雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

挨拶は努力とか気遣いでできるようになるわけではない仮説

挨拶しない奴って社会人としてどうなの、せめて返事くらいしろよ最低限それくらいできるだろできないのは怠慢、みたいな意見を見たのですが、たぶんめんどくさいとかコミュ障とかそういうレベルの問題ではない原因で挨拶できない人というのが結構存在すると思う。

aikawame.hateblo.jp

 

自閉系の人は挨拶も苦手なことが多くて、でも苦手な理由を「人見知りだから」とか「緊張するから」とか「昔からかわれたトラウマで」とか「他人に興味が持てないから」とか「挨拶ごときにリソースを割きたくない」とかいう分析しかしてない人がわりと多い。でも上記の理由は挨拶を何の問題も無く認識できる非自閉の考え出した理屈で、たぶん自閉タイプの人は挨拶の定義の部分から苦手なのだと思う。

 

挨拶という行為を、「おはよう」と言われたら「おはよう」と返すだけ、と考えると、なんかソース二行くらいで実行できそうな超絶簡単なプログラムな気がする。hollow worldよりも簡単そう。

だから挨拶をしないというのは、「二行のコード書く程度の労力すらお前のために与える気は無い」みたいな感じに思われてしまう。実際、私も最低限の挨拶はできる族なので、挨拶しないイコール宣戦布告くらいに受け止めてしまう。

 

でもたぶん、コミュニケーションの根幹がいわゆる定型とは違う人たちの場合、本当に本気で「おはよう」に対して「おはよう」と答えるのが結構難しいのだと思う。

 

 

よく教科書に書いてあるのだけど、いわゆる自閉タイプの人は基本的に二人称を理解しない、という性質があるらしい。

「廊下を走ってはいけません」

という二人称は彼らにはぴんと来ない。だからいくら廊下を走るなと注意しても聞かない。これは悪意があるわけでも無視しているわけでもなく単純に理解ができていないだけ。

でもたとえばAさんが廊下を走っているとして

「Aさんは廊下を走りません」

と指示すると走るのをやめる。

これは誰に向けた言葉か明確でないと自分に注意されたと分からないから起こる現象だと説明されることが多いけど、私の観察では彼らは「Aさん、廊下を走るな!」でも理解できないことが多い。だから多分単純に、二人称、youメッセージ、他者に言語で働きかける、という発想が無いのだと思う。

もちろんある程度の地頭があれば後天的に学習することはできるし、実際学習によってうまく定型社会に合わせている人が多いのだろうけれど、基本的に自閉タイプの人は二人称を理解していない。

 

ここから先は私の想像だけど、たぶん彼らは空気が読めないとか他人の気持ちを考えないとかではなくて、「他者に要求すると要求が叶えられる」という発想が無いのではないだろうか。

たとえば木から離れたリンゴは地面に落ちる。ここで「リンゴ、落ちるな!」とか言ってもリンゴは地面に落ちる。ていうかリンゴに命令するという発想は出てこない。同様にAさんに「走るな!」と行ってもAさんの行動に影響はない。

逆に「リンゴは落ちます」と言うとなるほどリンゴは落ちるのだな、というのが分かる。同様に「Aさんは廊下を歩きます」というとなるほどAさんは歩くのだ、というのが分かる。

なんていうかもう、他者をコントロールしようとかコントロールされようという気が全然ない。人間同士の相互作用を全く考慮していない。

 

と、なると、「おはよう」に「おはよう」と返すのがいかに難易度が高いか分かる。

これは電卓で文章を書けと言っているようなもので、そもそも我々とは用途が違う脳みそで不得意なことをゼロから構築しなければいけない。そして24時間不得意なことを意識し努力し続けなければいけない。

「おはよう」に「おはよう」と返すにはまず相手の「おはよう」が返事を要求していることに気づかなければいけない。そうしないと他人の独り言すべてに返事してしまう。そして「おはよう」という単語には主語も述語もなく、誰に何を要求しているかが含まれていない。「おはよう」を正しく認識するのはAIが複雑な写真の輪郭を抽出するくらいの高度な処理が必要だ。そんなことを仕事中常にやっていたら仕事に集中できない。

 

よく定型が「挨拶したのに無視されると悲しい」とか言うし、それは私もわかるけど、たぶん挨拶は相当難易度が高い。

だからもしどうしても挨拶を返してほしいのであれば「Aさんはおはようと言います」とか言えばいいと思う。ただまぁ定型様が無視されて悲しいというお気持ちは、せっかく仕事に集中してるところにわざわざ脳内で挨拶認識アプリを立ち上げてまでヨシヨシすべきことか?もっと他に優先すべきことがあんだろ??という点はよく考えたほうがいい。