アスペルガーや発達障害というのはいまいちよくわからないしなんかもう「いろいろ適応できないやつ」みたいないい加減な運営をされているけれど一応よく言われる特性として、自分の興味関心に固執して他が目に入らないみたいなのがあります。で、これが私は違和感があって、
- 知的能力の偏り
- アスペっぽい分野に興味を示す(アスペっぽいというのが何なのかは後述)
- 自分の興味のある分野に固執する
- 自分の思い通りいかないと不機嫌になる
- 自分以外の人の状態が想像できない
この5つは全部違う要素なのではないか説をたててみた。
順に書いていきますと、
- 知的能力の偏り
これはゼネラリストかスペシャリストか問題で、全体的な知能が高ければ才能と言われるし全体的な知能が低ければ知的障害として特別支援するというような解決策になると思われます。IQテストで判別できるのはこの能力の偏りです。
ですが能力の高低と、好き嫌いはまた別のパラーメータで、下手だけど好きとかやればできるけどやりたくないというミスマッチが起こります。単なる能力差ではなくて能力と好悪のミスマッチが適応障害を起こしているのだと思う。つまりIQテストで発達障害を判定する現行方式はたぶん精度に問題がある。
- アスペっぽい分野に興味を示す
どうやら、知的能力の「高低」と「興味関心」は別のパラーメータのような気がします。
たぶん、曖昧な自然言語よりも定義が厳密なプログラミング言語を好む人がアスペルガーと定義されているっぽい。
道案内でたとえるなら、「この道をまっすぐいってコンビニの角を右折」と言われたらコンビニが出現するまで10分でも20分でも疑問なく歩いていける思考。
恋愛でたとえるなら、「あなたが好き」と言われたら「やっぱ嫌いになった」と宣言されるまでずっと好かれてると思ってしまう思考。
有名な笑い話なら「牛乳2本買ってきて、もし玉子があったら10個買ってきて」と言われて牛乳10本買って来てしまう思考。
どうやら彼らは「明示された条件に従って処理する」という行動を好むらしいです。逆に明示されていない条件が適応されることに不快感を感じるらしい。
逆に私の場合、反アスペルガーというか逆発達障害とでも言うべき思考様式を持っていて、たとえば将棋に全く関心が持てません。駒の動かし方という厳密なルールに沿って無限の組み合わせが生成されるのなら、スマホにでも計算させときゃいいじゃないですかなんで人間の頭を使わなきゃいけないのか意味が分からない。それより王×歩なのか歩×王なのかのがよっぽど重要じゃないですか(真顔)
ここでひとつ 自然言語派=逆アスペルガーvs計算言語派=アスペルガー の対立が産まれます。
私にとって明示されない曖昧な条件は世界を構成する全てであり私自身でありセントラルドクマであり信仰の対象ですらあるのですが、彼らはそれを平然と否定してくるので、なんかむかつく。逆もしかりで、明示された条件を平然と無視する私は彼らの大切なものを否定しているように映るのでしょう。
具体的には、たとえば人生ゲームをしていたとして私は「この人生をいかに生きるか」に則って行動します。家を買うとか投資するとか、「私が演じているキャラクターならどう行動するだろう」と考えて選択する。でもアスペルガーの人は「早くゴールにたどり着く」という明示された条件に最適化された答えを出そうとします。私は架空の人生を楽しんでいる私の資産を平然と奪いに来る彼らを嫌悪するし、逆に彼らはアルゴリズムを無視した私の行動にいらだつ。どちらも幸せにならない。
でもさ、彼らも悪いと思うの!私だって将棋や囲碁やオセロだったら参加しようと思わないけど、最近のゲームはグラフィックや設定に凝ってるじゃん。異世界で魔法の宝石を集めて世界を守るゲームですとか言われたら勇者になる気まんまんで参加するじゃん勇者だったらどう行動するかって考えるの普通じゃん。アルゴリズム全開のゲームをしたいんだったら下手に世界観設定とか入れるのやめて無機質な白黒の駒でやってなよ!
トレーディングカードゲームなんかもそうです。
たとえばツンデレ美少女のカードがあったとして、その効果が「土属性+3」だったりするとうがーーー!ってなる。美少女と土属性になんの関係があんの???アスペルガーの人にとってツンデレ美少女は単なる模様で、土属性でも水属性でも別にどうでもいいのでしょう。そんなどうでもいい扱いするなら最初から美少女描くなよ!美少女さんだって忙しいのにわざわざ来てくれたんやぞ呼んだんだったら丁重にもてなせや!もてなさないんだったら帰ってもらえ!美少女さんの気持ちになって考えろ!!
