雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

女性を尊厳のある他者として扱えない男性ジェンダーの病理について

典型的なエロ、成人向け性表現というのは、異性の体をモノのように好き勝手に扱う表現で、一応表現の自由の範囲ではあるけれど公共の福祉と衝突するかしないかのグレーゾーンに片足をつっこんでいると私としては認識している。

そしてその認識を大多数が共有していると思っていた。だからエロは後ろめたい物隠すものゾーニングすべき、という流れになってるわけだし。

 

 

 

でもなんか、エロを「俺たちのオリジナル表現物」だと思ってる男性が結構いるっぽくて、なんというか尊厳ある他者という存在を認識できていないというか、世の中が「俺たち」と「俺たちのオモチャ」だけで構成されているなにかしらの発達障害的ななにかというか、そういうタイプの人たちをどう扱っていくか問題というのがあるのかもしれない。

男性は女性をモノのように扱う欲望を抑えられないのは生物学的に正当性がある、とか思考停止しすぎていやしないだろうか。

だいたいオスがメスに加害するのって人間だけだからね?

レイプが成立するのも人間だけ。生物学的な正当性とやらで言うなら100%女性に決定権があるしそもそも「生殖欲」はあっても「性欲」は存在しない。性加害は最も人間的で社会的で恣意的なもので、抑えられない本能とされている男性の加害性は最もコントロールされている。男が女をエロい目で見てしまうのは本能ではなくて学習にすぎない。だからこそ欲望を脱構築しなければならないのに、男性哲学者は軒並みこの問題に対して沈黙している。ばかじゃねーの。

 

 

 

 

それでだいぶ前に読んだこの漫画を思い出した。

お別れホスピタル

ホスピスで看取りをやっている看護師の話なんですが私の嫌いな病院が濃縮されていて大嫌いな話です。

うろ覚えなんですが、寝たきりでトイレにもいけない患者さんに看護師が「私のこと好き?」と何度も聞くというシーンがあって、初めは「嫌い」と返事されていたけど最終的に苦虫をかみつぶしたような顔で「好き」と言う、という。

看護師は他のワガママな患者にイライラされられてそのイライラの解消のために体が動かせない患者さんに「私のこと好き?」と聞く。それで「嫌い」と返事したら「じゃあおむつ変えてあげないよ」と言って「好き」という言葉を引き出す。作者も編集者もこのシーンの残酷さや卑劣さに気づいてすらいない。

これはこの作者が特別残虐な人なわけではなくてケアに関わる人のメンタリティは大概こんなもんで、この程度の虐待は毎日普通に起こっている。私もやられたことがあるし、認めたくはないけどおそらく私も気づかないうちにやっている。

 

 

 

たぶん人間は自分がどれだけ残酷なことをしているのか理解できない仕様になっていて、気づけるのは殴り返された時だけで、殴り返せない人は殴られ続けるしかない。罪は被害者の中にしか存在しなくて、被害者が黙っていたら全てつつがなく「なかったこと」になってしまう。

 

 

いや話が逸れたけど男性が男性向けエロを「俺たちのもの」だと思ってるのどういう強メンタルだよ。

私が腐とグロ界隈の人だからかなぁ。

非実在とはいえ他者の体を弄んでいるわけだから隠れるのあたりまえだしゾーニングは積極的にしてほしいし、たとえば私の性癖直撃の素敵マダムの内臓が一等地にでかでかと掲示されていたらむしろ積極的に撤去してほしい気持ちになるんだけど。性癖を公衆の面前で御開帳とかむしろ罰ゲーム。なのでポスター撤去に吹き上がる気持ちが本気で分からない。ボクは巨乳が大好きです見せつけたいです!とか主張して恥ずかしいと思わないんだろうか。。