最近、攻撃性が自己に向く場合と他者に向く場合は何が違うんだろねというような話をいろいろな人としています。それで話が逸れてSMのことになったんだけど、とりあえず縄酔いについてはいろいろと言いたいことがある。
n=1の個人の感想です。
まず
解説。
縄酔いというのは、SMなどで体を縛ったときにたまに起る酩酊感のことです。たぶんsubspaceも同じ意味。人によって縄酔いの定義は違いますが、私の場合は浮遊感や脱力、瞑想状態のような、意識はあるけどどこか深く眠っているような状態のことを縄酔いと言っています。
つぎに
大事なこと。
縄酔いはSが起こすものではなくてMの人が自分で選択してなるものです。
信頼関係が壊れるだけでなく怪我や事故の危険も伴うため、間違っても縄酔いを起こすことを目的にしないでください。SはサービスのSでスレイヴのS。
そして
今回いいたいこと。
- 縄酔いと、酸欠と痛みでエンドルフィン出るのは全然違うから
- AVの縄酔いを真に受けるなあれ全然違うぞ
- 性欲は縄酔いに必須じゃない
- 縄酔いは縄がなくてもできる。もちろん蝋燭も鞭も罵倒もいらない。
最後のやつははもはや #縄酔い とは みたいなことになってるけど。
でもなんか、縄酔いはもう縄を手に取った瞬間にじわじわはじまるので、たぶん縄を使った縄酔いでも縄は必須じゃないんだろうなという気がしているしセックスと酔いは全然違う。
酸欠や痛みによるハイと縄酔いを同じものと定義する派もいて、そういう人たちはきつく縛ったり吊るしたりするけど私としては痛みでハイにするのは縄酔いじゃないと思う。体の状態が全然違う。痛みだと瞳孔が開いて呼吸が浅くなって交感神経でハイになってる感じがして、縄酔いだと瞳孔は閉じ気味で呼吸が深くなって副交感神経でハイになってる。あと、交感神経のハイだとじゃぱじゃば!ぼっきーーーん!みたいな感じで副交感神経だともっとぬるっとまったりしてて、全体的にリラックスした猫みたいな感じになる(つたわれ)
あと縄酔いすると縄を解いたあとも起き上がれないくらいぐったりするけど、酸欠やエンドルフィンでぐったりしてるとほんとに起き上がれない。でも痛みや興奮を伴わない酔いだと、動けるけど動きたくないから動かないという日常であまりない感覚になるのでやっぱちょっと違うと思う。
いや痛いの大好きっていうのもわかるし痛いのいいけど、たぶん関係性に痛みは必須じゃない。痛いの嫌いじゃないけど、安全な範囲で痛みを発生させるのは解剖や医学的な知識と経験がかなり必要だし、痛みはすぐ麻痺してエスカレートするので、ハイになれるほどの痛みを求めるといつか壊してしまいそうだから私はしない。最悪死ぬぞ。。。
でも痛いの嫌いじゃないしむしろ好き。
あざができても快感に変換できるくらい痛み耐性が強くなった子に、ちょっと歯を立ててあげただけでいけるくらいまで痛みの閾値を下げてあげるのが個人的には好みです。あまりに接触過敏になってて撫でるくらいだと不快刺激になってしまう場合は痕が残るくらい強めに拘束して脱感作を目指すこともあるけど、基本的には強い刺激へとエスカレートするのではなくて逆に刺激を落としていくのがSの醍醐味だと思うんだけどあまり同意されなくてさびしい。
上手いMの人なら何をしてもわりと簡単に痛みを快感に変換してくれます。それがなんか私の求めているものとはちょっと違う気がしてしまう。私はMは最初から最後まで満足のMであってほしいし、稚拙なSに合わせてくれるよりはちゃんとわがまま言ってほしい。わがままを貫いた結果が痛みだというタイプのMの人にはちゃんと痛くするけど、痛くするならべつに私じゃなくてもいいかなー…と思ってしまったりします。
なにを言ってるんだ私はよ。
ただなんか、セックスは入れて出してSMは縛って罵倒するみたいなテンプレだけで関係性が終わるわけじゃないんだと主張したい。
今回一番言いたいこと
私好みの縄酔い小説くださいおねがいします。