となるので、アスペ向けのカードゲームはやっててすごくつらい。ガムテでキャラ部分を隠したくなるし、美少女さんを虐待するアスペ共大嫌い!という気持ちになる。
なんかもう彼らの気楽にキャラクターを消費する姿勢にいちいち傷ついてしまう。これは多分、萌え絵嫌悪派の理由の一部なのではないかと思ったりもします。何の理由も無しに奇乳を消費するというのは私の世界公平仮説を脅かす。萌え絵と対峙すると私は通り魔が理由なしに無差別殺人したというのと似たような不安を感じます。
なのでアスペが萌え絵を擁護するのであれば、萌え絵がアスペにとってどれほど大切なものなのかを自然言語派にも理解できるようなロジックで説明するという方向性が一つ考えられると思う。ていうかそもそもアスペは萌え絵なんてどうでもいいと思ってるんじゃないでしょうかね。そんなどうでもいいところで騒がれるのウザい、と。アスペが粗雑に扱っている萌え絵をものすごく大事にしている逆アスペが存在する。アスペがなんとなく好ましいという軽い理由で萌え絵ポスターをぺたぺた貼るのは逆アスペのライナスの毛布を切り裂いているのと同義であるという前提で対話したほうがいいと思う。
逆に萌え絵反対論者は己にとって萌えに限らずすべてのキャラクターがどれだけ重要な位置を占めているのかを説明したほうがいい。
あと逆アスペの高IQとしては、アルゴリズム尊守の何が楽しいのか心底分からない。
将棋のような、アルゴリズムを尊守する中で発生する無限の組み合わせを検討するなんてのは単純なマシンスペック勝負です。ロースペックは負け続けハイスペックは勝ち続けてそこに何の意外性も無い。ぶっちゃけ私は将棋やオセロで大概のアスペに圧勝できるんですけど、だから何だっていうんでしょう。変えられない固有値で勝負するんだったら身長の高い方が勝ちとか年上が勝ちとかでいいじゃない。わざわざ時間かけて勝負する意味がわからん。あと負け続けるロースペックアスペを見てるのつらい。本人楽しそうだからいいんだけど、見てるこっちがつらい。いやべつにほんと本人が楽しいならいいんだけど。
- 自分の興味のある分野に固執する
- 自分の思い通りいかないと不機嫌になる
- 自分以外の人の状態が想像できない
最後、この3つです。
知的能力の高低と好悪は別パラーメータであると書いたのですが、固執や不機嫌もまた別パラメータのような気がします。
計算が得意(計算能力高い)で計算が大好き(計算好き)で暇さえあればずっと計算ドリルをやっていたい、というのと、計算以外の勉強をやりたがらない(固執)とか、計算ドリルを取り上げたら泣き叫ぶ(不機嫌)とかはまた別。
計算が得意で大好きで計算ドリルをずっと解いているけど国語の宿題もちゃんとやるし国語の時間には国語の勉強をやる、計算が苦手な子のフォローもできる、という状態は普通に存在します。この場合、テストの点数にばらつきはあるけど人間関係のトラブルは少ないので発達障害とは呼ばれないことが多いっぽいです。
ていうかむしろ、IQテストの偏りで示される能力の高低や好悪は単なる向き不向きと表現され、発達障害として問題になるのは固執や不機嫌や他人の立場が想像できないといった部分です。そしてそれはIQテストでは計れないし、IQテストで低得点な部分をフォローすることでは補えないし、いわゆるアスペ的な分野の知能が高いことと固執などの問題が起こることの間に相関関係は存在しない。
たとえば私はコンテクスト重視なので言動はアスペっぽくないですが、萌え絵絶許に固執しているあたり発達障害的な問題と言えます。ネトフェミもネトウヨも昔は良かったおじさんも、他者の置かれている立場を想像できないという点で発達障害と同様の問題を抱えています。
たぶんこれらの問題は寛容と不寛容の思想的問題であり、異質な他者と己を同時に尊重するスキルの問題であり、心理的安全とか承認欲求とかそういう方面のアプローチをしてくべきものだと思いました。