい送管してくる。たぶんこれ強姦の構造と同じだ。加害者が加害を自覚してないむしろ善行してると思ってるパターン。

そりゃ話通じないわけだし、彼らと私は相いれないし、完全に接触を絶って暮らすか殺し合うかしかない。

ていうかわりと本気で私が彼らを殺してしまうのではないかというのは心配。どれだけ言葉を尽くしても彼らは善意で押しつぶしてくるから実力行使するしかない。

 

まぁいいや。ほんとに死にたくなったら自宅に常備してあるアレとアレをソレ(検索よけ曖昧表現)してさっさと死のう。