雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

健常者の傲慢さを自覚できてない人が多いことについて

こんなに分かってないくせに相模原の事件とか安楽死とかいっちょかみしてくるの迷惑すぎるのでちょっと書く。

 

車いすが普通の世界のレストランに二足歩行障害者が行ってみるというコンセプトの企画があったそうで、なかなかキャッチ―だし作りこまれているなと思った。次回があるなら行きたい。

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食事中、突然スタッフが「中腰で食べてください」と声を張り上げます。二足歩行者たちは何を言われているのか理解できず、そのまま立って食事を続けます。

(中略)

オーナー:「対応が雑だよ。正直、僕だって来て欲しくないよ。でも、やんなきゃダメなんだよ。それが優しさだから。ちゃんとやってください、お願いします。対応が雑すぎます」

スタッフ:「(不満そうに)申し訳ございません」

 これの意味が分からない、なぜ突然中腰を要求されたのか、そんなこと実社会でないじゃないか、みたいな人がいるみたいなので。

 

この社会は健常者仕様で健常者の振る舞いを要求されるということを分かってない人がこれだけいるのやばみがやばい。

たとえば、車いすの例だとバニラエアの階段をいざって上った人が炎上していて、まぁあの人はいろいろあったけどまず「階段を普通に歩かずにいざって上る」という絵面が強烈だったからこそあれだけ炎上したわけです。この社会では階段は二本足で歩いて登るものだから。いざることの危険性とか安全が保障できないとか、じゃあお前それ杖の人とか義足の人とかにも言えよと。足悪いのに無理して二足歩行するよりいざるほうがよっぽど安全じゃん別にいいじゃん転がったってジャンプしたっていざったって。

実際、生まれつきの障害の人の場合だと自分の身体機能を最大限生かしている人がいたりして、そういう人は蛇のように床を這って移動したり足でご飯食べたり口でくわえて料理したり、『普通』じゃない振る舞いをすれば何不自由なく生活できるけど、それは『普通』じゃないからというだけで制限されて人の手を借りて不便な生活を強いられるとかわりとあります。最近の日本ではほとんどみないけどアジアに行くと足でスプーンを持ってご飯を食べてスマホを使って着替えもトイレも自分でやって普通に一人暮らししてる人とかいる。

それとか、目が悪い人だとぶつかるの前提で動けばわりと普通に行きたいところに行けるという場合もあります。でもごちんごちんぶつかりながら歩いてると危ないとかいって強引に引っ張られて方向が分からなくなったりして危険なので、知っている道しか歩けないし道にある全ての障害物を覚えていなければいけないし常にひやひやしなければいけない、とか。

あとレストランであれば、カトラリーを使うのがハードルが高いということは様々な障害でありがちなことです。手づかみであれば綺麗に食べれるのにそれは「普通」じゃないから他人に食物を口に突っ込まれるしかない。

 

わざわざ不快にしてやろうという意図を感じるとか、対立煽りとか、いやこれが現実なんだよあたりまえすぎて自覚できないほど。これに対して不愉快だと拒絶できることこそが強者の特権だ。

 

いやそもそも、他人に介助されることの不便さや不快をきちんと想像できないのか。他人にやってもらえてラッキー、あいつら楽してやがる、みたいな感じなんだろうか。だから「手厚い介護があれば誰でも尊厳ある生活を送れる」とか言えちゃうのか。なんだろうほんとせめて自分が想像力が無いということを、隣人は常に想像を絶する世界に生きているということを自覚してお願いだから。

 

 

なんか、ディベートの立場を入れ替えるのの強化版みたいなのを義務教育でしっかりやるべきなのではないだろうか。

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立ち位置を変える、言葉遣いを変える、順番を変える、みたいな些細なことに影響されて不合理で不可侵な序列を作ってしまう現象は、何度か場数を踏むと結構克服できる。監獄実験みたいなのを、一回で終わらせずに立場や状況を変えて何度も気楽に繰り返すといいのでは。