雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

頭の悪い人の頭の中を理解してハックする方法を考えてみる

コロナウイルスがお湯で死ぬ問題。あるいは被災地に千羽鶴を送る問題。

 

ああいうの科学的に冷静に否定すると「みんなのがんばりをひていするのかー」という反感が発生するのね、というのが最近分かってきた。そしてコロナのときに特に思ったのが、みんなのがんばりは神聖不可侵なもので、根拠とか結果とかをはるかに凌駕する絶対正義で、みんなのがんばりさえあれば誰が何人地獄の業火で焼かれても大成功モーマンタイ進め一億火の玉なのだ。

 

ここで溢れんばかりの教養を活かして怒涛のような罵倒を繰り出したくなるのがリベラルなのだけれど、でも罵倒しても彼らは万能の呪文みんなのがんばりをさらに強化してくるだけで最終的にコロナウイルスにかかったらさらに強力なマラリアにかかれば治るとか言い出しそう。

彼らにサピエンスの常識を押し付けるのは豚に論語を教えるようなもので、お互いに不幸になる。豚には豚の幸せを提供してあげるべきだ。

 

ということで、お気持ち質量の法則というのを考えてみた。

 

たぶん彼らの頭の中ではがんばりとかお気持ちという不合理で曖昧で形のないはずのものが形を持っている。だから「被災地を思う気持ち=千羽鶴を折る手間」「コロナウイルスが心配な気持ち=お湯デマを流布する行動」が成立してしまう。

実際には必要なのは正しい行動のみでその他は全て間違いなのに、正しい行動をすることよりもお気持ちをどれだけ表明できたかで結果が決まると思ってしまう。

お気持ちという形のないはずのものがあたかも形と質量を持っているボーリングの玉みたいな物質で、お気持ちボールを大きく重くしてぶん投げれば問題が粉砕できる、お気持ちボールはでかければでかいほどよくて、お気持ちボールを否定することは問題解決を放棄することである、みたいな感性で生きていらっしゃる。

お気持ちと現実の問題解決が脳内で一致している一種のアミニズムなのだろう。

 

ということで、彼らはお気持ちと解決を分離できない。だったら先回りして無害なお気持ち発露方法を提供してあげるべきだ。今回のコロナウイルスのこまめにぬるま湯を飲めなんて最高によい案だと思う。実際こまめにぬるま湯を飲むのはそこそこ効果が見込めるし。下手に素人がマスクするよりお湯のんでたほうがいい可能性すらある。こういう高度なデマを捏造できるセンスを持ちたい。