雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

れいわ新撰組には失望した

障害者が議員になって案の定ドン引きするような差別が露わになって予定通りドン引きしたわけで、それはそれで意義のあることだったとは思います。この問題は結局のところ老人介護や年金格差や子育て支援と同じく、誰がどれくらいケアを担うか問題に終結するわけで、障害者が表舞台に出てくることが極めてまれな現状のファーストペンギンである彼らに対しては「人は社会参加する権利がある、そのために必要なケアを要求する権利がある、ケアが必要な人にも自己決定権がある」と手放しで肯定するのは間違っていないというか青い芝生から微塵も進歩してない現状に教育の敗北を感じつつも社会はゆっくりと変化するものだという諦観とともに歩んでいくべきなのでしょう。

 

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いつも思うんだけど、障害者は守られなければいけない自己決定なんかできない存在だと主張する人に悪意はないことが多くて、たぶんわりといい人なんだと思うんだ。正直私としては絶対に相いれないしゴキブリ以上の生理的嫌悪を抱いてしまうのだけど、彼らは悪意があるわけではなくて、むしろ心から慈善に満ちていて、だからこそ家族は最大の敵であり愛を拒否しなければいけないんだということを理解しない。

この増田の追記を読んで、やっぱりこういうタイプの人は患者と患者家族は別の個体だということ、同じ病気でもそれぞれの患者は別個人であることというような、個と全体の区別をあまりつけていないのだろうと思った。

 

 

 

自分は、もし船後氏が問題を起こしたり物議を醸すことで批判が起きた場合、ALSという病気への批判が出ることを恐れていたんだと思います。

例えば、船後氏に議員能力がなかった、病気が悪化して意思伝達能力が無くなった、または最悪死去してしまった、となった場合、世間の反応はどうなるでしょうか?


船後氏個人の能力を批判するでしょうか?

党代表山本太郎氏を批判するでしょうか?

それとも、ALSという病気や重度障害者を批判するでしょうか?

もし、ALS(重度障害者)を批判するような論調を聞いたら、ALS患者、家族、遺族は、どう思うでしょうか?

 

 議員になった船後氏がとんでもない悪人だったとして、じゃあALSのやつら全員悪人だってなるか??乙武さんが浮気したから四肢欠損の人は全員浮気するの????じゃあハンニバルは連続殺人犯だからハゲは全員予防拘禁しといたほうがよくない?犯人は全員パンを食べていた!(キリッ

さらにALSのやつら全員悪人だとなったとして、その家族も悪人だって、どこからつっこめばいいのか…もしかして犯罪加害者の家族も制裁を受けて当然とか言い出すのだろうか……

でもこういう論調は医療福祉教育の中であたりまえに存在していて、弱者は常に自他の境界を侵害され続けている。

 

 

 

そして「そういうあなたも守りたい」なんだよなー……と。

 

 

彼らの認識を変えることはできなくて、彼らは彼らのまま私とは関わりのないところで勝手に幸せになってほしい。私とは関わりの無い所で(大事なことだから二度言う)

でもれいわ新撰組の今回の障害者擁立とその後のパフォーマンスは彼らのような知能の人たちにとって「裏切られた」になるのだろうな、というのが今回の書きたいところです。

 

私にとって障害者本人が意思決定の場に出てくるというのは大きな進歩であり、障害者本人だけでなくその周りでケアを強要されている家族やスタッフという「なかったこと」にされ続けてきたアンペイドワークにも光を当てる彼らの活動は私自身の生きやすさにもつながるというのは直感的に理解できます。だから私はれいわ新撰組を(すくなくともこの一点に関していまのところ)支持する。

でも脳みそがちょっとばかり足りない人たち、今自分が見えている景色以外を想像することができないような人たちにとって、障害者なんて路傍の石でしかない。自分と関わりのある他者として認識できない。だから「俺たちを助けてほしかったのに俺たちじゃない奴らばかり優遇しやがって」となる。これは広く支持を集めたい駆け出し野党としてはマズいと思う。

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たぶん、こういうタイプの人たちは「自分」の枠がとても歪んでいるのだと思う。この増田だったら「29歳ワープアは道行く人が全員ひれ伏す上級国民にします税金ゼロにしますあと油田あげます」くらいピンポイントに救済しないと救済された認定しない。ケアを他者に委ねざるを得ない人たちという点では福祉を一方的に受ける立場の年収220万の増田は障害者と同じよね、「福祉を受けているのだから黙ってありがたがれ」という風潮は増田の敵でもあるんだよね、とかそういうところは理解しない。

で、そういう人にとって「自分たち」と認識できるのが美しい日本であったりグレートアメリカであったりして、だから安倍やトランプがあるのだろうなと。弱い自分を認めることができなくて、本来自分が受け取るべきだった(と思い込んでいる)権利を弱者(と思いこめる属性)から奪い取れば安泰だと信じ込んでしまった、自分を肉屋だと信じたい豚。

 

つまり、れいわ新撰組もまた「正論を進め王道で変えようとするエリートと、図星つかれて発狂する大衆と、それを叩いて気持ちよくなるエリート」というエリートによるエリートのための政治になっている。しかも大衆に寄り添うとか言っていた分裏切られた感が強くなる。

 

現実の救済は私個人をピンポイントで救うことではなくてシステムを変えることで、システムを変える道のりは私個人からは遠い部分から着手しなければいけないのだけどそこを理解しない人の支持は得られなくて、個人を救済してるっぽく見える破壊が支持されてしまうというのを野党のインテリはそろそろ理解したほうがいいと思う。