最近のはてなで流行しているキモくて金のないオッサン問題について、なにやら様々な問題が(おそらく意図的に)混同されてて気持ち悪い。
まず、キモくてカネの無いオッサンが福祉を受けられないというならそれは問題なので解決したほうがいい。貧困層の生活保護受給割合が女性のほうが優位に多いとか、病院に行ったら治療拒否されるとか、なんかそういうデータがあるならちゃんと主張したほうがいい。はいFA。あとはデモとかがんばってください。
ここまでの問題は、例えるなら黒人と白人の貧困者がいて、白人のみ救済されるのであれば差別だよね、黒人だって救済されるべきだよね、というタイプのものになる。
でも、キモくてカネの無いおっさんは生活保護を受けても就労支援を受けても満足しないんでしょ?というところがこの問題を炎上させている点。
結局、オッサンはオンナをモノにしないと満足できないんでしょ?
キモくてカネの無いオッサンに尽くしてくれるオンナが欲しいんでしょ?
という。
いやそんなクソみたいな幼児性むき出しのオッサンばっかじゃないと思うけど、女性の再配分なんて言い出す一部のオッサンは「キモくてカネもなくてもオンナさえいれば満たされる」という馬鹿みたいな妄想に縋っていて、そんなオッサンの妄想の餌食になる女性が後をたたない。私もさんざん犠牲になったんで、オッサンの馬鹿さかげんはわりとよく知ってる。
他者の人間性を踏みにじることでしか満たされない承認欲求を持つ人はいつまでたっても救われない。
これはさっきの黒人と白人の貧困問題とは全然違う問題だ。
例えるなら、人の肉を食べなければ承認欲求を満たされない人がいたとしたら、そいつが幸せになるためには誰かが殺されなければいけない。殺人は罪だから、そいつはいつまでたっても幸せになれないしそもそもそいつの幸せは人を食べることではなくて人を食べる以外のことで欲求を満たす方法を模索することだ、みたいな問題。
オッサンが幸せになるために女性の人権を無視する必要があるなら、オッサンはいつまでたっても幸せになれない。福祉がどんなにがんばっても、経済がどんなに回復しても、オッサンはいつまでも都合のよいオンナを求め続けて彷徨う。
福祉はキモくてカネのないオッサンに経済的支援や友人と出会う場を提供する。でも、オレのオンナ、都合よくオレを受け入れてくれる優しいオンナ、みたいな偶像は提供してくれない。そもそもそんなオンナはこの世に存在しない。存在しないものを追い求めるオッサンはいつまでたっても救われない。
そんなオッサンに提供すべきものはオンナの代替品ではなく、オンナに依存する脆弱なメンタリティを補強する新たなナラティブだ。
てことで、ツタヤのエロ本コーナーをカフェ化するというのはどうでしょう。
キモくてカネのないオッサンがなぜオンナとエロに固執するかというと、結局オンナとエロにしか居場所が無いからなんだと思う。だったらオンナとエロ以外の娯楽を提供すればいい。
イスとテーブルを置いて自販機を置いてついでに囲碁や将棋、シャンプーや化粧品などの身だしなみ用品のサンプルとかファッション誌とかを置いて、キモくてカネの無いオッサンがちょっとひといきつける場所にする。そして自然にオッサン同士の交流が生じるようにしたり、エロ以外の娯楽に目を向けられるようにする。
経済効果もあって一石二鳥。
あと、ひとつ突っ込み。
解決策のない問題というのは、そもそも問題でないか、あるいは少なくとも問題として考える意義に乏しいことになろう。
えー…なに言ってんのこの人。
問題と言うのは容易に解決策が見つからないから問題でありつづけるわけで。
解決策の無い問題は問題として考える意義に乏しいというのなら、環境問題も核問題も北方領土も政治も経済もぜーんぶ問題じゃないね。よかったね。
↑こちらの記事が、オッサンの福祉問題と、オッサンの脆弱な承認欲求の話と、エマワトソンの言っている男性全体、女性全体の構造の問題と、なにもかもごちゃごちゃにしていて、この人弁護士として大丈夫なのかな、実名の仕事ブログでこんないいかげんなことを書いているのは仕事に差し支えないのだろうかと、老婆心ながら心配である。
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